第20話 炭鉱のカナリア

〔これまでのあらすじ〕

世界の終焉、〈神判の日〉まで残り1年。魔族の娘であるクロは世界を救う鍵となるオシリスの羊という存在の少女シロと出会う。クロを助ける為に騎士を殺したシロは、その罪を償う為にもクロと共に世界を救う旅に出たのであった。

オシリスの羊を知る男ツヴェルフのプロリダウシア脱出をかけたデュアル・パレスへの出場を持ちかけられたシロはそれを承諾するのだった。


夜。ひとまずシロ、クロ、ツヴェルフは一夜を明かし、それから行動に移ることにした。

ツヴェルフはシロとクロを家で寝かせ、「私はどこででも寝れますから」と家の外に藁を敷いて寝ていた。

シロは夢の中にいた。

シロは乾いた中古品店の中にいた。

シロは棚の前にいた。

「酷いじゃないかシロ。ボクに罪を擦りつけるなんて」

「キュビネ…!獣のこと、私は気にしなくていいって、あなたがどうにかするって言っていたじゃない!」

「そうだよ。君は気にすることない。ボクは約束通りクロの頭から獣を追い払ったさ。その結果、プロリダウシアの人間に伝播することになったけどね」

「結果って…。獣を倒すことはできなかったの?」

「何度も言っているだろうシロ。ボクや獣に実体はない。干渉することはできない」

「私の頭には入れるのに?」

「…フッ」

羊のぬいぐるみが笑った。

「いいじゃないか。鋭くなってきたね。そう、ボク達は人の頭に入り込める。でもシロやイグニス・ヴォクユがボク達を制御することはできない」

「どうして?」

「君は意識の正体を知っているの?」

シロは首を横に振った。

「そういうことだよ。とにかく、双方向性がないと思ってくれ。ボク達も自分の正体を正確に把握することはできないよ。それができるのは…神様…くらいかな」

「じゃあ、私のせいで、今後も獣が…」

シロはうつむいた。

「ふう…。今から言うことは可能性でしかないけど」

下に向く首が少し持ち上がる。

「最近気づいたのだけど、どうやらボクや獣には肉体への定着度があるらしい。頭に入ってすぐにできることは気を失わせることと、脳を適当にかき混ぜて機能をぐちゃぐちゃにすることくらい。より時間を掛ければ掛けるほど、指先の細胞の一片までを制御できるようになる。こんな風に」

キュビネの入った羊のぬいぐるみが右手を振った。

「それで?」

「ある程度獣を定着させた人間を文字通り細切れにする。分散した意識をバラバラのまま断つ。これが一番マシじゃないかな」

シロは顔を上げた。

「それはシカやイノシシ…魔物でもできる?」

「獣が入ればね」

「ありがとう、キュビネ」

「いいさ。やはり元はと言えばボクが始めたことだ。責任を感じていないわけじゃない」

「私も。獣は私が始末しないと」

「うん。そうだね」

シロは目を覚ました。部屋の中は依然暗い。隣からはクロの寝息が聞こえていた。シロは左半身を下向きに寝返りをうった。偶然クロの顔がそこにあった。シロは再び目を閉じた。



