第15話 黙示録:破滅
〔これまでのあらすじ〕
世界の終焉、〈神判の日〉まで残り1年。魔族の娘であるクロは世界を救う鍵となるオシリスの羊という存在の少女シロと出会う。クロを助ける為に騎士を殺したシロは、その罪を償う為にもクロと共に世界を救う旅に出たのであった。
"獣"に憑依されたイグニスを追うヴィトラ。シャンティーサらと合流した彼女は、禍々しい姿へと変貌したイグニスと相対した。
…ここはなんだ?暗い。何も見えない。自分の体も。
『イグニス・ヴォクユ。ソレガ貴様ノ肉体ノ名カ』
どこからか声が聞こえる。
「誰だ。ここはどこだ」
イグニスは目の前の闇に向かって怒鳴る。
『我ガ名ハ、イグニス・ヴォクユダ』
「はッ…!ふざけやがって。くだらねぇ冗談を」
『貴様ガ憎悪ニヨリ力ヲ望ンダ時、貴様ハ真ニ力ソノモノヘト還元サレタ。ソシテソノ抜ケ殻ヲ、我ガ頂イタ』
「待て…なら俺は…」
『ソウ、貴様ハカツテノ我ノ様ニ思念体ヘト形質転換シタノダヨ』
受け入れがたい現実を突きつけられた人間の心理には定番がある。
「ふざけるなッ!」
イグニスは吐き捨てた。
「出てきやがれ。正々堂々俺と戦え!」
肉体の主は脳内に響いた声を無視した。
『
…なんだって!?
イグニスは耳を澄ました。声が聞こえる。
『アジィ、ミカセラ!』
男の声だ。それに剣が空気を切る音が続いた。
『あッ…』
ガサガサと木々が倒されるような音。
『そんな…』
その言葉とともに聞こえた『ガハァッ』という音はなんだろうか。
「おい!…ッ、ヴォクユ!」
状況が何も掴めないイグニスは仕方なく肉体の主を自らの名で呼んだ。
『ナンダ』
「俺の体で何をしている」
『肉体ヲ得テモ、我ノ目的ハ変ワラナイ。サラナル力ヲ手ニスルコトダ。…ソウカ、貴様モク・ロ・ニ会ッタ事ガアルノカ』
ヴォクユはイグニスの記憶を遡った。
『一度ハ敵対シテイタ…。ソウカ、捕獲対象…。貴様モ騎士ナノカ。ダガイマイチ騎士トイウ存在ガ腑ニ落チヌナ』
「何言ってやがる。お前…正体は何だ?」
『何故ダ!?何故貴様ガクロヲ圧倒シテイル?貴様ニソレ程ノ力ハ無イハズダ』
「てめっ…人の記憶に好き勝手言いやがって。そうだよ。俺はクロに一度勝っている。それは事実だ」
『手加減シテイルノカ?イヤソレトモ…力ノ存在ニ気ヅイテイナイ…?』
「どうしてそこまでクロに拘る?クロの力だと?そんなのヴィトラがもう見ているよ。確か…」
あれ、何だっけ。イグニスに肉体があれば頭でも掻きむしっていたことだろう。しかし今はそれもままならない。
――それを獣が知ってはいけない。
また別の声が聞こえた。しかしそれはヴォクユの、空間全体に響くような声とは違って、まるで耳元で囁かれているような、内緒話をしているかのよう声だった。
「誰だ?」
自然と聞き返すイグニスの声も小さくなった。
――ボクは獣の監視者。
「獣?」
――今君の肉体の主なる存在の名だよ。
監視者がいるなら、どうしてこんなことに…。
――肉体を持たぬ存在は空間に干渉できないからね。
え。イグニスは考えを読まれて驚いた。
――言葉は信号となり神経を巡る。獣にバレてしまうよ。
だったらこうやって思考で会話するべきなのか…いや、そんなことよりも、アンタも肉体が無い?
――そう。君と同じさ。
なんだよそれ。流行ってるのか?
――ははは、面白い着眼点だ。確かにこれは獣を監視する為の分離体。これで少なくとも3体だ。
分離体って、俺にもできるのか?
――人間の君には無理だよ。でも思念体のよしみで、一つ良いことを教えてあげよう。今の君は脳の中に存在している。感覚を上手に肉体と繋ぐことができれば、少しは周りが見えるようになるかな。
それって、さっき外の声が聞こえたように?
――そう。後は練習あるのみだね。さて、忠告と助言は済ませたからボクはもう行くよ。
待ってくれ、もう少し話を…。
――ああ、それからシロのことはあまり責めないでやってくれ。獣もあれで、必要な存在なんだ。すでにそう決まってしまっている。
必要って…。一体なんの為に?
――もちろん、世界を救う為さ。
「獄炎葬剣」
再びヴォクユ…獣の声が聞こえた。
おい、おい、監視者?
