第27話 2人目の羊

〔これまでのあらすじ〕

オシリスの羊シロ、魔王の娘クロ、誘拐された妻を探すアラクネ族の末裔パウク、死を偽装して自由になった元騎士イグニス、彼を慕う元騎士ヴィトラ。5人の世界を救う旅は続く。

南部凸状領地にある街キリスティナの廃坑に潜入した5人は地下深くの穴の奥でオシリスの羊の棺と思われる物体を発見した。


「これが…棺…?」

イグニスは右剣ヨモツを抜くと刃を炎で包み頭上に持ち上げた。

ドーム状の空間が光で照らされる。ドームの中心に浮かぶ棺はそれを中心として様々な道がドームへと繋がっていた。

シロもクロもヴィトラもまだドームには足を踏み入れていない。接続部分、その境界ギリギリのところで立ち止まっていた。

「どうしたんだよ」

背後からそう声をかけて同じ位置に立った瞬間、イグニスは全身の毛が逆立つのを感じた。

――ッッッ!?なんだこの圧は。まるで何人たりとも寄せ付けないとでも言うような禍々しい圧。迂闊に近づいたら、何が起こるか分からないとでも?

魔術解析サピテリア

ヴィトラがドーム状の空間全体を

「何よ…コレ」

呟くのも無理はない。今ヴィトラの眼前に広がっているのは流動する黒紫色のモヤ。目を逸らしたくなる気味悪さをなんとか耐えてヴィトラは凝視を続ける。

意識をモヤの奥、棺へと集中させる。すると次の瞬間、棺の右上に緑色の目が開いた。

「ヒッ」

ヴィトラは短い悲鳴をあげて後ろに尻餅をついた。

「どうした!?」

「い…今…目が…」

「目?」

イグニスも棺を睨む。

「何も見えないぞ…」

「私を見た…。確かに目があった。あの箱の中には何かがいる…。恐ろしい何かが!」

「落ち着けヴィトラ。俺も見えはしないが、確かに圧を感じる。それも相当のものだぞ。なあクロ、どうする」

イグニスはクロに指示を仰いだ。

「…近づいてみるしかないわよ」

クロは棺にそして空間全体に目を向ける。

「だよな。…俺が行く」

「分かった。パウク、念の為イグニスに糸を引いて」

「瞬間移動対策か」

「無いよりマシよ」

パウクはイグニスの腰に糸を巻きつけた。

「ふぅ…」

イグニスは息を吐くとドーム状の空間をキッと見つめて中に右足を踏み入れた。

静寂。イグニスには何も起こらなかった。そのまま左足をさらに前に出す。イグニスの体が完全に空間の中に入った。

その瞬間、イグニスは見えざる力によって地面に叩きつけられた。うつ伏せの状態で地面を舐める。

「イギッ」

首を曲げ、右耳をつけた状態で口を開いた。

「動けねぇ。首を動かすので精一杯だ…」

「パウク!引っ張って!」

「やってる!でも物凄い力だ。まるでびくともしない」

シロがパウクの前に加わって共に糸を引く。

「ヴィトラ!もう一度!」

クロは慌ててヴィトラを起こす。ヴィトラは臆することなく再び空間を

「魔術解析」

眼鏡のレンズに映ったのは、黒紫色のモヤがイグニスの体を押し潰そうと下方に流れていく様子だった。

「ダメ…だ…くるし…」

イグニスは気を失った。その情報が同時にレンズに映る。

「パウク!」

「まだ…足りない…ッ!」

クロとヴィトラもシロの前に加勢する。しかし4人で引っ張ってもイグニスは微動だにしない。

「イグニスッ!」

ヴィトラが名を叫んだ時、イグニスの目がカッと見開かれた。

「イグ…」

「役ノ無イ者ハ我ガ前カラ消エ去ルガイイ」

普段よりも低い声でイグニスは唸った。

「まさか乗っ取られているのか!?」

パウクの言葉を聞いて空間の境界線まで飛び出したクロはイグニスに話しかけた。

「聞いて!私の名前はクロ。魔王の娘。私は世界を救うためにオシリスの羊を探している。お願い、力を貸して欲しいの!」

「2度ハ言ワヌゾ」

イグニスはヨモツとマガツを抜いた。

「この通りよ」

クロは両膝をつき、額を地面に擦り付けた。

「ナラバ死ヌガヨカロウ」

イグニスはクロの前に立つと双剣を頭上に振り上げた。

轟斬撃剣エクセス