「ここは…」

ツヴェルフの前には吊り下げられた棺があった。

『久しいな、迷える子羊よ』

「オシリスの…羊様…」

『これは忠告だ。2人の娘を丁重に扱え』

「も、もちろんそのつもりでございます」

ツヴェルフは額を擦り付けて平伏した。

『さすれば君は救われる』

それ以降声は聞こえなかった。オシリスの羊の夢を見るのはツヴェルフにとって初めてのことだった。



その日シロはツヴェルフの働く炭鉱に来ていた。

「もちろんシロさんが掘った分はシロさんの分け前になりますから」

「ああ、はい。わかりました」

シロはツルハシを握っていた。

「あの…本当にやるんですか…」

「もちろん。これも特訓よ」

「なるほど…」

「じゃあよろしくね、ツヴェルフさん」

「承知しました」

「クロさんはどうするんですか」

「私はパウクを待ってないと。そろそろ来る頃でしょ」

「まあそうですね」

「では行きましょうかシロさん」

「はい」

ツヴェルフに連れられシロは炭鉱に入った。

「そのカゴは?」

ツヴェルフは右手に鳥籠を左手にツルハシを持っていた。

「カナリアという鳥が入っています。万一ガス漏れがあった場合は人より先にこのカナリアが死にます。そしたら急いで逃げてください。さあ、このカゴはシロさんが持って」

「あ、ありがとうございます」

シロは鳥籠を受け取ると顔の高さまで持ち上げた。シロに気づいたのか、カナリアは首を横に傾げた。

「えと、よろしく?」

「ピー」

ツヴェルフは今いる中央通路から数々に分岐した坑道の手前の一つを指差した。

「この道はほとんど鉱脈を掘り尽くしたと言われていますが、クロさん曰く一日掘ることが目的だそうなのでここを掘っていて下さい。ここが一番安全ですから」

「わかりました」

「では私は奥に行きますから。時間になりましたら迎えに上がりますのでそれまでどうか頑張ってください」

「ありがとうございます。ツヴェルフさんも頑張ってください」

「ええ」

ツヴェルフは中央通路の奥へ、シロは目の前の坑道へとそれぞれ進んだ。

坑道はツヴェルフの言う通りほぼ採掘が終わっているように見えた。迫る両側の岩壁に鉱物の影はない。一人ひんやりとした坑道内を進む。頼りは鳥籠の先に取り付けられたロウソクの火のみだった。それでも時たま鳴くカナリアの奏でるメロディはシロを多少なりとも落ち着かせた。

