参 約束
神社の鎮守の森は昼でも夜のように真っ暗だった。
その頃の『ぼく』はまだ、小学校に上がる前の子供だ。
暗い森に一人ぼっち。
普通の子供なら、怖くない方がおかしい。
だけど、怖くなかった。
いらない存在として生きていた僕にとって、森の中の暗がりはなぜか心地良く感じたんだ。
闇が呼びかけてくる。
もっと、こっちにおいでよと。
手を振って、もっと近くに来るように呼んでいたんだ。
藪の中を抜け、異音がする方に向けて、走った。
棘が腕を傷つけ、痛みが走ろうとも気にせず、駆けた。
微かな痛みが辛うじて、僕がまだ僕であることを認識させてくれたからだ。
森の中で唯一、少し、開けた場所が異音の発生源だった。
その場所だけ、太陽の光を邪魔する高い木々が周りに無い。
夕暮れ時。
黄昏時。
逢魔が時。
茜色の夕焼けが照らす場所に
ソレが食い散らかしたのだろうか。
周囲にはかつて人だったモノが見るも無残な姿でいくつも散乱していた。
臓物らしき悍ましい代物や引き抜かれたとしか思えない手足。
人間の所業とは思えなかった。
噎せ返るような吐き気を催す匂いは多分、彼らが流した血のせいだ。
ソレは灰を塗したようなややくすんだ色合いの灰がかった白の着物を着ていた。
片手でいとも簡単に大人の男の人を持ち上げるとその首筋に食らいつき、肉を引きちぎった。
男の人はまだ辛うじて、息があったのか。
何かを言おうと微かに口を動かした。
それはきっと僕に助けを求めるように動かしたんだろう。
だけど、やがてピクリとも動かなくなった。
首からシャワーのように赤い液体が迸る様子をただ茫然と見つめていた。
「キサマ、ミタナ?」
「うん」
たっぷりと人の血と肉を味わったソレは、物言わぬ骸となった男の人を物のように放り投げた。
今更のように僕に気付いたと言った素振りで話しかけてきた。
僕には分かった。
ソレは嘘を言っているんだってね。
ソレは僕が見ていることを知っていて、わざと見せているのだと本能的に察していたからだ。
「お前もこうなる。怖いだろう?」
ソレは転がっていた生首――まだ、辛うじて人の形を留めていた――を手に取るといとも簡単に握りつぶした。
グシャリという耳障りな音とともに肉片や脳漿が飛び散った。
「……!」
ソレは音もなく、僕に近付いてくると僕の襟首を締め上げた。
軽々と宙に持ち上げられて、首を絞められていた。
死ぬのかもしれないと僕は漠然と考えた。
「お前……怖くないのか?」
怖くなかった。
これで楽になれると思った。
誰からも必要とされない僕。
いるのにいないものとして扱われる僕。
そんな僕に怖いものなんてなかった。
ソレはとてもきれいな女の人だった。
返り血を浴びたそソレが僕には聖母のように見えた。
母親を知らないで育ったから、命を終える瞬間にそんな幻を見たんだろうか?
夕焼け色に染まったソレの目はさっき見た真っ赤な液体のようにきれいな色をしていた。
「つまらん……怖がらない者は不味い。それにお前……もしや? あぁ。そうか、そうか。そういうことか」
吐き捨てるようにソレは言うと僕の体は無造作に大地に投げ捨てられた。
痛みがある。
僕は楽になれなかったようだ。
ソレは終わらせてくれなかった。
「わらわを見たことを漏らせば、お前を殺す」
『ぼく』はなぜ今、殺してくれないのか。
不思議に思いながらも無言で頷いた。
そんな僕を見て、ソレはどこか満足気に見えた。
化け物としか思えないソレが誇らしげに腰に手をやり胸を張る様子は、とても化け物とは思えなかった。
僕のことを化け物のように遠巻きに見てくるあいつらの方が化け物に見えた。
「わらわは常にお前を見ている。ゆめゆめ油断するなかれ。わらわはずっとお前の傍にいる」
一陣の風が吹いた。
再び噎せ返るような血生臭い匂いが充満して、ソレの姿は消えていた。
夢だったのだろうか?
そう思い、辺りを見回した。
散乱していた人であったモノも最初から、そんな物などなかったようになくなっていた。
ふと気付くと散乱していたモノをきれいに片付け、去っていく小さな後姿が見えた。
朧気に覚えている母と同じ、灰を被ったような灰色の髪を揺らし、去っていく小さな影だった。
さっきのソレと比べると遥かに小さい。
僕よりもちょっと大きい程度の影にどこか懐かしさを感じたのはなぜだったんだろう?
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