第11話 黙示録:序曲

〔これまでのあらすじ〕

世界の終焉、〈神判の日〉まで残り1年。魔族の娘であるクロは世界を救う鍵となるオシリスの羊という存在の少女シロと出会う。クロを助ける為に騎士を殺したシロは、その罪を償う為にもクロと共に世界を救う旅に出たのであった。

人界側の境界線近郊都市セントプリオースにやってきたシロ、クロ、パウクの3人は街中で人々が狂っていく光景を目にする。

一方、以前の遭遇時にシロに敗北し取り逃した騎士団のイグニス・ヴォクユとヴィトラ・イコゥの2人も、イグニスの修行の為、炎属性のスキルの老使い手であるダスロのいるセントプリオースを訪れていた。


その夜、セントプリオースは狂気の街と化した。宝石商の男ギルマの変死から始まった怪奇はギルマの死体を処理していた騎士に広がり、その様子を目にした住民に広がり、さらに彼らの奇行を見た住民にも広まるという負のスパイラルが続いていた。

街では絶叫が絶えず、正常な人々も徐々に殺気立ち、ぞくぞくと恐怖が伝播していった。

不安や怒りは徐々に増長し、やがて火という形になり街を燃やし始めた。木造の建造物群に火事は一瞬にして広まった。

本来消防活動も行うはずの騎士団は指揮系統部の人間から狂い始めて統率を失っていた。

火の手から逃れた人々の間ではついに暴動が起こった。一つ起きてしまうとそれからは堰を切ったように次々と人々は声を荒げ、殴り合い蹴り合い、止められる者は誰一人としておらず、勢いは増すばかりであった。


ダスロが家を飛び出すと、崖下に広がっていたのは一面真っ赤に染まり、黒煙立ち昇るセントプリオースの姿であった。

「我が愛しき故郷をそう簡単に潰させはしないぞ」

イグニスとヴィトラを叩き起こそうと家に戻ると、すでに二人は準備を整えていた。

「ヴォクユは俺と共に街に出るぞ。まずは暴動を収める。イコゥは拠点に行きこの街のバカ共が何をグダグダしているのか探れ」

「「了解」」


ダスロとイグニスは崖下から飛び降りると、火の手から逃れた場所で起きている暴動の仲裁に入った。

二人は背後から暴れる男の脇に腕を通し肩を固定した。

「おいコラ、落ち着けって。ダメだ。興奮して聞く耳を持たない!」

「仕方ない。気絶させろ」

イグニスは男の首を手刀で叩くと男は膝から崩れ落ちた。

「ったく、たまったもんじゃねぇな。次だ。行くぞ」

ダスロはすぐさま次の現場に向かった。



ヴィトラは拠点の建物に入るとうめき声を上げながら床をのたうち回る騎士の姿を目にした。

「中央本部所属テネラルのヴィトラ・イコゥです。駐在騎士はこの非常時に何をしているんですか!」

「お前何して…イコゥさん!?」

ヴィトラの声を聞いた、かろうじて正気を保っている男が奥の部屋から近づいてきた。ヴィトラも十分名を馳せた騎士である。

「あなたは?」

「カナテルト。二等の隊長補佐です。まぁ今は一等騎士が全員この有り様で、隊長もまだ戻られないので補佐もクソも無いんですけどね」

「冗談言ってる場合?火事の消化も治安維持もあなた達の仕事でしょう!」

「分かってますよ」

ヴィトラは声を荒げたが、カナテルトはそれを圧倒する声量で怒鳴った。

「ここで寝転がっている人たちはみんなそう言って現場に向かった者です。今本部に応援を要請しています。目に見えぬ狂気にさらされることなく外側から消火してもらうために。無駄死には御免です」

――だから二等なのよ。

ヴィトラは内心悪態をつきつつ狂気にやられた一等騎士のもとに身を寄せた。

「危ないですよ!」

「私はテネラルです。少しでもこの状況を把握しないと。魔術解析サピテリア

そう言うと両目を瞑りそして開いた。眼鏡の丸いレンズ状に解析結果が羅列され始める。

「首から下は脈拍数の上昇と筋肉の痙攣だけか。やはり何かあるとしたら、頭部」

ヴィトラは頭を凝視し目を細める。

「なッ…!」

脳の構造を確認して驚愕した。

「脳みそが…頭蓋骨の中でバラバラに砕けている…」

慌てて頭部を確認すると、部屋中の者が揃って同じ状態にあった。

――何よコレ。どういうこと?脳を食う魔物の仕業?でも骨に異常はない。皮膚にも穴が空いた痕跡はない。いや待て。今は正体はどうでもいい。

「カナテルト、この人たちがおかしくなる直前に何か兆候のようなものはあった?」

「いえ、なにも。前触れもなく突然発狂するんです」

――仮に魔物だとして、それが頭の中に入っても脳をグチャグチャにされるまでそのことに気づけない。もしかしたら発狂までに気づいてすらいないのかも。

「この人たちはここで発狂した訳ではないのよね?」

「はい。なんとか意思疎通できる者たちでここまで運んできました。

――私達がやられていないのはここに魔物がいないから?では現場でカナテルトがやられなかった理由は?…一等…二等…まさか。

「イグニスが危ない!カナテルト、本部に連絡。スキル使用者を近づけさせないで。少なくとも一等以上、念のために二等騎士も近接を避けるように。対策は遠距離の人間にやらせて」