そしてシロは坑道の最奥部に到達する。

「ここから先を掘ればいいのね」

シロは鳥籠を置き、ツルハシの柄を両手で握って頭の上まで振り上げる。

――ゴッ

嘴の先端を岩壁にぶつける。ポロポロと岩のカケラが剥がれた。しかしそれだけだった。それでも色々と察したシロであった。


「あら、お帰りなさい」

「ただいま…帰りました…」

真っ黒になったシロがへとへとになって戻ってきた。

「おふろ…」

風呂から上がったシロはぶっ倒れた。

「お疲れ様。どうだった?」

「しんどいです…。お腹空きました…」

「ベッヘルムで色々調達しておいてよかったわね」

「明日も…ですか…?」

「デュアル・パレスまではあと41日。ガンガンいくわよ」

「ふええぇぇぇ」

シロは空気が抜けていくかのようにうつ伏せの状態で上げていた顔を腕に乗せた。



そしてまた数日が経った。

その日の朝の市場を駆け抜ける少年がいた。

「おい!泥棒!待ちやがれ!」

怒鳴る店主の声が響いた。

「泥棒?旦那、あの子は任せてくれ」

「ああ騎士の方、ありがてえ。よろしくお願いします」

「うむ」

鎧を纏った男は少年を追った。

「待ちたまえ。そんな歳で罪を重ねるんじゃない。待て!」

週に一度の市の日にごった返すプロリダウシアの住民の間を少年は器用に抜けていく。そして市を脱し、住宅地に入っていった。

次第に人が減っていく。騎士にとっては好都合だった。

ついには少年以外の人がいなくなった。騎士は両手を伸ばし両側の家に糸を飛ばすと、糸に引き寄せられる勢いで軽々と少年の頭上を飛び越えて目の前に立ちはだかった。

「タコス!そこまでだ少年」

「はぁ、はぁ、はぁ、何なんだよアンタ」

「少年の心を信じる男、パウク・メテニユ。盗みはよくないだろう。それを返すんだ」

パウクは手を差し伸べた。

「ヤダ!」

「ど、どうしてだね?」

「この薬がないと…母ちゃんが!」

「なんだと?お母さんはどこに?」

「この先の僕の家だけど」

「案内してくれ」

「え?」

「早く!」

パウクは盗みの少年と共に彼の母親の待つ家へと向かった。

「母ちゃんただいま」

「ああ…レン…」

「お邪魔するぞ」

「あ…アンタは?」

「パウク・メテニユ。困っている人の味方だ」

そう言うとパウクはレン少年の手から薬を取った。

「これは拙者の金で買おう。レン、水はどれくらいある?」

「あ…えと、次の配給は明後日だから、バケツ一杯分くらい」

「持ってきてくれ」

パウクは薬を取り出した。

「酷いなこりゃ。なんて量を推奨しているんだ。こんなに飲んだらさらに悪化するぞ」

「そうなのかい?」

「まあそういうビジネスだろうな」

「持ってきたよ」

レンはパウクの横に水を置いた。

「さあお母さん、この量を飲んで」

パウクは一袋の半分の粉を母親の手のひらにこぼした。母親は粉を飲み込むと柄杓ですくった水で流し込んだ。

「毎日この量だ。絶対に箱に書いてある量は飲むなよ」

「ありがとうね、優しい騎士さん」

「パウク・メテニユだ」

面の下で笑ってそう言った。

――ドンドンドンドン

「通報が入った。出てこい」

外から声が聞こえた。

「僕が…」

「いや、拙者が行こう」

パウクはレンを手で制すると玄関の扉を開けた。

「レンの盗みの件か」

「お前は…」

「母と子の愛の絆を守る男、パウク・メテニユ」

「やはりか。セントプリオースぶりだな」

「イグニス・ヴォクユ!無事だったか」

「あ、ああ…まあな。って違う、なんでお前が出てくるんだ。盗人のガキを出せ」

「あの薬は拙者が買うことにした」

パウクはイグニスの手に金貨を一枚置いた。

「ふざけるな。そんなこと許したら商売の秩序が乱れる」

「なら倍出そう」

「そういう問題では」

「レンの母親は!どうしても薬が必要だったんだ。それに子供の行いだ。どうか、許してやってくれ」

パウクは頭を下げた。

「何やってるのよ…」

イグニスの背後、自らの正面からの声を聞いたパウクは頭を上げた。

「クロ殿。ようやく会えましたな」

「チッ、クロまで。わかった。店には話つけとくから、ガキの指導くらいはしとけよ」

「心得だぞ。イグニス・ヴォクユ」

イグニスは目を合わせることなくクロとすれ違いその場から離れた。

「本当に何やってるのよ…」

「うむ、人助けだな」

「そりゃ結構だわ」

「クロ殿は何用で?」

「あなたのを探していたのよ。無事でなによりだわパウク」

「ああ!首から血が噴き出したが無事だ」

「えな、え?どういうことよ?」

「そのままだ。意識を失ったが、目が覚めたら治っていたぞ」

気絶していたパウクには分かるはずもないことだが、血液中を流れる糸の粘液成分が血管の千切れを繋いだのであった。

ベネムヌトの毒によりパウクの蜘蛛綾取が暴走したが、厳密にはパウクの造糸幹器官のストッパーが外れ、永久的に糸を作り続けるようになってしまった。蓄積できない糸は血管に乗り身体中を巡り、パウクの全ての毛穴から放出されている。故にパウクの皮膚は糸で覆われており、それが許せない彼は鎧を着ているのである。

森での戦闘では造糸幹器官ではなく心臓の負荷により血流が止まって糸が出なくなったのであった。

「じゃあ今は大丈夫なのね?」

「うむ。しばらく寝ていたから元気いっぱいだ」

「それならよかったわ。シロの特訓に手伝ってくれないかしら」

「許せる!」

パウクは腹の底からの大声を出した。あまりの声量にクロは耳を押さえた。

「びっくりするじゃない」

「すまない、久々だったので抑えられなかった」

「なんの声だよ」

驚いたレンも家から顔を出した。

「解決したぞ、レン。だからもう盗みなんてするな」

「でもうち…ビンボーだから。飯だって毎日食えるわけじゃないし…」

パウクはクロを見た。クロも難しい顔をしていた。



その日もシロは炭鉱にいた。日数も経ち、あらかた作業にも慣れてきた。

――ザクッ

振り下ろしたツルハシの嘴は先端から10センチメートルほど埋まった。引く動作とともに土が剥がれる。

――ザクッ、ザクッ

シロはただひたらすらそれを繰り返す。

――ザクッ

その時、シロが突いた位置から勢いよくガスが噴き出した。

――ガス漏れ!?

