第38話 一人の少女のために


「り、リヒト様……」


 王都ヴァイゼルに帰還し、アルシード王に謁見した後のこと。


 俺とメロは聖女ティアナがいるという病室を訪れていた。


 俺たちを案内してくれたセタスさんが応対した侍女に事情を伝える。

 そしてセタスさんと侍女は席を外してくれて、俺とメロ二人だけとなった。


 部屋の中に入ると、銀の髪を持つ女性が首だけをこちらに向けてくる。


 恐らくその状態がここ数日は続いているのだろう。

 起き上がることは難しい様子で、血色も良くない。


 その痛々しい様に憂いを覚えつつも、俺はティアナの元へと歩み寄った。


「こんにちは、ティアナ。5年ぶり、かな」

「ああ……」

「お、おい。どうして泣くんだ」


 俺がベッドの傍まで寄ると、ティアナはくしゃりと顔を歪ませる。


 突然訪問して驚かせてしまっただろうかと不安になったが、ティアナは手で顔を覆いながら声を絞り出した。


「リヒト様……。よく……、よくぞご無事で……」


 その声で、ティアナがどれだけ心配をしてくれていたのかを察する。


(覚えていないかもしれないと思っていたけど、そんなことはなかったな……)


「ティアナ。君がずっと祈りを捧げていてくれたおかげだ。本当にありがとう」

「いえ……。私はリヒト様が無事お戻りになっただけで……」


 ティアナは5年前、俺の旅立ちを見送ってくれて、旅に同行したいとまで言ってくれた。

 そして今も、自分は起き上がることができない状態であるにも関わらず、俺の帰還を喜んでくれている。


 その献身性に胸が熱くなるのを感じていた。


 ティアナの状態を知っていたならもっと早く戻ってくれば良かったと。

 俺がそう伝えると、ティアナはふるふると首を振った。


「そんな、とんでもないです。私はリヒト様がご無事だったことが何より嬉しいんです。それに、こうして出発の時にお見送りしただけの私を覚えて会いに来てくれるなんて……」

