第25話 感謝の形


「よっし。ラハテさんにおチビちゃん、準備はいいかい?」

「はい。よろしくお願いします」

「メロもおっけー」



 商業都市ガザドでのある日――。

 その日は幸いなことに雲ひとつ無い快晴で、とても気持ちの良い日だった。


「それじゃ、出港だ!」


 ドーグルさんが大声で叫び、俺たちは陸地から遠ざかっていく。


 ――今、俺たちはデスクラーケンを討伐した時と同じ船に乗っていた。


「ねえあるじ。熊のおっちゃんが『いいもの』を見せてくれるって言ってたけど、なんだろうね?」

「さあな。でも、ドーグルさんのことだから期待していて良いと思うぞ」

「ふふ、楽しみ」


(まあ、とはいえドーグルさんが何を見せようとしているのかは予想がつくけど)


 デスクラーケンを倒した後のこと。

 俺とメロはもうじきガザドを出発する旨をドーグルさんに伝えた。


 ドーグルさんは感謝の言葉を伝えてくれて、少し寂しそうな顔を浮かべていた。

 そしてその時、ドーグルさんは何かを思いついたかのように言ったのだ。


「もしできることなら、次の新月の夜まではこの街にいてくれねえか。見せたいものがあるんだよ」と――。


 俺はその言葉を了承し、次の新月の日までガザドに滞在することになった。


 そして今日がその新月の日――つまりは月が出ない夜である。


(確か、月が出ない日は綺麗な星が拝めると聞いたことがあったっけ)