シロは口を塞いで地面に腹をつけた。フッとロウソクの火が消える。辺りが暗闇に包まれる。

――パンッ

シロの前方のガス溜まりが爆発した。シロの体は吹き飛ばされた。そして天井が崩落する。シロの行く手は閉ざされてしまった。

「ゴホッ、ゴッホ、ゴホ」

シロは自らの喉を手で押さえた。ガスの濃度が上がっていく。肺への酸素供給量が減っていく。

「ピーピー」

カナリアが叫ぶ。

――ピーちゃ…

シロは震える手でポシェットを弄る。本を取り出せたもののその文字が読めなかった。

――だれ…か…たすけ…

両目の虹彩の縁が赤く輝いた。そのままシロは気を失った。

「ピ?」

カナリアは目の前の少女を見つめつつ首を傾げた。鳥籠の入口を蹴り飛ばすと外に出た。そしてパタパタと本の傍らに降り立つ。

『獣の件はすまない。辛い思いをさせてしまったね。ボクが今助けるよ。仰ぎ見よ閃光の輝きを。天煌球星オールスビート

シロの本が光を放つ。

金色に輝くカナリアは飛び立つと天井の土を貫いた。シロの真上の地層が天空目掛けて吐き出された。

再びシロの元に降り立ったカナリアはシロの右手の親指を両足で掴むとそのまま外まで持ち上げた。

「何の音!?」

轟音を聞いたクロとパウクがその場に駆けつけた。そこには高く積まれた土の山の上に横たわるシロがいた。

「これは…シロ殿!」

「もしかしてあなたがやったの?」

シロの腹の上にとまるカナリアを見つけたクロは話しかけた。

「ピー」

カナリアは空に向かって鳴くとその場から飛び去った。


翌日、シロは目を覚ました。

「シロ!よかった…」

「クロ…さん?ここは…?」

「安心して。ツヴェルフさんの家よ」

「私…助かったんですね」

シロは上半身を起こした。

「まだ寝てないと」

「いいんです。私、強くならないと」

「え?」

「守ってもらってばっかりじゃ…世界なんて救えないから」

「では拙者が手伝おう」

パウクがシロに手を差し伸べた。シロはその手を取って立ち上がった。

それからシロの特訓は再開した。

「だいぶ体力はついてきたわね。やはり次のステップに進みましょう」

「はい」

「シロの弱点は、本がないとスキルを発動できないこと」

「はい」

「何か対策は思いつく?」

「…初めてイグニスさんと戦った時、呪文の読み上げから発動までにラグがあったんです。その精度を上げられれば」

「あらかじめスキルを発動待機状態にして、好きな時に使えるようにするわけね」

シロは頷いた。

課題が見つかれば後は実行あるのみである。シロは本の中の使わなそうなスキルで片っ端から練習を始めた。


そして時は流れ開会式前夜。

シロとクロは並んで夜風を浴びていた。

「シロは格段に強くなった」

「はい」

「決勝にいったら…」

「もちろん、殺しますよ。イグニス・ヴォクユを。わかってます。止めないで下さい」

「そんな…止められるわけないじゃない…。オシリスの羊が…世界がかかっているというのに」

「私が殺したら、すぐにパウクさんとツヴェルフさんを連れて逃げてくださいね。捕まるのは私だけで十分ですから」

「私が言ったことだものね…。これは明らかな罠だって」

「大丈夫ですよ。またなんとか逃げ出しますから」

シロはそう言って笑った。

「冗談じゃ済まされないんだから。……頑張ってね」

シロはクロの横顔を見た。クロは天を仰いでいた。

「はい。頑張ります」

シロも空を見上げた。分厚い雲が視界一面を覆っていた。


デュアル・パレスまで残り1日

〈神判の日〉まで残り276日

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