風水師のお仕事
朝餉を一緒に食べてから、他にやることがないかと探したものの、私がせめて離れの掃除をしようと箒と雑巾の場所を探していたら、女中さんたちに止められてしまった。
「そんな、奥様にそのようなことはさせられません!」
「ですけど……私料理もさせていただきましたし、桃矢様も今日はお加減がよろしいので、布団を干そうかと思ったんですけれど……」
「どうぞ、掃除や離れの整備は私たちが致しますので……!」
そうは言っても、女中さんから仕事を奪ったら女中さんの仕事がなくなってしまう。ここで働いているような人たちは皆住み込み奉公だろうから、いきなり仕事を奪われたら行くところがなくなって困ってしまうだろう。
そこまで考えたら、私も「わかりました」と言ってから、部屋に引っ込むしかできなかった。
桃矢様はというと朝餉を食べて、お医者様から処方された薬を飲んだあとは、少し庭を散歩するとこんこんと眠りに付いてしまった。眠っているときの桃矢様の肌色は、先程までおいしそうにポッディングを召し上がっていたときより優れず、このまま起きなくなるんじゃと心配になる。
私もやることがなくなり、離れに掃除に来た女中さんに「庭の散歩をしてもいいですか?」と許可を取ってから、散歩をすることにした。
私は元々、桃矢様の体が弱くて、少しでも貧乏神の持っているお金がなくなっても心身丈夫になる特異体質を利用し、多少お金はなくなってもいいから桃矢様を丈夫にするために婚姻を結んだんだ。
一日二日で体が丈夫になる訳じゃあるまいし、その場合は私はどうしたらいいんだろう。 考えるのが苦手なりに考え込んでいると、庭師さんが庭木の手入れをしているのが見えた。
「こんにちは、いい庭ですね」
「ああ、こんにちは……もしかして、坊ちゃまの?」
「はい。初めまして、鎮目家に嫁ぎましたいろりです」
庭師さんはどうも桃矢様と同年代らしく、作務衣姿で作業をしていた。私が挨拶をすると、慌ててはしごから下りてきて頭を下げてきた。
「初めまして……このたびはご結婚おめでとう……」
「いえ。まだ一緒に住んでいるだけで夫婦らしいことはなにも」
「まあ、坊ちゃまは才能があり過ぎるのが災いして、お体悪いですからねえ」
「才能……?」
「風水師としての才能ですねえ」
鎮目家は有名風水師家系だとは聞いているものの、風水師の才能があり過ぎて体が弱いというのは聞いたことがない。
「風水師としての才能があり過ぎると、そんなに体が弱くなるんですか?」
「ええ……風水師は基本的に気の流れを読むのが仕事です。やっていることは結構陰陽師と被りますが、風水師と陰陽師の一番の違いはそこですね」
「はあ……」
まだピンと来ていない私に、なおも庭師さんは話を続けた。
「人一倍風水師としての才能溢れる坊ちゃまは、常日頃から気を読み取り続けているせいで、ほとんど預言みたいなことまでできるようになりました。ただ無意識のうちに気を読み取り続けるというのは、毎日全力疾走で走っていることと一緒です。おかげで疲れ過ぎて食事が通らなくなり、体が弱っていっているのが現状です」
「それ……まずくないですか?」
「まずいまずくないで言えばまずいんですが……あれだけ風水師としての才覚がある方もおられませんから、力をむやみに封印するよりも伸ばす方向にあるのが現当主様ですね」
そう教えられたものの、私はいまいち納得できなかった。
力を封印すれば体がよくなるとわかっているのに、それをしない。むしろ私みたいに貧乏神をこじらせている人間を娶らせて健康にしようとしているけれど……先に桃矢様になにかあったらどうするつもりなんだ。
私が悶々と考えていると、庭師さんは「ははは」と笑う。
「坊ちゃまに一番の味方ができた。それだけで、坊ちゃまも救われるかと思いますよ。坊ちゃまのこと、どうかよろしくお願いします」
「ありがとうございます……あのう」
「はい?」
「お名前をお伺いしてもよろしいですか? さすがに桃矢様とご友人ならば、お名前を覚えないのも失礼かと思いまして……」
「はい? 坊ちゃまと自分が、ですか?」
「はい……仲がよろしいんだなと思ったので……違いましたか?」
私がそう尋ねると、その人は心底面白そうに目尻に涙を溜めて笑った。そして答えてくれた。
「自分は
「はあ……では彼方さん、ですね」
私は彼方さんに何度も頭を下げてから、桃矢様の元に戻っていった。
****
私が離れに戻ったら、玄関に知らない下駄が並んでいることに気付いた。
もし本邸の人だったら、本邸から来る訳だからこんなところに下駄がある訳ないし。いったい誰だろう。
私は訝しがりながら「ただいま戻りました」と言って中に入ると、そこには白い着物の人がいた。ずいぶんと上質な着物だ。見ると、先程までこんこんと眠っていた桃矢さんが起きて、その人の話を聞いていた。
白い服の人がこちらに振り返ると、口角をきゅっと上げた。すっきりとしたいぶし銀のような風情だった。柔和な雰囲気の桃矢様とは質感が違う。
「お初にお目にかかります。あなたが奥方ですか?」
「あ、はい。申し訳ございません。旦那様のお客様ですか? すぐにお茶の用意を……」