「この街には剣士しかいませんよ」

カナテルトの最後の言葉は無視して、ヴィトラはイグニスのもとに走った。



シロ、クロ、パウクの泊まる宿に火の手が迫ることはなかったが、3人は外の騒音で目を覚ました。窓側のシロがカーテンを開けると、遠くで建物が赤く燃えているのが見えた。シロとクロは顔を見合わせた。すると部屋の扉が勢いよくノックされた。

「私達も止めるわよ」

瞬時に寝巻きを脱ぎ捨て、動ける服に身を通すと、シロはポシェットを掴んで、宿を出た。

「酷い有り様ね。この火をどうにかしないと。シロ、何かある?」

「水を生成するスキルはありますけど街全体なんて範囲が広すぎますよ」

「困ったわね」

「なら雨ならどうだ?雲を作ることはできないのか?」

「雲ですか…なさそうですね…」

走りながらページをめくるシロの顔は険しい。

「圧縮した水蒸気を上空で減圧させれば雲が作れるかも。幸か不幸か、立ち上る煙のお陰で材料は揃っているしね」

「流石だな、クロ殿」

「伊達に本が友達じゃないからね」

クロは歯を見せてニッと笑った。

「それでシロ、できそう?」

「問題は圧力ですよ。空の気圧なんて弄れません」

「そうね…。なら水蒸気の温度を上げましょう。体積を上げるの」

「それならまぁ、なんとか」

「だがそんな不安定な状態の気体をどうやって上空に運ぶんだ?」

「考えがある」

クロは言い切った。



一方、迫り来る火の手も顧みずに街の伝統を守ろうと奮闘する男たちがいた。

「神輿みこしだけはなんとしてでも死守しろ!」

町長は叫んだ。目の前の炎もいとわず神輿の置かれた蔵に街の男たちがなだれ込む。盗難防止の為、蔵は八方を木造の建物に囲まれていた。今はそれが仇となった。

「「「せーのッッッ」」」

神輿を支える全長5mの2本の丸太を12人の男たちが持ち上げる。息を合わせ、男たちは火のない場所へと向かう。

途中、掛け声の合間に黒煙を吸い込んだ男が耐えきれずに咳き込む。

「ゴホッ…足を…動かせ!」

最高齢の町長はたとえ煙を吸おうとも声を出し続けた。

「はいッ…!」

口やのどが熱傷で痛み、鼻毛は焦げ、口の中にはすすが溜まっていた。

――バキバキッ

焼けた家屋の脆くなった柱が崩れて目の前の家が倒壊した。倒れた衝撃で酸素を得た炎がもう一段階ぼうと燃え広がる。

「ダメだ、抜け道が塞がったぞ」

「ここまでか…」

「きっと大丈夫ですよ、長。保護ケースの中なら俺らよりはもちます」

「そうだな」

男たちは神輿をその場に下ろした。保護ケースの中の本体を守る最後の肉壁になるつもりであった。



蜘蛛綾取ファデラーノ:蜘蛛の巣」

パウクは街の中心地である十字路に巨大な八角形の蜘蛛の巣を張った。

「よし。ぴったりね。ありがとう」

「何のこれしき」

その中心にクロは乗った。手を振って、中央通りの一本道の先にいるシロに合図を送った。

「水よ、命の源よ、念ずるままにその形を変え給え。思水態変アークイードル

シロの虹彩の縁が赤く輝く。開いた本の上に水蒸気が生成され凝集する。

「熱よ我が手中に移り変われ。可変平衡カロレトス

本の上に浮く水蒸気の温度が急激に上昇する。シロはクロの話しを思い出した。

――移動時に奪われる温度を加味すると1000度は超えた方が良いわね。大丈夫よ大気圧なんだから臨界温度の3倍くらい。気体を維持するはずだわ。

両開きの状態のスキルの本の上、高さ1mの約0.07立方mの密閉された空間に1000度を超える水蒸気が溜まる。

シロは両手で本を開いたまま、クロ目掛けて一直線に走り出した。

動き出したシロを確認するとクロは両膝を曲げ右手の甲を地面につける。パウクの張った蜘蛛の巣がクロの体重で沈んだ。

「シロ!思いっきり踏むのよ!」

クロは叫んだ。言葉通りにシロは左足でクロの右手を踏みつけた。

瞬間、クロは擬態の為に抑えていた力を全て解放しながら立ち上がり、シロを手に乗せたまま右腕を空に向かって突き上げた。そこにクロの体重分の蜘蛛の巣の沈みの反動が加算される。

こうしてシロは上空へと打ち上げられた。

「飛んだな。どこまで行くんだ?」

一部始終を目撃したパウクが尋ねた。

「この街全体を覆うには大気中の雲も利用しないとね。だから、高度3000m」

二人の上空、最高点に到達したシロは落下の開始と同時に開いていた本を閉じた。高温の水蒸気を閉じ込めていた空間が無くなり、大気中に拡散する。急激な温度変化と減圧によって水蒸気の体積が一気に増加した。それはまるで空で何かが音もなく爆発したかのように見えた。

