第15話 窮地を救ったお礼に


「お待たせ致しました。こちら、グリオフィッシュの絶品ムニエルでございます」

「おおー、キラキラしたお魚!」

「これは……めちゃくちゃ美味そうだな」


 偽勇者の騒動が解決した後のこと。


 俺とメロは水神亭のダイニングルームで少し遅めの食事をとっていた。


 月夜にのみ花を咲かすという植物を使用したサラダに、危険な魔物が生息する地域でしか採れない岩塩を使用したスープ、グレートボアの希少部位を使った芳醇肉ほうじゅんにくなどなど。


 予想通りというべきか、今まで食べたことどころか聞いたこともない料理がずらりと並べられていた。


 おまけに提供される果実酒も一級品だ。

 前の世界でワインの類はどうにも苦手だったのだが、水神亭で提供される酒についてはまったく苦にすることなく口にすることができた。


 むしろめちゃくちゃに美味しくて、今まで俺はワインの良さを知らなかったんだなと思わせられるほどだ。


 そして今、エルメールさんが運んできてくれたのはメインディッシュであるグリオフィッシュのムニエルである。


 まず匂いが良い。

 その前にいくつかの料理を食べたというのに、空腹時と変わらないような食欲を呼び起こされる。


 そして何をどうしたらそのようになるのか、魚がキラキラと光っていて宝石が散りばめられているかのようである。


「グリオフィッシュは別名、水晶魚とも呼ばれていまして、これを見たいがために当宿を訪れるお客様もいらっしゃるほどなのです。もちろん、味にも自信がございますよ」


 エルメールさんが丁寧に解説してくれた。


 本来は宿のスタッフの仕事だろうに、オーナーが直々に料理運んで説明までしてくれるとはどこか恐れ多い気分だ。


 俺がそのことを伝えると、エルメールさんは柔らかく微笑む。


「いえいえ、何を仰いますやら。当宿の窮地に手を貸してくださったお客様方には当然のことでございます。それに、私もお二人と言葉を交わしたかったですしな。ささ、冷めないうちにどうぞお召し上がりください」

「はい。それでは遠慮なく」


 そうして促されるままにグリオフィッシュの魚肉を口へと運ぶ。


「う……まぁ……」


 思わず声が漏れる。


 何だこれは……。

 こんな美味い魚、食べたことがない。


 熱々の身が口の中でほぐれ、バターの香りと合わさって全身を駆け巡っているかのようだ。


 人間が美味いと感じる成分をこの魚に凝縮していると表現すれば良いんだろうか。

 これまで運ばれてきた高級料理も全てはこの前座だったんじゃないかとすら思える。


 まるで食レポのような感想になってしまうのも仕方がない。

 そうでもしないとこの料理に失礼だと思わせられるほどなのだ。


 あまりの幸福感に笑みが溢れる。

 本当に美味いものを食べた時、人は自然と笑ってしまうという話を聞いたことがあるが、まさにその通りである。


「これは……、本当に凄いですね。そりゃあみんながこれを食べに来るわけだ」

「メロ、こんなにおいしーの初めて食べた。他のお魚が食べられなくなるかもぉ……」


 メロが蕩けた声を漏らしていて、気持ちはとてもよく分かると頷いた。


「そのようにお褒めいただき光栄です。でしたら他の調理法でも食べていただきたく思うのですが、お二人はまだ余裕はおありですかな?」

「え、おかわりいーの!?」

「いいんですか? 希少な魚なんでしょう?」

「ええ。もちろんでございます。そもそも貴方たちがいなければなかった魚ですからね。それと……」


 エルメールさんはどこか別の場所を見るようにして、それから言葉を続けた。


「お客様が一人、キャンセルになりましたからな」


   ***


「ごちそうさまでした!」

「でした!」


 全ての食事を平らげた後、俺もメロも手を合わせて感謝の意を表した。

 もういっそ、さっき食べた料理の数々を胃の中に貯蔵しておきたいくらいである。


「ありがとうございます、エルメールさん。どの料理もすごく美味しかったです」

「メロ、まだまだいける」

「そりゃあメロはそうだろうな。それにしても、さっき食べたグリオフィッシュの塩焼きなんて最高だった……。麦酒エールともめちゃくちゃ合うし」

「はっは。後でシェフたちにも伝えておきますよ。きっと喜びます」


 食後の後の緩やかな空気が流れ、俺はエルメールさんと談笑する。


 演奏家たちが流す音楽に、大水槽に囲まれた幻想的な空間。そして美味い食事と。

 改めてここがアクセリスでも一番の高級宿なのだと思い知らされる。


「ところで、お預かりした宿泊券は1泊分でございましたが、お二人とも明日はアクセリスの観光ですかな?」

「あ、そうですね。明日街を少し見て、それで出発したいと思っています」

「アクセリスは街並みを見ているだけでも気分が高揚しますからな。それがよろしいかと思います。私としてはご恩がありますし、もっとこちらに泊まっていただいてもいいと思っておりますが」

「ありがとうございます。でも、この世界の各地を旅して回ってみたいと思っていますので。色んな景色を見て、色んな体験をしたいな、と」


 俺が伝えるとエルメールさんは「そうでしたな」と言って柔らかく微笑んでくれた。


 まだ新しい旅を初めて数日しか経っていないというのに、これほどまで色んな経験ができるとは思っていなかった。


 だからこそこの世界の色んなものをもっともっと見てみたいという思いが高まっている。


 それはメロも同じ気持ちらしく、うんうんと頷いていた。


「それでしたら――」


 と、エルメールさんが何かを思い出したかのように言葉を発する。


「アクセリスの外れにいい場所がございますよ」

「いい場所?」

「はい。きっとお気に召されるかと」


 そう言って、エルメールさんは何かを取りにスタッフルームの方へと向かっていった。


   ***


「おおー! ちょーすごい景色!」

「これは本当に絶景だな……。エルメールさんに感謝しなくちゃ」


 翌朝――。


 水神亭のふかふかのベッドで一夜を明かした俺たちは、早朝にとある場所へと出かけていた。


 手にはエルメールさんから渡された小さめの地図がある。

 ここはエルメールさんがお勧めしてくれた場所なのだが、既に来て良かったなと感じていた。


 遠くに見えるのは緑豊かな山景色。

 そしてその山々を繋ぐように白い雲が満ちている。


(まるで雲が海みたいになってる。確か、雲海うんかいっていうんだっけ、こういうの)


 今俺たちがいる場所はそれなりの高所である。

 朝早く、地元でも限られた人しか知らない穴場ということもあってか、俺たち以外に人はいない。


 眼下には一面に雲が広がっていて、それは何とも不思議な光景だった。


 これだけでも来てよかったと思えるほどだが、エルメールさんがこの場所をお勧めしてくれたのにはもう一つワケがある。


「この水ふしぎー。ぽかぽかであったかーい」


 メロが自分の手をけているそこには、白い湯気の立つ温泉があったのだ。


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