返答はない。獣の声に気を取られてしまっていた。そして続くのは、やはり悲鳴。
また一人、俺の体は人を殺した。
『人ヲ殺ス達人』
獣がかつて誰かに付けられた渾名の記憶を見たようだ。
ふざけやがって。殺人なんて、慣れるはずもない。
「獄炎葬剣」
獣に肉体を奪われてから、俺は監視者の言う通りに感覚と肉体を繋ぐ練習を繰り返していた。
その中で俺はとあることに気づいた。どうやら肉体の外と内では時間の進み方にかなりの差があるようだった。もっと言えば、内、つまり俺の時間がゆっくりと進んでいた。
これは力の加わる筋肉を読み取ることで簡単に推測できた。明らかに、体の動きが速すぎる。俺の意思では体についていけず、獣から行動権を奪うことはできなかった。
さらに難しいことは目や耳などからの情報を感応することだった。普段は無意識に動かしている器官を全て意識する必要があった。
この2つを同時にこなすことでようやく外との繋がりができる。確かに反復練習が必須だった。
「獄炎葬剣」
何故だろう、技の頻度が高い気がする。とにかく今は感覚器に集中しないと。まずは耳だ。文字通り耳を澄ませる。
「イグニス!」
待てよ、今のは…。そこにいるのか…?ヴィトラ……。
――ギィィィィィン
ヴォクユの剣とエナンの盾が擦れる。続いてヴォクユは右に飛び、グドォの盾に横向きに平行にした2本の剣、右剣ヨモツと左剣マガツを叩きつけた。
「ブゥゥゥゥゥゥン」
今度は左からデカトルを狙った。しかし3枚の盾には傷一つつかずぴくりとも動かない。
「ゴ…ギ…カ…クマチラナドムシユッ」
『オ前ナラドウスル』イグニスにはそう聞こえた。
――考えてやると思ってんのか。
『コロス』
ヴォクユは再びエナンの盾に切り掛かった。左右の手にあるマガツとヨモツを交互に振る。
狙いが次第に一点に集中していくのをイグニスは感じていた。
――ずっと同じ動きだ。これはマズイかもしれない。
「ビィンジャーッッ」
ヴォクユが絶叫する。
――ギュイン、ギュイン、ギュイン、ギュイン
大太鼓でも叩くかのようにヴォクユは正面のエナンの盾目掛けて両腕を振った。
「フィコさん!コイツ、回数を重ねる毎に攻撃が重くなっていきます。このままではいつかは!」
「力の使い方を学習しているのか?…イコゥ君!」
「"見て"ますよ。さっきからずっと。でもイグニスが見当たりません!」
「ディズニーク君に確認されたという頭上のモヤは?」
「ありません。見えないんです!」
ヴィトラは眼鏡のレンズを睨みつける。
「コキキ…」
ヴィトラの声を聞いたイグニスは視神経を集中させていた。
――早く…また戦いが終わってしまう前に…。そんなこと…させてたまるか!
「ラシェチナユランッッッ」
『騒ぐな落ち着け』と獣が言う。
――外の声が聞こえる…。そうか、今は時間の進み方が同時なんだ。なら腕に意識を向ければ。
獣のヴォクユによる双剣の連打攻撃。ふと、右腕の角度が曲がり、ヨモツがマガツの刃を叩いた。地面に刺さった左剣マガツの刃先は破裂し、その場に土煙が立つ。
地面までピッタリと接地していた3枚の盾に囲まれた5人は無傷であった。しかし、
「ソウカ」
獣はそう呟いた。
「イグニス。あなたなの?あなたも戦っているのね?」
ヴィトラは盾の中から呼び掛けた。その声はイグニスに届いた。
――ヴィトラ!ここだ。俺はここに居るぞ!
ヴォクユがバク宙で一旦の距離を取ると、そのまま正面目掛けて地面を蹴った。
――させるか!
