第103話 最後の試練


「キャシー、なんとかならないか……? 君は電子戦は得意なんだろ……?」


「無理ですね。いくら私でも、日本の最新鋭のセキュリティーは敗れませんよ。それにもう、本隊へは"死亡報告"が上がっているでしょうし、諦めてください」


 キャサリン少尉にそうぴしゃりと言われ、ジェイソン中尉はがっくり肩を落としながら、キャンプサイトの後片付けを続けている。


 この試験には敵兵役で米軍が協力してくれていることから、お互いの"撃破"を判定するためのプログラムが導入されている。そのプログラムから"死亡報告"というものがあがると、その者はこの地域から退場のなるといった仕組みだ。


「ではキャサリン少尉、自分達はこれで失礼します」


ジェイソン中尉らの排除で、時間を使いすぎた俺たちは、時間的にもここから早々に立ち去らねばならない状況にあった。


「本当に食べて行かなくていいの?」


 キャサリン少尉は、せっかくだからブリスケットを食べて行けと言ってくれていたが、俺と橘さんは丁寧に断っていた。

多少水を分けてもらい、喉の渇きを存分に癒したので、それで十分だった。


「食事制限もこの試験の課題ですので」


「わかったわ、変なこといってごめんなさい。二人の合格を祈っているわ!」


「ありがとうございます。少尉も気をつけてお帰りください!」


 そう別れを告げた俺は、再び橘さんと共に道を歩み始める。


 制限時間まであと1日と少し。

多少危険な道のりになってはしまうが、ルート変更をせざるを得ない。

そこで俺たちは、仕方なく道幅が狭く、何より険しい山道を進むこととした。


「はぁ……はぁっ……!」


俺と橘さんは力を振り絞り、険しい山道を進んでゆく。

だが、想像以上に足元が悪く、道程は遅々として進まなかった。

更に豪雨まで発生し、速度低下に拍車をかけた。


(これはマズいぞ……)


 このままでは時間通りに辿り着けず、不合格になってしまう。

ここまで頑張ったのだから、その結果だけはごめん被りたい。


「た、田端さん! もう危険です! 今日はもう終わりにしましょう!」


 後ろから橘さんがそう言ってきた。

確かに完全に日が沈んでしまえば、この道を進むのは非常に危険だと思う。

だが……


「いや、進もう! 時間がないんだ!」


「ま、待ってくださいっ!」


 俺は橘さんの言葉を振り切り、新たに一歩を踏み出す。

ここまでほとんど問題なく進み、更にジェイソン中尉らさえ退けた今の俺なのだ。

多少無理をしてもなんとかなるはず……と、思ったその時のこと。


「ーーっ!?」


 一瞬、身体がフワッと浮いたように感じた。

まるでめまいを起こしたかのように、身体のバランスが崩れる。


「ああぁぁぁーーーーっ!」


 俺は何度も垂直な岩肌に身体をぶつけつつ、断崖絶壁を落下してゆく。

しかし辛うじて、岩肌の隙間へ指を挟み込み、落下を止めた。

でも、それだけだった。

重い荷物を背負い、更に体は疲弊しているのだ。

ここから自力で這い上がるのは不可能な状態なのは、自分でもよくわかった。


「田端さんっ! 大丈夫ですか!?」


 橘さんは自らの危険も顧みず、谷間へ身を乗り出し、こちらへ叫んでくる。

 もはやこうして断崖にぶら下がっていることしかできない俺に余裕はなく、何も答えられなかった。

すると俺の頭上で橘さんが荷物を下ろし始めた。

彼女の手には背嚢から取り出したザイルが握られている。


「だ、だめだ! もう、俺のことは良いから、橘さんだけでも!」


 岩壁に指を食い込ませながら叫ぶ。

しかし橘さんは横殴りの雨に打たれながら、ザイルを伝って、懸垂降下をし始めていた


「諦めちゃだめっ!」


橘さんにしては珍しく、雨音をかき消すほどの大声量で励ましの言葉を発した。


「で、でも……俺……」


過酷な総合技術評価試験での疲労と、目下に広がる奈落によって、俺の意思はすでに砕けてしまっていた。


(しょせん、俺はこの世界のみんなみたいに強くないんだ……臆病で、平和ボケした世界で生きてきた情けないやつなんだ……ここのみんなみたいに、使命感も覚悟もない、だめなやつなんだ…)


さらに訓練校で常に成績トップで、将来を嘱望されている橘さんを、俺のようなへなちょこのために失うわけにはいかない。


「もう俺なんかのことなんて良いから! もう放っておいてくれ!」


「諦めちゃだめっ! こんなとこで死んじゃだめっ!」


俺のカッコ悪く、情けない言葉を、橘さんは強い言葉で一蹴する。


そして気付けば、真横にはザイルで体を固定した橘さんいて、俺へ手を差し伸べていた。


「田端さん、こっちへ! 絶対に助けるから! 大丈夫だから!」


 だが、差し伸べられた手を取るためには、一瞬だけ岩壁に食い込ませた片手を離さなければならない。


「で、できない……こ、怖い……!」


「……」


「ごめん、やっぱり俺……」


 すると勇気が出せない俺へ、橘さんはザイルを少しずつ横へずらし、肩と肩が触れ合う距離まで接近してくる。 


「大丈夫だよ。怖くないよ。ちゃんとみんなと同じ訓練について行けるようになった田端くんならできるよ」


 この世界の橘さんは、俺にずっと寄り添ってくれていた。

何故か、俺のようなへなちょこに構ってくれて、それが俺はたまらなく嬉しくて。

嬉しさが活力になって、努力をするのが苦にはならなくなって。

そうしたらまた橘さんが、俺のことを褒めてくれて。

そしたらまたやる気が湧いて、頑張って。


"異世界の"ではあるけれど、ずっと憧れていた女の子と仲良くなることができたことは、俺に自信と、自分を信じる強さを与えてくれて……


「さぁ、こっちにきて! しゅうちゃんっ!」

 

再びの橘さんの頼もしい言葉を受け、俺の中で何かが弾けた気がした。


"死にたくない"と強く思い、無事生還して、俺以上に勇気を出してくれた橘さんへ感謝を伝えたくなった。


「っ……!」


 俺は思い切って岩肌から片手を離し橘さんへ向ける。

彼女は俺の手をしっかりと握りしめてくれるのだった。


「うん、それでいいよ。遠慮しないで背中に乗って」


「い、良いのか?」


「大丈夫。遠慮しないで! さぁ!」


 多少の気恥ずかしさと申し訳なさの中、橘さんの背中へ乗り移った。

途端、2人分の体重と俺の背負った荷物の重量がかかり、ザイルへより一層の緊張が走る。


 しかし橘さんは至って冷静に背中へ乗り移った俺を別の紐で固定した。


「お、重くない……?」

 

「大丈夫! へっちゃら! もうちょっとだよ!」



ーー結果、俺は橘さんのおかげで、急死に一生を得ることができた。


 俺たちは今、雨風を凌ぐために、この間のようにポンチョに包まってお互いを抱き合っている。

胸の内が激しく高鳴っているのは、急死に一生を得たことへの安堵か、そのまた別か。

きっと俺の胸へ顔を寄せている橘さんは、この鼓動をしっかりと聞いているに違いない。


「心臓の音、うるさいよね。ごめん……」


「大丈夫。それは田端さんが、こうして生きてくれている証拠だから……」


 呼び方がまた"田端さん"に戻っていた。

正直、先ほど俺が勇気を出せたのは彼女が俺のことを"しゅうちゃん"と呼んでくれたことが大きい。


「あ、あの橘さん……」


「なに?」


「さっき、俺のことをしゅうちゃんって、呼んでたけどあれって……?」


 意を決してそう問いかける。

すると彼女の背中がビクンと震えた気がした。

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