第3話

城内に入ったねねは、そのまま三の丸御殿に通された。


ここは来客をもてなすための大空間で、縁側の前には凝りに凝った中庭と大きな池が設けられていた。


ねねは極度と言える緊張の中、奥部屋でその時を待っていた。


何せ安土城への単独登城は初めてだったので、いやが上でも気持ちが昂ぶっていたのである


(落ち着け、落ち着け・・・)


心の中でそう自分に言い聞かせていた時、廊下の向こうからドスドスという如何にも忙しい足音が聞こえて来た。


と、思った瞬間だった。


『やあ、ねね!

 久しぶりだな、よう来た!』


襖が勢いよく開くのと同時に、二人の小姓を伴った信長が満面の笑顔を浮かべ姿を現したのだ。


ねねはすぐさま平伏し、丁重に挨拶を述べていった。


『麗しき御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じまする。

 此度無礼にも関わらず急なる御目通りを叶えて頂き、上様には心より御礼申し上げる次第にござりまする』


『おいおい、そんな堅苦しい挨拶なんかしなくてよい。

 オレとお前の仲だ、肩の力を抜いて気楽にしろ』


信長はそう言って、ねねのすぐ前で胡座をかき始めた。


ねねは少しだけ顔を上げ、信長の次なる言葉を待った。


『ねね、藤吉は息災か?

 お互い忙しいせいもあって、ここ最近はなかなか会う事も出来ないでいるからの』


『はい。

 夫藤吉郎は変わらず息災にて、日々上様の御為に忠節を尽くしておりまする』


『そうか、そうか。

 いずれまた長浜に出向いて、共に酒でも飲もうと思うておる。

 帰ったら、藤吉にそう伝えてくれ』


『ははっ。

 有難きお言葉、必ずや夫に申し伝えまする』


ねねは再び首を垂れ、改めて信長に感謝の言葉を述べたのであった。


『さてさて、ところでー』


談笑の後、不意に信長は真顔になるとねねに突然と言える安土訪問の目的を問うて来た。


ねねはいよいよだと思い、腹を括った。


この日、単身安土に乗り込み信長に謁見した目的はただ一つ。


それは夫・藤吉郎の女狂いを主君である信長に直訴し、直接叱責してもらうためであった。


夫の女癖を妻が本人に内緒で主君に直訴するなど後にも先にも聞いた事などなく、まさにこれは前代未聞の珍事と言ってよかっただろう。


しかし、当のねねは大真面目だった。


藤吉郎に喝を入れるため、考え抜いた結論がこれだったからである。


だが、いざその事を口に出そうとした時だった。


ねねは何故か言葉に詰まり、思うように喋れなくなってしまったのだ。


話そうとはするが、上手く口に出せない・・・


そんなねねの苦悩に満ちた表情を見かねたのか、信長は控えていた二人の小姓に対し部屋から出るよう目で合図を出した。


それから、ねねにはこう言葉をかけていった。


『ここには、オレとお前の二人きりしかいない。

 誰にも遠慮など要らぬ。

 さあ、何か悩みがあるならオレに話してみよ』


『・・・上様』


信長の優しい心遣いに、ねねの瞳からいつしか大粒の涙が溢れ落ちていた。


これまでの辛い感情が一気に噴き出て来たのか、涙は止まることなくその頬を伝い流れて行ったのだった。


その後、ねねは信長に全てを話していった。


今、自分と藤吉郎の間に起こっている出来事を一つ残らず洗いざらいに・・・


そして、信長はというとー。


黙ったまま目を閉じ、ただ静かにねねの話を聞いているのみであった。


ところが、その後ー。


『よし!』


突然そう叫んだ信長が、ねねの右腕を掴んで立ち上がったのだ。


『ねね、ちょっとオレに付き合え』


そう言って信長は強引にねねを外へと連れ出して行った。


『うっ、上様!?』


ねねは訳が分からずキョトンとしていたが、これより誰もが驚いた信長流おもてなし作戦が始まるのであった。

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