「当然じゃないか。君の祈りがあったおかげで俺は戦えたと言っても過言じゃないんだ。感謝こそすれ、忘れるはずがないよ」

「ふふ。あるじ、旅の途中でもずっと言ってたしね。王都に戻ったら感謝を伝えたい人がいるって。それってこの人のことだったんだね」


 メロが言って、ティアナは少しだけ驚いたような視線を向ける。


「あの、リヒトさん。先程から気になっていたんですが、この子は?」

「ああ。この子はメロって言ってな――」


 俺はメロのことや魔王討伐後の経緯について、掻い摘んでティアナに話していく。

 そうして話を聞き終えると、何故かティアナは少し安堵した表情を浮かべていた。


「な、なるほど。私はてっきり誰か、獣人族の方との子供ではないかと……」

「はは……。みんなそう言われるけどな」


 セタスさんやアルシード王に続いてティアナまでそれかと、俺は溜息をつく。

 どうやらメロのおかげでだいぶ弛緩した空気になったらしい。


「えっと、ごめんなさい。メロちゃん、でしたね。初めまして、ティアナと申します」

「うん。はじめまして、せーじょ様。体が悪いって聞いたけど、大丈夫?」

「ええ。今日は少し具合が良くて。それに、リヒトさんやメロちゃんに会えて病なんて吹き飛んでしまったようです」

「……」


 そう言いつつもティアナの表情は憔悴しょうすいの色を隠しきれない様子だった。

 きっと、俺やメロに心配かけまいとして気丈に振る舞っているのだろう。


 メロもそれを感じ取ったらしく、頭から生えた獣耳が力なく垂れていた。


「ケホッケホッ……」

「お、おい。大丈夫か?」

「……は、はい。すみません、ご心配をおかけして」

「いやいや、そんなことは気にすることじゃない。というより、俺たちの方こそ突然訪れて悪かった」

「せーじょ様、休まないと」

「あ、ありがとうございます……」


 あまりティアナの体力を消耗させたくなくて、俺たちは病室を後にしようとする。


「あ、あの――」


 そして扉に手をかけたところ、背中に声がかけられた。

 振り返ると、ティアナがシーツを顔の所まで引き上げ、こちらに目を向けている。


「リヒト様、またお話できますか? その……。旅のお話とか、もっと聞きたいなと……」

「ああ、もちろん。またお見舞いに来るよ」

「メロも、もっとせーじょ様とお話したい」


 俺たちがそう告げると、ティアナは微笑んでくれた。


 その笑顔がどこか儚げで、俺は何としても彼女を救いたいと決意を新たにしていた。


   ***


「よう、どうだった?」


 病室を出ると、壁にもたれ掛かっていたアルシード王が声をかけてきた。

 どうやら気にかけてくれていたらしい。


「はい。あまり、良くないですね……」

「メロもそう思った。あれ、絶対に無理してる」

「そうか……」


 俺はティアナの容態を伝えるとアルシード王もまた悲痛な表情を浮かべる。


 アルシード王のことだ。

 ティアナが聖女だからということよりも、国のために力を割いてくれた少女が憔悴していくのを見過ごせないのだろう。


 そしてそれは俺も同じだ。

 絶対に彼女をこのままにはしたくない。


「とりあえず、俺の方でも他国に掛け合って治癒士などを手配してもらっている。ただ、王都の治癒士でもお手上げだったことを考えれば厳しいかもな……。何か打開策があれば良いんだが……」

「それなんですが、アルシード王」

「ん?」

「俺に一つ、心当たりがあります」


 その言葉で、アルシード王もメロも弾かれたように顔を上げた。


「本当か!? それはどんな?」

「はい。『プナリアの薬草』です」


 俺が告げると、アルシード王とメロは二人揃って目を見開く。

 二人ともその名前に聞き覚えがあったようだ。


「プナリアの薬草……」

「はい。王もご存知かもしれませんが、ツタール森林の奥地に群生している、希少な薬草です。あの薬草は万能薬とも言われるくらい効果が高いとされていますから」

「ああ、それは俺も聞いたことがあるが。そうか……」

「ぷなりあの薬草ってあるじがメロのためにとってきてくれた薬草のことだよね? 確かにあれ、すっごい効き目だった。そっか、それならせーじょ様を助けられるかも!」


 メロが目を輝かせながら言って、アルシード王は顔を上げる。


「リヒトお前、プナリアの薬草を採ってきたことがあるのか?」

「はい。5年前のことですが」

「5年前、か……」


 プナリアの薬草は極めて高い効果を誇る薬草であり、その効果は5年前、深手を負っていたメロが回復したことからも折り紙付きだ。


 しかし、プナリアの薬草は保存が効かない植物である。


 つまり、ティアナに服用させるためには新しくプナリアの薬草を採りに行く必要があることを意味していた。


 そしてその場合、一つ障害となるものがある。


 それをアルシード王も察したのだろう。

 曇った表情を浮かべ、俺に尋ねてきた。


「しかし、リヒトよ。5年前ってことは……」

「はい、分かっています。一筋縄じゃいかないでしょうね」

「……? あるじ、どーゆーこと?」


 問いに対し、俺はメロの方を向いて答える。


「元々、ツタール森林の奥地は凶暴な魔物が出没することで知られていた場所だ。でも、俺は一度その場所に行ってプナリアの薬草を手に入れたことがある」

「だよね。それなら……」

「しかし、5年前のその時は聖女ティアナの祈りの力が働いていた」

「あ……。そっか、せーじょ様の祈りって……」

「ああ。魔物を弱体化させる効果がある。そして今はそれが働いていない」

「よーするに、あるじが昔とってきた時よりも魔物が強くなってるってこと?」

「その可能性が高いな」


 ティアナが倒れて以降は、普通の場所でも強力な魔物と遭遇することが何度かあったのだ。

 元々強力な魔物が跋扈していた場所となれば、その脅威はますます高いものとなるだろう。


 しかし、今の俺にとってそんなことはどうでも良かった。


「お前のことだ。それでも行くって言うんだろ?」

「はい。何としてもあの子を助けたいですから」


 俺は先程出てきた病室の扉を見ながら、アルシード王の問いにはっきりと答える。


 そうさ。

 今まで俺はティアナの祈りで助けてもらってきたんだ。


 それに、あの子は自分の体があんな状態にありながらも、俺の帰還を心から喜んでくれていた。

 その献身に報いることができなくて何が元勇者だろう。


(必ず、助けてみせる……)


 そう胸の内で誓い、俺は拳を握った――。


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