第7話 蜘蛛の館と囚われの鎧
〔これまでのあらすじ〕
世界の終焉、〈神判の日〉まで残り1年。魔族の娘であるクロは世界を救う鍵となるオシリスの羊という存在の少女シロと出会う。クロを助ける為に騎士を殺したシロは、その罪を償う為にもクロと共に世界を救う旅に出たのであった。
人界を目指し東に進む最中、突然の大雨により一軒の屋敷に飛び込んだシロとクロは、主人の厚意により雨が止むまで宿泊することになった。自らをメテニユと名乗る鎧を纏った使用人を怪しむ二人であったが、逆に怪しまれて襲われない為に従う他なく、ひたすら雨が止むのを待つのみであった。
シロとクロが館に訪れてから、一週間が経過した。
一日目の深夜、メテニユに見つかったと思ったシロであったが、すぐに扉から手を離し息を殺していると足音は聞こえなくなり、そのまますぐにクロの眠る寝室へ戻った。翌朝、食堂でメテニユに遭遇したシロだったが、特に怪しまれることもなく、自然に挨拶を交わしただけだった。
その晩、シロは興味本位で聞き耳を立てて起きていたものの、あの時聞いた足音が聞こえることはなく、それからずっと、夜分に鎧の足音が響き渡ることはなかった。
しかし、遂にクロが音を上げた。
「もうこれで一週間よ!一週間って何よ!?雨ってそんなに長く降り続けるものなの!?」
「キタブ堂にいた時はそんなことはなかったと思うんですけど」
「そうでしょ?いくらなんでもおかしいわよ」
クロは窓の外、雨の降り荒れる黒雲の下を見つめて言った。
「シロ、逃げ出すわよ。今夜」
――ドーン
館の近くに雷が落ちた。部屋の中に閃光が走った。
「待ってください!私話しましたよね?玄関に繋がる扉で見たもののこと」
「太くて奇妙な蜘蛛の糸…?でしょ」
「そうです。そこら中に張り巡らされているんですよ」
「そのくらいなんとかなるわよ。シロは炎属性のスキルは使える?」
「本の中にはありますけど…」
「なら問題無いわ。いざという時もね」
「いざ…?」
「メテニユの言葉を思い出して。『貴方方はお強いですか?』って言っていたでしょ」
「はい。でもそれが一体…」
「シロが見た三体の並んだ鎧。仮に最後の一体がいたとして、それがメテニユだと仮定したら?」
「どういうことですか…?」
「次に残りの鎧を被るのは、私達かもしれないわよ」
――ドーン
再び雷が落ちた。シロには光ったクロの表情が見えなかった。
その日の晩、食事を終え、風呂から上がると、二人はクローゼットから洗濯済みの自らの洋服を取り出してそれに身を通した。そして静かに、夜が更けるのを待つ。
脱走の決意を固めてから、二人がメテニユと接触した回数は3回。夕食の準備ができたという報告と食堂での挨拶、風呂の支度が整ったという報告。特にこれといって怪しい点は見受けられなかった。既に二人はこの報告を6回受けているのである。それでも違和感がなかったのだから、彼にこちらの意図が悟られてはいないだろうとクロは考えた。同時にこの家の主人が客の部屋を盗聴する程趣味が悪いわけではないことを知り少し安心した。
――クロさんのあの言葉、捕まったら私達もこの館の使用人として働かされてしまうということ?
