第5話

そこに一歩足を踏み入れた瞬間、全てが静寂に包まれていた。


まるで時が止まったかのように・・・


鮮やかなステンドガラスを通し、淡い光が差し込んでいる。


その光を浴び、幼いイエスを抱いたマリア像が金色に輝いていた。


『どうだ、ねね。

 ここは外の浮世とは違い、全くの別世界であろう』


『・・・はい。

 本当に、何と申せばよいか・・・

 何一つ言葉が浮かばないほどに、見事な所にございまする』


信長とねねは最前列の長椅子に座り、静かに正面を向いていた。


ここは、セミナリオ。


いわゆる、キルスト教徒の神学校であった。


信長がとっておきと言った場所は、その中にある礼拝堂だったのである。


ねねは初めて触れる異教の文化に、かつてないほど激しく心を揺さぶられていた。


『いつからであろうか・・・

 何かに悩み煮詰まった時、オレはよくここに足を運ぶようになった。

 こうやってマリア像を眺めるていると、何故か心が落ち着いてな。

 それから不思議と良き考えが浮かび、いつの間にか重い気持ちが消えて本来の自分に立ち帰れたんだ。

 神仏など一切信じていないオレなのに・・・

 まこと、世の中とは分からぬものだ』


目を閉じたまま、信長はねねにそう語りかけていった。


ねねは小さく頷き、信長の言葉に理解を示した。


『わたくしは初めてこの場に来ましたが、上様のお気持ちがよくよく分かる気が致しまする。

 こうしてここに座っているだけで、自然と心が洗われるような・・・

 今まさに、わたくしもそういう気持ちでいっぱいになっておりまする』


『そうか、それはよかった・・・

 嬉しいぞ、ねね』


『いえ・・・滅相もござりませぬ』


この後、二人はほとんど会話を交わさず無言のままマリア像に見入ったままでいたのであったー。



天守最上階に琵琶湖から爽やかな春の風が届いていた。


湖面はキラキラと輝き、樹々は新たなる緑にその身を包み始めている。


そんな心踊る季節、ねねは一人部屋の窓辺に腰掛けていた。


手には一通の文。


それを読み終えると、ねねは文に小さく礼をして丁寧に上紙の中へと仕舞っていった。


ねねはこの時、それまでとは打って変わりまこと晴れやかな表情に変貌していた。


何もかもが吹っ切れたのか、真っ青な空を見上げながら自然と笑みが溢れていたのだった。


(これも全ては、上様のおかげ)


ねねは改めて主君・信長に感謝すると同時に、心のでこう固く誓っていたのである。


何があっても、夫・藤吉郎を信じ支えていこう。


羽柴家と家臣のためにやれる努力は全てやろう、と。


手に持っていた文をねねはそっと胸に当て、今一度安土にいる信長に思いを馳せたのであったー。



「ねねよ、此度わざわざ安土を尋ねてくれたこと本当に嬉しかったぞ。

 その上、土産は筆では表現出来ないほどに美しく見事なものばかりであった。

 お返しにオレも何かをと考えたが、お前の土産が余りに見事だったのでとても思い付くことが出来なかった。

 許せよ、ねね。

 まぁ、今度お前が来た時にはびっくりするような物を用意しておくからそれまでの楽しみにしておけ。

 それにしても、久しぶりに会ったお前は益々美しくなっていたな。

 いつぞや会った時よりも、ずっと。

 そんなお前のことを藤吉のやつが何か不足を申しているようだが、全く言語道断でけしからぬことだ。

 どこをどう探しても、お前ほどの女をあの禿げネズミには二度と見つけることなど出来ぬというのに。

 でもな、ねね。

 あいつも昔の藤吉ではない。

 今や一国一城の主、長浜の城主なんだ。

 そしてお前はその城主の奥方なのだから、気持ちに余裕を持って堂々としていろ。

 どうでもいいヤキモチなんか妬くな。

 その上で女房の役目として言いたい事がある時は全てを口にするのではなく、ある程度に留めておけ。

 お節介だと思うが、これらのことを頭の隅に残しておいてくれればオレも安心だ。

 それでは、ねね。

 藤吉と仲良く、体には十分気を付けるように。

 また会える日を楽しみにしておるぞ。

 

 最後に、この文は藤吉にも見せてやるといい。

 

 そなたの友、三郎信長」


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魔王からのラヴ・レター @nobu1534

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