意識と繋がった耳と右腕を使って妨害に入るイグニス。エナンの盾目前にして再び右腕を曲げようとする。
だがそこでヴォクユが飛んだ。
「上だッッ」
シャンティーサが叫んだ。
その途端イグニスの時間がゆっくりと進み始めた。反復動作からのいきなりの急動。体の動きが意識を超えた。
「獄炎葬剣」
ヴォクユが5人の頭上から、足の裏を天に向け双剣ヨモツとマガツを背中に沿わせる。そのまま背筋を使って大きく振り、ヨモツとマガツの刃をV字に合わせて、幾度となく攻撃をぶつけたエナンの盾の一点目掛けて叩きつけた。
正面から上部へ。突然の方向転換に意識を奪われたエナンの
しかしその一瞬が命取りとなってしまった。
――バキバキバキバキ
力の加わったその一点から、盾全体に亀裂が走る。砕けた盾を意に解することもなく、V字の刃はエナンの身体を両断した。
デカトル、グドォは悔やむ間も無く後方に下がり、ヴィトラとシャンティーサの前に盾を立てる。
――ガンッ
ヴォクユはエナンの肉塊には目もくれず一息で次の標的に近づくと、右剣ヨモツでグドォを、左剣マガツでデカトルの盾に刃を立てた。
そして再び上空へと飛び上がる。2人は瞬時に盾をヴォクユの方向に向けた。
落下のエネルギーをそのまま刃に乗せて切り掛かるヴォクユ。しかしエナンの惨事を目の当たりにした2人は絶対領域の隙をつくることなく受け耐えた。
目の前にヴォクユが着地する。その両腕を、右腕をグドォが、左腕をデカトルが盾の縁で地面へと押し付けた。
「ギャッ」
10キロ近い重量の盾で両腕を潰されるヴォクユ。グドォとデカトルはさらにグリグリと力を加えていった。
「ウオオオオオオオオオオオオオン」
ヴォクユの、獣の咆哮。それに感応するかのように巨大化したヨモツとマガツの刃が、2人の騎士を鎧ごと腰から太ももにかけて外側から切断した。
――ギィィィィィィィィィィィィィィィィ
耳をつんざくような擦れ合う金属の音が響いた。
グドォとデカトルの半身は切られた太ももの方に斜めに滑り、遂には地面に落ちた。
剣が元の大きさに収縮する。そしてヴォクユが立ち上がった。
「イグニス…」
戦闘に参加するどころか、幼少からのバディを見つけることもできず、ただ茫然と状況を眺めていたヴィトラは諦めて膝をついた。
「ごめんなさい。私は何も…」
「飢えたる獣よ、我がもとに来いッ!」
その場で項垂れるヴィトラの横で、シャンティーサは両腕を横に広げて獣を呼んだ。
「力ダ」
ヴィトラの眼鏡の縁にイグニスから抜けた白いモヤが一瞬だけ映った。
声に驚いて見上げたヴィトラは、白いモヤがシャンティーサの頭に入り込み、そして不敵な笑みを浮かべる姿を見た。
「フィコさん…?」
「素晴らシい。こレでワタシハ…!」
とても嫌な予感がした。それはヴィトラがシャンティーサに感じる違和感から来るもの。シャンティーサの魔術解析の結果が、判別不能であったこと。
――シロと同じね。
ヴィトラはイグニスに駆け寄った。
「イグニス!イグニス、起きて」
必死に身体を揺さぶる。
眠りから覚める前の、頭がぼんやりとして温かい、風に吹かれたら飛んでいってしまいそうな感覚に、イグニスは陥っていた。
――もう何もしたくない。ここでゆっくりと沈んでいたい…。
『イグニス!イグニス、起きて』
――ヴィトラの声だ…。やめてくれ…もう眠いんだ…。俺はもうダメだ。体を獣に乗っ取られて…。……獣は?
イグニスはカッと目を見開いた。
「イグニス!」
「ヴィトラ。獣は?」
イグニスは上半身を起こし、辺りを見回す。ヴィトラはある方向を指差した。イグニスは目を向ける。そこには腕を広げたまま固まっているシャンティーサがいた。
「今なら、やれる」
イグニスは手元に落ちていたヨモツとマガツの柄を握る。
「待って!」
ヴィトラはそう言いながら立ち上がったイグニスの腰を掴んだ。その時にイグニスの足が震えていることに気づいた。
「なんだよ。チャンスだ」
イグニスが力尽くで振り払おうとする。しかしヴィトラも引かなかった。
「またあなたが操られたらどうするの?今あなたが動けるのは、フィコさんが体を張って獣を封じているからよ。今は逃げましょう」
「でも…アイツはダスロの仇で、それに俺の体を使って散々人を殺したんだ。もう終わりにしないと!」
ヴィトラはイグニスの腰に一通の手紙を押し付けた。手紙はクシャリと音を立てて折れる。
「届いたの。強制帰還書が」
イグニスの頬がピクリと動く。
「昨晩、あなたを探してバトルバルにいた時よ。……プロリダウシアから」
「何日経った…」
イグニスの口からはそれだけが出た。
「今日で期日から9日過ぎてる」
イグニスの顔がみるみる青ざめていく。
「だから今あなたを失うわけにはいかないの。分かって」
返事の代わりに首を弱々しく縦に一度振った。
「…戻ろう。プロリダウシアに」
イグニスとヴィトラは騎士である前に一介の奴隷であった。主人ドデンの命令は絶対なのだ。
シャンティーサはただ一人佇んでいた。
「相当ノ知識ダ。他人ノ魔術ヲ使イコナス。知識ガ貴様ノ力トナルカ」
「そうだ。
「面白イ。シバラクハ貴様ノモトニイルトシヨウ」
「獣よ、君は何故力を求める?」
「ソレハ世界ヲ変エル為。力ガ物ヲ言ウ荒レ狂ッタ世界、面白イ世界ヲ創ルンダ」
シャンティーサの顔は笑顔で歪んでいる。
「貴様ハ?何故我ヲ呼ンダ。我ニ何ヲ求メル」
「知識を。私の目的は世界を復元させることにある。最終戦争以前の世界へ」
「パラダイムシフト計画。面白イ。共ニ荒廃シタ世界
――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます