第99話 二人きりの密林


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 起伏に富んだ密林はとても歩きづらかった。

更にMOAのブラックボックスを想定した5キロの重りを始め、様々な物品を詰め込んだバックパックの重さは20キロをゆうに超えている。

息が荒くなってしまうのは当然といえば当然。

しかし、


(これくらいならなんとか行けそうだな!)


 そう余裕を感じられるのは、必死に訓練を積んだ成果なのだろう。

努力がこうして実り、結果として現れるのはこんなにも嬉しいものなのかと実感しながら、一歩一歩地面を踏み締めてゆく。

しかしふと、背後の気配が薄いと感じ、振り返ると……


「橘さん! 大丈夫か!?」


「はぁ……はぁ……ご、ごめんなさい……! すぐ、追いつきます……!」


 橘さんは重い荷物に翻弄されつつ、ヨチヨチ歩きでこちらへ近づいてきている。

 俺は橘さんを置いて先行しすぎてしまったことを反省しつつ、彼女へ近づいていった。


「ごめん、橘さん、先行しちゃって……小休止にしよう」


「わ、わかりました……」


 橘さんは少しほっとした表情を浮かべた。

荷物を下ろし、大きな木陰の元へ座り込むと、すぐさま水筒を取り出し蓋を開ける。

そして約10mlしか入らないキャップへ水を落とし、それを飲み込むと、すぐに蓋を閉めるのだった。


「っ……」


 もう少し飲みたさそうは橘さんの表情は見ているだけで辛い。

だが、彼女も、そして俺も、所持している飲料水はこの水筒一本限りなのだ。

行程から察するに水源を探して、追加の水を手に入れる暇など皆無に等しい。

だからこうしてできるだけ飲料水を節約する必要があるのだ。


「どうぞ」


俺はたった1杯ではあるけれど、自分の水を橘さんへ差し出した。


「え……? い、良い、んです、か!?」


「しょぼくてごめん。でも、せめてとおもって……」


「せめて?」


「俺、ずっと橘さんに迷惑かけ続けて来たから」


「迷惑だななんて、そんな……」


「良いから! そろそろ小休止終わりにするし!」


 水の入ったキャップを無理やり手渡す。

ようやくキャップを受け取ってくれた橘さんは、愛らしい笑みを浮かべる。


「ありがと、ございます。このお水の味、"しゅうちゃん"の優しさ、一生忘れません……!」


「あ、ああ……」


 今の言葉の中にすごく気になるところがあったが、今は状況が状況なので聞き流すことにした。


(しゅうちゃんって、そんな風に呼ばれたことなんてなかったよな? でもなんだろう……今の呼び方にホッとした感覚を覚えたというか、

どこか懐かしいような……?)


ーー一休憩を終え、わずかながら体力を回復させた俺と橘さんは、再び美咲山の頂上を目指しての行軍を再開する。


 この世界にスマホやGPSといったものは、基本的に存在しない。

だから頼れるのは白黒の線のみで描かれた地形図と、コンパス代わりの腕時計のみ。

きっとこれらを渡されても、元の世界にいた頃の俺では途方にくれてしまい、遭難は確実だっただろう。

しかし、今となっては、地形図は配布してくれるだけありがたかった。


「少し急だけど、こっちの斜面から向かったほうが、近道で余裕ができると思うけど……」


山を示す等高線の中から、最短で且つ比較的斜面の緩やかなルートを提案する。


「橘さんの体力的に問題……って、どうかした?」


「あ、い、いえ! ちゃんと読図、できるようになってて、偉い、ですっ!」


「ありがとう。これも橘さんが教えてくれたおかげ……って、顔赤いけど、大丈夫か?」


「あ、ああっ! だだ、大丈夫です! ただの疲れ、ですっ! で、このルート、すごくいいと思います!」


 そんなやりとりをしつつ、俺たちは順調に道をするんでゆく。

やがて陽が傾き始めた頃、空が突然、曇天に覆われ始めた。

雨が降りそうだった。

すると俺たちは、まさに天の恵みだと、敢えて森の開けた場所へ身を晒す。


「雨だ! 橘さん、雨だよ!」


「はいっ! 雨ですっ! わぁ!」


 俺と橘さんは雨にわざと濡れてびしょ濡れとなった。

正直、お互いに喉がカラカラだった俺たちは、着衣や手袋に染み込んだ雨水を、ガブガブと飲んでゆく。


 生まれて初めて、雨が降って嬉しいと思う瞬間だった。

しかし、それも僅かな時間であって、


「う……さ、寒いっ……!」


「ちょっと、調子に乗りすぎちゃいました、ね……?」


 強い雨足は気温を一気に下げ、更にずぶ濡れの俺たちは寒さに震えていた。

加えてまもなく夜を迎えるため、更なる気温低下は免れない。

橘さんの言うとおり、少し調子に乗りすぎてしまったようだ。


 少しでも体温を逃さないようポンチョを被り、座り込む。

まるでてるてる坊主のような情けない成りだが、背には腹変えられず、我慢するものとする。

と、そんな中、隣から橘さんの姿が消えていることに気がつく。


「な、何してんの……?」


「ひぅっ!?」


 なぜか橘さんは四つん這いになって、俺のポンチョの裾を捲っていた。


「あ、あの、えっと……は、入ろうと、思って!」


「な、なんで……?」


「そ、そのままおとなしく、しててくださいっ! 任せてくだ、さいっ!」


 橘さんは勢いのまま、そう捲し立て、スルスルと俺のポンチョの中へ侵入してくる。

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