私は慌てて離れに備え付けの台所に向かおうとしたら、桃矢さんが優しげに「いろりさん、結構ですよ」と止めた。
「ですけど……」
「彼は自分の仕事相手ですから」
「お仕事……ですか?」
「はい……すみません。妻はこちらの事情でなんの説明もなしに嫁いでくれましたので、仕事の内容がわからないんです」
そう言って、白い服の人に謝った。うん。風水師の仕事自体はなにも聞いてない。私が散歩していて、彼方さんから少し教わったくらいだ。鎮目邸の庭師さんのほうが詳しいくらい。
私が思わずしょぼんとしたが、白い服の人は大して気にせず、「そうですか」とだけ言うと、立ち上がった。
「それでは、よろしくお願いします」
「はい、承りました」
本当に勝手知ったる顔で、その白い服の人はさっさと下駄を履いて帰っていってしまった。
お茶、本当にいらなかったんだな。
私は「あの方は?」と尋ねる。桃矢様は柔和に答えた。
「あれは
「……気の流れの観測……?」
「ええっと。風水師は気の流れを観測し、淀みを見つけたらすぐに浄化するという任があります。大昔から、厠には蓋をする、鬼門に大切なものを置かないなどのしきたりがあります。あれは気が淀むのを防ぐという役割があります。民間で伝わっている気の淀みを鎮める方法では間に合わないほどの淀みを鎮めるのが、風水師です」
自分ではいまいちピンと来なかったものの、私たちが日常的にやっている行動の中にも風水に関するものがあることだけはなんとか飲み込めた。
でも。観測というのだけはよくわからない。
「あの……外に出られるんですか? 倒れませんか?」
「大丈夫です。庭に出たらできますから……」
そう言われて、彼方さんが言っていたことを思い出した。
……元々桃矢様が体が弱い原因は、風水師としての才能があり過ぎるからだと。気の流れを終始読んでいるのは、一日中全速力で走っているようなものだと。
そんな毎日よく寝ている人が、そう何度も何度も出て行って大丈夫なんだろうか。私は慌てて着いていくと、桃矢様は不思議そうな顔をした。
「いろりさんは着いてこなくっても大丈夫ですよ? いつものことですから」
「いえ、倒れてしまっては元も子もありませんから。咲夜さんに報告しなければならないなら、尚のことです」
「そうですか……気の流れの観測をしたら、倒れるのが普通のことでしたから、そんなに心配されるとは思っていませんでした」
桃矢様があんまりに普通に言うので、私は頭を抱えそうになった。
お父上はものすごく心配しております。彼方さんだって心配してましたよ。そう思ったものの、私は黙って着いていった。
庭は綺麗だ。すっきりと松が生えている。日頃彼方さんが面倒を見ている関係だろう、枝の伸び方も葉の生え方も綺麗だ。
その中で、芝生だけ生えていて木がない場所が広がっていた。そこにはちょうど彼方さんが立っていた。彼方さんは「おっ」と声を上げる。
「奥様もいらっしゃったんですか?」
「こんにちは」
「おや、もういろりさんは彼方にお会いしてましたか」
「はい……先程散歩していたときに」
私の説明に、桃矢様はほっとしたような顔をしていた。それに彼方さんは苦笑しながら、「ほら桃矢様、はじめましょう」と急かしはじめた。
気の流れを読むために、なにをするんだろう。そう思って見ていたら、桃矢さんは着流しの袖から扇子を取り出した。扇子を取り出すと、そのまま松の枝のように手を伸ばしはじめた。なにかを探るように扇子を伸ばし、足を伸ばす。それはちょうど舞踊のようだった。
大昔に見たことがある、歌舞伎のような動き。やがて、桃矢さんはある一定方向を見ると、扇子を大きくひらめかせた。
途端に風がぶわりと吹く。途端に空気が和らいだ。
「えっ……今のは」
「ああ、桃矢様が淀みを鎮めたんですよ」
「扇子で扇いだら鎮められるんですか?」
「んー……どう言えばいいですかね。扇子を扇ぐ際に、桃矢様の気を乗せるんです。その気が淀みを鎮めるんですね」
「すごい! でも……それって多分、桃矢様のお体弱いのに、余計に体に負担かかりますよね。どうにかできないんでしょうか……」
「さすがにこればかりは、他に替わりがいませんし」
彼方さんがそう困った顔をする。
……毎日全速力で走っているようなものだったら、息切れしてしまうだろうし、毎日寝てばかりだというのもお話ができない。
でも食べるものはだいたい食べられる。うーん。
やがて、桃矢様のお体がグラリと崩れた。彼方さんは慣れたように傍に寄ると、「よっと」と桃矢様を受け止め、そのまま担いでいった。
「布団の用意してください」
「もうしてます……あの」
「どうしました?」
「……桃矢様、特に好き嫌いもないようですし。いつも倒れた時用に甘味を用意してもいいでしょうか?」
私の提案に、彼方さんは少しだけ驚いたように目を見開いた。
「……いいんじゃないですかねえ」
「わかりました! じゃあ、用意しますね」
ここでだったら、やることが本当にない。
家事は女中さんたちがしてしまうし、食事の準備もそこまでしてない。でも。これならば少しはお役に立てる。そう思うと心からほっとできた。
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