「パウク!シロを受け止めるわよ。分厚いのヨロシク」

上空を凝視するクロが言う。高度3000mまでの急上昇急降下中に口を開く隙もましてや本に書かれた文字を読み上げることなどできる訳もなく、シロは加速度的に速度を上げて落下していた。

高度がぐんぐん下がる。背中から落下しろと言われて姿勢制御を怠らなかったシロが首を90度回して下を見るとそのタイミングでシロは黒煙の中に入った。シロは慌てて息を止めた。

地上ではパウクが四方向の大通り全てに頭上の高さに蜘蛛の巣を張っていた。

「クロ殿!拙者の糸だけでシロ殿の勢いを殺せるかどうか」

「分かってる。私が下から支えるから。とにかく正確な位置を!」

パウクは巣から伸ばした糸で空気の揺れを探る。パウクによって生み出された糸の感覚を全てパウクは読み取ることができる。

「ッ!右だ。大股14歩先!」

クロはパウクの言う方向に動く。

――14。

クロが両手を伸ばすとそこにシロが落ちてきた。落下のエネルギーをどうにか両腕で受け止める。そのエネルギーを軽減させようと張った巣はすでに接着面が剥がれていた。

クロは指でシロの体をギュッと押さえ込む。そのまま後ろに倒れるように尻餅をついた。クロの腕の中で、シロは止まった。



拠点を後にしイグニスのもとに走るヴィトラは空中から落下する何かを見た。

「魔術解析」

目を開くと眼鏡のレンズに結果が表示される。しかし何か違和感があった。

――このは。

見覚えがある。魔界で出会った複数スキルの使い手。取り逃がした目標。

ヴィトラが何かが落ちた場所の近く、大通りの十字路に駆け寄った時、足元には白い布切れのような物がひらひらと落ちていた。

――何これ。糸…?

ヴィトラは試しに指先でつまみ上げてみた。ベトベトとしている。

「クロ殿、誰か来たぞ」

男の声でハッとした。左手側に誰かがいる。その方向に目をやると、見覚えのある白髪の少女がいた。

「やっぱり。まさか、これもあなた達の仕業なの!?」

ヴィトラは叫んだ。

「違う。私たちはたまたまこの街を訪れていただけ。何も関係ない」

クロも応える。シロの体を抱く腕に力が入る。

「本当に?そこの黒髪が空で何かをしていたようだけど。あなた達の目的は?」

シロの額に水滴が落ちた。ヴィトラは空を見上げると眼鏡のレンズが雨粒で濡れた。

「私たちは火事を止めたくて雨を降らせただけ。それ以外は本当に何もしていない。なにより私たちの目的は、世界を救うことだから」

再びクロを見る。

――世界を…救う?そんなの…。

「そんなの…!あなたのような魔族のせいじゃない。人に被害が出ているのは」

「あなたは知らないだろうけど、この世界は1年足らずで終わる。それが神の預言。私たちはそれを止めたい」

「そんな宗教じみた話、胡散臭くて信じられない」

「別に信じてもらいたいとは思っていない。ただ今は見逃してほしい。本当に何もしていないから。私たちはもうこの街を出る」

ヴィトラは考えた。

――もしも二人が魔物を始末できなかったら?それに同じ魔族ならどうにかできるかもしれない。

「待って。火事を収めてもそれで終わりじゃない。犯人を捕まえないと。協力して欲しい。これ以上被害が拡大する前に」

「分かった」

クロは即答した。

「クロ殿!?」

そのことにパウクは驚いた。

「パウクはどうする?」

「どんな関係性か知らんが険悪じゃないか。力を貸していいのか?」

「人を助けるのに理由がいるかしら?」

パウクは深く頷いた。

「そうであった。拙者はクロ殿についていく」

クロも頷いた。そしてヴィトラに向き直り尋ねた。

「あなた名前は?」

「私はヴィトラ。あなたは?」

「私はクロ。こっちはパウク」

「よろしく頼む」

パウクは右手を振った。

「あなたも魔族なのね。使用魔法は蜘蛛綾取か」

「何故分かった!?」

「これが私のスキルよ」

「なるほど。プライバシーを侵害されている気分だ。…許せる!」

「で、その子は?」

ヴィトラはクロの腕の中の黒髪の少女を指差した。

「この子はシロ。オシリスの羊」

「オシ…何て?」

「オシリスの羊よ。世界を救う希望」

「んー…。クロさん…?」

シロは目を覚ました。

「おはようシロ。上出来だわ」

ポツポツと振り始めた雨も今や本降りとなっている。

「よかったです。…って!」

シロもヴィトラに気づいた。

「彼女はヴィトラ。この火事の犯人を追っているらしいわ。力を貸すことにしたんだけど…」

「もちろんいいですよ」

「ヴィトラ、これで3人」

「ありがとう。クロ、シロ、パウク」

ヴィトラを先頭に4人はイグニスのもとへ走った。

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