第4話 プロレスラーは最強です

 試合当日、東京ドームの控え室には、新調されたXのマスクを被った浩司と、大学の入学式の時に着用したパンツスーツの美樹がいた。

 目には、赤いフレームのサングラス。口元は、風邪用のマスクで隠してある。

 やけにパンパンなハンドバッグを持っている。

「美樹ちゃんは、一応選手のマネージャー、という形でリングインが認められているからね」

 気の弱そうな渉外部長が、余裕がない雰囲気で言った。

「ありがとうございます!」

 満面の笑顔で美樹が言った。

 渉外部長が、少し癒されたような表情をする。

「美樹」

「なあに、お兄ちゃん」

「俺が、タオル投げろ、って言ったら、すぐにタオルを投げるんだぞ」

「わかってるよ」

「そのために、お前も一緒に入場してもらえるようにお願いしたんだからな」

 最初、ブロスナー陣営は、セコンドがつくことを拒絶した。だが、ブロスナー陣営も、一人セコンドをつけることと、こちらは選手ではなく、選手の肉親で、大学の外国語学科で英語を学んでいる、いわゆる通訳だというと、許された。

 ドームは一応、満席という形にはなっている。セミファイナルで、他のメジャー団体とのダブルタイトルマッチが組まれており、そちらの団体のファンも多く入っている。会社の幹部としては、一旦安心というところだろう。

「浩司、プロレスは興行だ。お客さんを喜ばせてナンボだ。そこんところ頼むよ」

 渉外部長は言った。秒殺されるな、という意味だと浩司は受け取った。

 いつもの試合をする前の緊張はない。ただ、殺されたくない、という気持ちだけだ。

「行こうか」

 浩司はマスクを被る。

 ここからは、謎の白覆面Xだ。控え室を出て入場ゲートの入り口へ向かった。

 ドーム内に、アフリカンシンフォニーが流れる。もうこれが格闘家Xの入場テーマ、ということになってしまったのだろう。

 ブーイング混じりの大歓声の中、入場する。ブーイングには、白覆面への愛情もこもっている気がした。

 どうも、自分はマスクを被ると、少し気が大きくなるらしい。別人格とでもいうのだろうか。

 マネージャーの美樹を連れ、花道の両側のファンを威嚇しながら、リングへ向かっていく。

 リングに上がる前、白覆面はレフェリーの入念な身体チェックを受ける。今回、道着は禁止なので上半身は裸だ。パンプアップして筋肉を大きく見せる準備はした。

 最後にマスクに凶器が入っていないか確認され、リングの中に入る。浩司の妹、美樹も一緒だ。

 続いて、リック・ブロスナーが入場してくる。アメリカの大スター。総合格闘技のチャンピオン。浩司は入門前、何度もTVで見ていた入場シーンだった。

 向こうのセコンドは、元レスラーのカール・ヘミングだ。浩司はこっちが相手でも勝てないだろう。

 入場後、レフェリーから英語でルールの説明を受ける。まだ海外遠征にも行ったことがない浩司には何を言っているかわからないが、事前に説明は受けていた。

「XXXXXXXXX」

 ブロスナーが何かを言ってきた。

「なんて言ってるんだ?」

 浩司は美樹に尋ねた。

「正々堂々と戦おう、だって」

 美樹は、笑顔で言った。本当は、すぐに病院送りにしてやるぜ、だったのだが、美樹は適当に誤魔化した。

 ヘミングも何やら浩司を挑発してくる。

「さのばびぃぃぃぃっち」

 覆面をかぶって気が大きくなっているのか、やけに強気だ。

 怒って白覆面に殴りかかろうとするヘミングをレフェリーが必死に抑える。

(えっと、こっちのポケットだったかな)

 美樹は、スーツのポケットに手を入れるた。

「えいっ」

 掴んだ塩を、ブロスナーの顔に投げつけた。

 両目にまともに喰らい、転げ回るブロスナー。

「えい、じゃないでしょ。何やってくれてんの!?」

 浩司は慌てた。レフェリーはヘミングを抑えていたので見ていない。

「ほら、お兄ちゃん。攻撃しないと」

 確かにチャンスだ。我に帰った浩司は、ここぞとばかりにブロスナーを蹴り付ける。

 試合が始まったと見たレフェリーは、ゴングを要請。

 カーン、と鳴り響き、試合開始。

 美樹は慌ててリング下に降りる。美樹の塩攻撃を見ていたヘミングは、猛抗議を続けている。リング外に押し返そうとする谷田部レフェリー。

 白覆面は、ブロスナーをストンピングで蹴りまくっている。

 波乱の始まりに、観客は総立ちだ。

 ブロスナーが白覆面の足を掴んでそのまま引き倒した。

 両目は真っ赤に充血している。塩のためか怒りのためか、わからない。

 捕まった白覆面は、這って逃げようとするが、後ろからスリーパーホールドに捕えられた。

 締め落とすため、ではなく、できるだけ苦痛を与えるためだろう、首が折られる、と浩司は思った。

 必死にタップする。

 しかし、レフェリーは、ヘミングを抑えており、こちらを見ていない。

「投げろお!」

 美樹がタオルを投げれば気づくはずだ。

 美樹は、首を傾げている。

 大歓声。

 首を絞められている浩司は、大きな声をだせない。

「美樹、投げろおおお!!」

 必死に叫ぶ。

 このままでは本当に首が折れる。

 美樹は、ぽん、と手を打った。

 合点が言った。

 ハンドバッグから何かを取り出し、こちらに投げた。

 見事なコントロールで白覆面の手に収まったそれは、工具のスパナだった。

 浩司はギョッとした。

 ブロスナーもぎょっとした。

 浩司が助かる道は、一つしかなかった。

 ゴキっ、という鈍い音が響き渡った。

 残った力を振り絞り、スパナでブロスナーの頭を殴打した。

 ふっ、と首を絞める力が弱くなった。

 浩司は慌ててスパナを美樹に投げ返した。

 ブロスナーは白目をむいている。

 プロレスは5秒以内の反則なら許されるのだ。

 浩司は、咳き込みながらゆっくり立ち上がった。

 振り向いたレフェリーが、失神しているブロスナーを確認し、ゴングを要請する。

『1分30秒、ノックアウトにより格闘家X選手の勝ちです』

 ヘミングが狂ったように怒り、白覆面の浩司を追いかける。

 浩司は、素早くリング下に逃げた。

 美樹の姿はもうない。素早く控え室に逃げ帰っていた。

 花道から超日本プロレスの選手たちが駆け込んでくる。

 3人がかりでヘミングを抑え、それ以外の選手はブロスナーを抱えて退場していく。

 浩司は、隙をついてヘミングに椅子攻撃。

「これ以上混乱させるな」

 先輩が怒鳴る。

 ゴングが乱打される。

 東京ドームは、興奮の坩堝と化していた。

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