第37話 【SIDE:ティアナ・ネクティス】聖女の想い


 私が初めて勇者リヒト様にお会いしたのは15歳の時だった。


 今でも鮮明に覚えている。


 リヒト様が勇者として魔王討伐の旅に出ることが決まり、私が聖女として祝福の儀式を行うことになったのだ。


「――勇者リヒト様に、女神の祝福があらんことを」


 王都ヴァイゼルの大聖堂にて。

 これから世界を救う旅におもむくリヒト様に向け、私は聖杖せいじょうを振るう。


 過酷な旅になるだろうと、周りの人からも聞いていた。


 聞けばリヒト様は、女神様の力でここではない別の世界からやって来たのだという。


 突然見たこともない異世界に召喚され、世界を救うという使命を告げられた重責はどれほどか。


 自分にはできないと、見ず知らずの人たちのために戦うなんて御免だと。

 そうやって勇者の責務から逃れることだってできたはずだ。


 いや、逃れるなどと言っては失礼だ。

 そう決めたとしても、リヒト様を責める者は誰もいなかっただろう。


 けれど、リヒト様は真面目で責任感の強い人だった。


 アルシード王の話によれば、リヒト様は「この世界の人たちの力になれるなら」と言って勇者の使命を引き受けたのだという。


「ありがとう。おかげで頑張れるよ」


 私が聖杖を下ろすと、リヒト様はそう言って笑った。

 その瞳には曇りがなく、そして迷いも無いように見えた。


 他人のために自分の危険を顧みず戦う――。


 その選択がどれだけ称賛されるべきものであるか、この人は理解しているのだろうか?


 祝福の儀式を終えて思ったのは、私もこの人の力になりたいということだった。


「あの、私もリヒト様の旅に連れて行ってくれませんか……!」


 気づけばそんな言葉が出ていて、自分でも驚いた。


 リヒト様も一瞬驚いたような顔をしていたけれど、すぐに「それはできない。君を傷つけさせるわけにはいかないから」と言った。


 それはそうだろう。


 私はその時まだ15歳で、聖女の力を持つ以外、身体能力が高いわけでもなかった。

 戦闘の役に立つどころかリヒト様の足を引っ張ってしまうのは目に見えている。


 それでも、リヒト様一人に背負ってほしくなくて、言わずにはいられなかったのだ。


 そして結局、リヒト様は一人で旅立つことになった。


 魔王を討つことができるのは勇者の力を持った者のみ。


 そういう伝承があったからか、同行する者もいない。

 いや、きっとリヒト様は他の人に危険を負ってほしくなかったのだろう。


 私が旅立つリヒト様の背中を見て思ったのは、どうかその勇気に見合うだけの祝福があってほしいということだった。

 そして、魔王を討伐した暁には、どうか自分自身のために生きてほしいと願っていた。


 リヒト様が旅に出られてから、私は毎日祈りを捧げた。


 私の祈りには、この世界に存在する魔物を弱らせる力があるらしい。


 例えリヒト様と一緒に旅はできなくとも、力になりたい。

 共に戦っていたい。


 そういう想いからだった。


 リヒト様の旅の無事を願って祈り続け、時折王都に届く報せから各地でのリヒト様の活躍を知り、でも無茶はしないでほしいと想いながら――。


 そうして5年が経ったある日、私は自分自身の体に異変を感じた。


 息が苦しい。

 体も重い。


 それが何故なのかは分からなかったが、何かに体を蝕まれている実感があった。


 その数日後、王都にある報せが届き、それは私にも知らされた。


 ――勇者リヒトが魔王を討つことに成功した。


 その報せを聞いた時、私は涙をこぼした。


 それはこの世界に平和が訪れたのだという感情からではない。


 リヒト様が無事だったという歓喜と、やっとあの人が重責から解放されるのだという安堵からだった。


 リヒト様がヴァイゼルに戻ってこられたら、お話をしたい。

 声をかけて、精一杯の祝福の言葉を投げたい。


 そう思っていたけれど、体を蝕まれる感覚は消えず、ベッドから起き上がることすらできなくなっていた。


 何人もの治癒士の方が訪れ、私を診てくれたが、原因は分からずに治療の成果も表れなかった。


 もしかすると魔王が遺した呪いのようなものかもしれないなと思いながら、ベッドの上で過ごす毎日が続く。


 ああ、申し訳ないなと。


 魔王が討伐されたとはいえ、私の祈りが無いと魔物が活発化してしまうかもしれない。

 せっかくリヒト様がこの世界を救ってくれたというのに、私が水を差すわけにはいかない。


 けれど、私は聖女としての力が発揮できなくなっていた。


 もしリヒト様が戻ってこられた際にもこのような状況だったら、いらぬ心配を与えてしまうだろうなと、それは嫌だなと、そんなことを考えながら日は過ぎていった。


   ***


「ティアナ様、お体の具合はいかがですか?」

「はい……。今日は少し良いようです」


 侍女の声でまどろんでいた意識から覚める。


 私はベッドの上に体を起こそうとするが、それも叶わない。

 むしろ心配をかけてしまったようだ。


 侍女は私に安静を促し、優しく声をかけてくれた。


 どうやら食事を持ってきてくれたらしい。


「すみません……。毎日ご迷惑をおかけして……」

「何を仰るのです。ティアナ様のお世話をすることくらい、迷惑でもなんでもありません。どんなことでもお申し付け下さい」

「……ありがとうございます」


 私は恵まれているなと思った。

 そして、この人たちのためにも聖女の力を取り戻したいと思った。


 でも、体が思うように動かない。


 もしかすると、このまま酷くなる一方なのかもなと、いつか目が覚めなくなってしまうのかもなと、そんな不安がよぎる。


 いや、遠からずそうなるだろうなという実感はあった。


(ああ。リヒト様ともう一度お話がしたかったけれど……)


 そんな考えを浮かべながら、私は窓の方へと目を向ける。


 その時だった。


 ――コンコン。


 部屋の扉がノックされ、侍女が応対しようと駆けていく。


 誰だろうかと思っていると、扉がゆっくりと開かれた。


 そこには――。


「り、リヒト様……」


 私がいつも想い、無事を願っていた人の姿があった。



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