――ドスッ

イグニスの足元に一本の剣が突き刺さった。

糸から手を離したシロがゆっくりとイグニスに近づいていく。

「クロさん、後は任せて」

クロを立たせるとイグニスの目の前に立ち塞がった。

「オマエハ…」

シロは頭上で静止しているイグニスの腕を掴むと自らの背後に投げ飛ばした。空間の境目を抜け、イグニスが倒れる。パウクがそばに寄った。

「無事だ」

シロはそのまま境界に足を踏み入れた。

「シロ!」

クロの声も聞かずシロは2歩目を前に出した。シロの体全体がドーム状の空間の中に入る。

しかし何も起こらなかった。シロは目の前の棺に向かってどんどん進んでいく。

「どういうこと?モヤが…無くなっていく…」

「え?」

クロはヴィトラの言葉に振り返った。

「シロの体に触れたところからモヤが。中和しているとでも言うの?」

シロが棺の前に到達した。4本の鎖が激しい音を立てて動き始め、棺が落下した。

シロは目の前のそれに触れる。模様が刻まれた灰色の縦長の直方体は石でできているのか、触れるとひんやりと手の熱を奪う。

「あっ」

刹那、棺の表面から伸びた手に腕を掴まれたシロはその内部へと引きずり込まれた。棺は開くこともなく、ただ表面に波紋が広がると次第に揺れも止まり元の状態に戻った。ただ一点、シロを飲み込んだことを除けば。

「……シロ…?」



シロは目を覚ました。

「ここは…?」

薄暗い煉瓦造りの建物の中。その長い廊下の中にシロはいた。一定間隔で吊るされたランプ。廊下の左右には牢が並ぶ。

「この牢…どこかで…。あ、レニカの街だ」

――カシャン

シロの左側の牢から鎖が擦れる音がした。

「誰かいるの?」

シロは檻の中を覗く。影が動くのが見えた。

「あなたは誰?」

檻の奥の影に尋ねる。返事はない。

「私はシロっていうの」

「シロ…?」

クロでもヴィトラでもないもっと幼いような女の声がした。

「そう。今度はあなたのことを教えて」

シロは優しく話し掛ける。クロがそうするように。

「シロは知ってる。私のおともだち」

「友達?」シロは聞き返す。

「そう。ずっと仲良し」

「もしかして私の過去を知って…」

「どこかに行っちゃった。シロはいない」

「…っ!」シロは口をつぐんだ。

「1人は怖い。でもずっと1人だった」

檻の奥の何かは続ける。

「長い間。わかる?とっても長い間よ。ここでずっと、座っていたの。ここに来た人はあなたが初めて。そうあなた、シロって言うのね。あなた、もしかして私のお友達?」

シロは悩んだ。なんと答えるべきか。間違いは許されない予感がした。間違えたらもう会えない予感がした。

――そしたらまた1人だ。

「いいえ違うわ」

「…そう」

「でもあなたのお友達になりたい」

「……ほんと?」

「本当。一緒に行きましょう」

シロは鉄格子の間から右手を伸ばした。

「どこへ?」

「どこへでも」

「…うん!」

シロの手がギュッと握られた。シロはその手を思いきり引き寄せた。

檻を貫通し少女がシロの胸に飛び込んでくる。

「あなた名前は?」

「わたしはミヅイゥ」

「そう。ミヅイゥね。よろしく」

「うん。よろしくシロ!」



クロは境界線の前から動くこともなく呆然としていた。

――シロが消えた。

パウクとヴィトラはイグニスの介抱をしている。憑依が初めてではなく耐性がついたのか、幸いにも大事に至ることはなかった。

クロは必死に頭を回そうとした。

――棺は微動だにしない。形状変化も確認されない。シロが…。ツヴェルフさんの体験が同様に棺に吸い込まれるように発動したものだったら?シロは…どこか遠く離れたところに瞬間移動した可能性が。入り口に戻れたとしても地図のないシロがここにくるのは不可能。やはり戻るのが最善か。でもイグニスがまだ気を失ったまま。パウクが担いで行ける?それにもしもどこか遠くに飛ばされていたら…またふりだし?ようやく見つけたオシリスの羊だったのに。また一から探す必要が?