 ということは、ドーグルさんは俺たちに見せようとしているのは「星空」なんだろう。


 船を使って街の明かりから遠ざかれば、より綺麗な夜空を体験できる。

 きっとドーグルさんはそういう考えで俺たちを誘ってくれたのだろう。


「さて、それじゃ夜になるまではのんびり釣りでもするか」


 そう言ってドーグルさんは三人分の釣り道具を持ってきてくれた。


「あるじ。釣りってなぁに?」

「ええと、この糸の先に餌を付けて魚を引き上げるんだよ」

「ほうほう、お魚」


 俺の言葉を聞いたメロの獣耳がピンと立つ。


 なるほど、食べたいんだなと。

 メロの考えを察して俺は苦笑する。


 どうやら今日はあらかじめ服用していた薬草のおかげで船酔いにはかかっていないようだ。


「釣った魚を食べるのも釣りの醍醐味だって聞くしな。ただ、実は俺も釣りをするのは初めてなんだが」

「ハハハ。旅してるってのにそれは損だぞ、ラハテさん。それならなおさらやっておかねえとな。ほら、まずは竿を貸してみな」


 ドーグルさんが丁寧に教えてくれて、俺たちは船から釣り糸を垂らす。


 俺が不気味な色の魚を釣り上げたり、メロが大物をヒットさせて皆で慌てたり、釣り上げた魚をドーグルさんが調理したりと――。


 辺り一面に海が広がる中、俺たちはそんな時間を過ごしていく。


「はー。お腹いっぱい。これならメロ、船の上で暮らしてもいいかも」

「言っておくけど今日は波が穏やかな日だからな。普通はもっと荒れるから船酔いで食欲も無くなるぞ」

「うん。やっぱり陸の上がいい」


 お腹を膨らませたメロが現金なことを言い始める。


 陽も沈んで、まもなく空も暗くなってくる頃合いだ。


「そういえば熊のおっちゃん、ありがとね」

「ん?」

「あの腕輪のお店を教えてくれて。あと、おこづかいももらって」

「ハッハッハ、そのことかいおチビちゃん。あれはおチビちゃんが働いた分の正式な報酬だよ。それよりもその腕輪、よく似合ってるじゃねえか」

「うん。あるじも喜んでくれた。おそろいでうれしい」

「そりゃあ良かった」


 やっぱりこの前に買った腕輪はドーグルさんが色々と便宜を図ってくれたらしい。

 俺からも感謝を告げると、ドーグルさんはニカッと笑って腕輪のことを褒めてくれた。


 良い思い出になりそうだなと、俺は着けた腕輪を空にかざして笑みを浮かべる。


 それからまた時間が経ち――。


「うわぁ、すっごいねー」

「ほんとだな……。こんな綺麗な星空、初めて見る」


 俺たちは三人で並んで、満天の星空を見上げていた。


 数多くの星が浮かんでいて、まるで空にも海があるかのようだ。


 静かな波音が聞こえてきて、柔らかい潮風に髪を撫でられるのも心地良い。


 月の明かりがないだけで、都市の明かりから離れるだけで、こんなにも違う景色が見られものかと、俺はそんな感慨にふけっていた。


「どうだい? いい眺めだろう?」

「はい、本当に良いものを見せていただきました。ありがとうございます、ドーグルさん」

「フッフッフ。どういたしまして……と言いてえところだが、まだラハテさんたちに見せたいものがあってな」

「え?」

「と、そろそろだな」


 ドーグルさんが甲板の中央から端の方へと移動したようだ。

 星の明かりのおかげで暗闇でも何となくの居場所を探ることができ、俺とメロもドーグルさんの後ろをついていく。


 すると――。


「う、わぁ……」

「こ、これは……」


 メロと揃って思わず息を呑む。


 海面が、青白い光に満たされていたのだ。


 明らかに人工物では作り出せないであろう幻想的な色が広がり、波のように揺れている。

 よく見ると小さな魚が群れを成しているようだった。


「『夜光魚やこうぎょ』って言ってな。何故だかは知らんが、新月の夜にだけ現れるんだよ。そんで、こうやって青い光を俺たちに見せてくれる」

「す、すごいですね……」

「ここ最近はデスクラーケンのせいで見に来ることもできなかったからな。だからこの景色が見られるのは、ラハテさんたちのおかげってわけだ」


 ドーグルさんの気遣いが嬉しくて、俺もまたドーグルさんに感謝を告げる。


(本当に、良いものが見れたな……)


 そうして、圧巻の光景を見ていると、不意にドーグルさんが声をかけてきた。


「これから旅を続けるラハテさんに、この景色はどうしても見せておきたくてな」

「え……?」

「ラハテさんも旅をしているから何となく分かると思うがよ。結局のところ、人は新しいモノが見たいから生きてると、オレは思ってる」

「……」

「それは期待と言っても良いかもしれねえな」

「期待、ですか?」


 俺はドーグルさんの呟いた言葉をそのまま聞き返す。


「ああ。例えば、これまで食べたことのない美味いものを食った時、人は感動するだろ?」

「うんうん。メロ、すごく感動する」

「ハッハッハ。おチビちゃんは特にそうだろうな。……そんでだ、こうやって今までに見たことない景色を見た時も同じさ。またこういう景色が見たいって、また新しい体験がしたいってな」

「……」

「そういう『期待』に惹かれるからこそ人は生きてるんじゃねえかって思うんだ。きっと、ラハテさんが旅を始めて、今もまだ旅を続けているのはそういう期待があるからなんじゃねえか?」

「…………。そう、ですね。そうかもしれません」


 俺は呟いて、空に浮かぶ星と、海に浮かぶ光を見やる。

 またこんな景色が見られたらなと、そんな感情が俺の心のなかにストンと落ちてきた。


「だからラハテさんに見せたかったんだよ。ラハテさんがこのガザドに来て、そんな期待をより一層持ってくれたら嬉しいなと。それがオレにできる一番の恩返しだろうってな」


 ドーグルさんは笑い、俺もまた笑った。


 本当に、旅というのは素晴らしいものだなと、そんな考えを胸に浮かべながら――。


   ***


「ドーグルさん、皆さん。本当にお世話になりました」

「熊のおっちゃんにみんなー。ありがとねー」


 翌朝、ガザドの大広場にて――。


 俺とメロは見送りに出てくれたドーグルさんや商会の人たち、そして街の人たちに手を振って、別れを告げていた


 手には街の人や料理屋の女将さんが持たせてくれた弁当やら果物やらをたくさん抱えている。


 本当にたくさんのお土産を貰ったものだ。


「ラハテさんたち、元気でなぁ! またガザドに寄ることがあれば顔を出してくれよ!」

「はい! もちろんです!」

「またねー!」


 そう言って俺とメロは何度も振り返り、ドーグルさんたちは俺たちの姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。


   ◆◆◆


「ふぅ。ラハテさんたち、行っちまったな……」


 二人の姿が見えなくなると、ドーグルは少し寂しげに溜息をついた。


 本当ならもう少し一緒にいて、酒を飲み交わし、食事を共にしたいというのが本音だったが、また二人が訪れたら思い切りもてなしてやろうと気持ちを切り替え、自分の部下たちに声をかける。


「さあお前ら、今日も張り切って仕事するぞ!」

「「「オォー!」」」


 ドーグルの指示を受け、フロント商会の者たちは自らの持ち場へと向かっていく。


 そんな彼らの後について行こうとして、ドーグルの目にあるものが留まる。


 それは数日前、ガザドで祭りが開かれた際にお披露目された、勇者の像だった。


「……」


 近くまで寄って、ドーグルは朝日を背負った勇者像を見上げる。


「あんまし似せてやれなかったな……」


 ドーグルは像を見上げ苦笑した。


 そしてそのまま、胸に手を当てて敬礼の姿勢を取る。


「本当に、ありがとよ」


 そう独り呟いたドーグルの顔は、とても晴れやかな笑顔だった。


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