クロは前髪に隠された左目を押さえた。

――私はシロがオシリスの羊だから心配しているの?そんな…違う!私は…シロがシロだから。かけがえのないシロだから!…お願い、シロに会わせて。

――バキッ

クロの前に吊り下げられた棺に大きな亀裂が走る。

「あ……イヤッ…」

――バキバキバキバキ

亀裂がさらに横へと広がる。

「待っ…」

――バンッ

細かく割れた破片がボロボロと音を立てて崩れていく。

石でできた棺は瓦礫の山へとその様相を変えた。

「シロッ!!」

クロは境界線を越え、ドーム状の空間に足を踏み入れるとその場に跪いた。

「やめて…お願い…やめて…。……返してよ」

クロの声はわなわなと震えている。

今クロを押し潰そうとするモヤの力はない。それは棺が完全に破壊された証拠。棺はシロを取り込んだまま礫塊と化した。

――私はただ…見ていただけ。何もできなかった。

圧倒的無力感。モヤの代わりにそれがクロを押し潰そうとしていた。

――今までもそう。私は何もしていない。騎士団から逃げた時も、パウクを助けた時も、セントプリオースを救ったのも、プロリダウシアを解放したのも。私には何もできない。何かを成すのはオシリスの羊だけ。世界を救えるのはオシリスの羊だけ。私じゃない。

クロがその時思い出したのは、自身の原点とも言える瞬間。世界について祖母から教わったかつての会話。暖炉の前、椅子に身を預けて目を閉じ話す祖母の顔。

『クロ、いいかい。この世界は次の冬で終わる。それを防ぐことができるのは3人のオシリスの羊だけ。私は人生の半分を旅に費やした。でも見つからなかった。魔界に羊はいない。希望は人界にある。できれば私が完遂させたかった。不安の種を後世に残したくはなかった。すまないクロや。でもこれはお前にしかできないことだ』そう言ってクロの目を見た。

『オシリスの羊を見つけてくれ。そして世界を終末から救うんだ。魔族と人族、どちらかだけが生きれる世界など間違っている。魔族も人族も平等な世界、争うことなく手を取り合う世界。それを成せるのはクロ、お前だけだ。お前が、世界を救え』

――絶対的使命感。存在理由、レゾンデートル。ここにいても、よいりゆう。その言葉が今までどれほど私を勇気づけてくれたか。そしてこれからも。きっと。

「クロ殿!」

パウクの声で顔を上げたクロは瓦礫の山を見つめた。

そこでは破片が浮き、ゆっくりと棺を再構築していた。

「そんな…」

破片は棺を形作るとガコッと前面が傾き蓋が外れた。

その中から、シロが現れた。

「シロ!」

クロは名を叫んだ。そして後をもう一人が続いた。

「貴方は?」

「わたしはミヅイゥ。シロのともだちでオシリスの羊」

シロと繋がれたミヅイゥの手をクロは見た。

「わたしはシロといく。さようなら」

「「「ッッ!」」」

その言葉にミヅイゥ以外の全員が次に起こる事態を予感した。

ヴィトラはイグニスの腕を掴み、反対の腕をパウクが掴むと糸をクロに向けて飛ばした。そして2人は立ち上がりクロのもとへ駆け出す。

パウクの糸を受け取ったクロは正面に向かって手を伸ばした。

シロはクロの手を掴もうとミヅイゥを引っ張りながら手を伸ばす。

シロがクロの指先を握ったその瞬間、6人は見知らぬ草原に瞬間移動した。



「司令部から識別名称コードネーム:ウルフへ。イグニス・ヴォクユとヴィトラ・イコゥの信号が瞬間的に転移した。瞬間移動テレポーテーションのスキルを使えるのはこの世でただ一人。彼らが目標と共に行動している可能性がある。直ちにリュポクス周辺に急行せよ」

『ウルフ了解』

自身のラボにて広げた地図に手をつくシャンティーサ・フィコは高らかに笑った。

「魔導書マギアスを持つべき人の手に。サァ、羊狩りの始まりだ」

地図上に書かれたリュポクスの名前の近くにイグニスとヴィトラを示す2つの赤い点があった。


〈神判の日〉まで残り239日

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