シロは生唾を飲んだ。
そして、シロとクロが互いに不安を抱えながら、丑三つ時が訪れた。一週間前、シロがメテニユに襲われかけた時刻。
二人は耳を澄ませた。しかし足音は聞こえない。互いに見つめ合って頷いた。計画実行の合図。
クロはそっと部屋の扉を開けた。廊下は全て消灯されており、真っ暗である。しかし異常はない。シロが扉を閉め、階段に向かって慎重に進んだ。
次第に暗闇に目が慣れてきた。一つ、二つと扉の数を頭の中で数えていく。
三つ。階段はすぐそこである。……到着した。クロは後ろを振り返った。シロと目が合う。
――よし、シロも無事だ。
二人は再び頷きあった。そして一段ずつ階段を降りていく。一階に出ると、左棟の入口の扉に向かって進む。その途中で四つの部屋の前を通った。
扉に到着する。この先は玄関先の大広間だが、シロが見たものが現実であればそこには蜘蛛の糸が張り巡らされているはずである。
クロは後方のシロを確認するとドアノブに手を掛け時計回りにゆっくり回すして扉を手前に引いた。
案の定、そこには図太い糸が四方八方に伸び広がっていた。
『念の為、糸には触れちゃダメよ。罠である確率の方が高いんだから』シロは部屋でのクロの言葉を思い出した。
二人は頷き合うとクロが先頭を切って進んだ。糸に引っかからないよう、神経を尖らせる。
糸は中央の廊下に向かって集中していたというシロの話はどうやら本当のようで、玄関の扉に近づくに連れて避けるのが簡単になっていく。
見事、シロとクロは玄関の扉の前に到達した。
クロが扉を外側に向かって押す。
「開かない!」
クロは小声で叫んだ。いくらドアノブを回しても扉がびくともしない。
「鍵は?」
シロも小声で聞いた。
「初めにちゃんと開けたわよ」
シロも右扉のドアノブを弄る。鍵を開け、回し、力を入れて押し込む。しかし扉は動かない。鍵をどうこうしようと何も変わらなかった。
「外側からロックされているの…?」
「閉じ込められちゃいました!」
「待って、窓から出るわよ」
クロは大広間を見渡す。一階部分に窓はなかった。加えて、肩車でも届かない高さにあった。
「一階の部屋なら。ついてきて」
「もちろんです!」
シロとクロは糸に触れないように注意しつつ、左棟の扉を目指した。
――カチャ…カチャ…カチャ
二人の足が止まった。顔を合わせる。シロは中央の廊下を指差した。クロは何度も頷く。
――カチャ、カチャ、カチャ
足音が速く、大きくなる。それからは、糸に引っかかることもおかまいなしに駆け出した。
左棟に入ると扉を勢いよく閉め、外に面した部屋に飛び込んだ。
――バキッ
廊下からけたたましい音がした。
「クロさん!」
構わずクロは窓に体をぶつける。しかし窓は割れない。
「シロ、何かスキルを!」
シロは本を取り出すと急いでページをめくる。
「暗くて…文字がよく見えません…!」
シロは適当なページを開くと顔を近づけて読み始めた。その間にクロは勢いをつけてもう一度窓に体当たりした。やはり窓は割れない。
――ドンッ
大きな音がして、部屋の扉が吹き飛んだ。破片が中に散らばる。そして暗闇の中から糸が飛び出した。
クロは構え、シロはポシェットから鉛筆を取り出した。しかし気がつけば二人とも体に糸が何重にも巻かれて拘束されていた。
「貴方方は強くなかった」
声と共に鎧が現れた。シロとクロを捕らえた糸は途中で一つに交わり、その根本は鎧の左手から伸びていた。
「メテニユッ!」
クロは名を叫んだ。
「主人がお待ちです。同行願います」
メテニユは踵を返し大広間に出ると中央の廊下を進んだ。
肩からつま先まで糸に巻かれた二人はメテニユが動き出すと同時に背中から倒れ、そのまま引きずられた。
メテニユの右手から飛び出した糸が廊下の扉を引いていく。
「この先が館の最奥部。主人の部屋でございます」
糸に引かれて両開きの扉が勢いよく開かれる。
全ての窓に材木が打ち付けられ外光が一切入らない部屋。壁に吊るされたランプの中のロウソクの火がゆらゆらと揺れている。中央の玉座に座る巨体がこの館の主人。
「初めまして。アタシはベネムヌト。アナタ達、旅人なんでしょ?でも残念。アナタ達の旅はここでおしまい。終着地がアタシの胃の中なんてあーあかーわいそ♡」
ベネムヌトは目を細めニヤリと笑った。
「まあ同情なんてしないけど」
「私たちは初めから餌だったってワケね」
クロが吐き捨てた。
「そういうこと。もっと言えば、この雨もただの幻覚。アタシは人をオカシクする毒を使うのヨ」
「シロさん。どうしますか。倒しちゃってもいいんじゃないですか」
「ダメよ。それにこんなの食べたくないもの」
「それに関しては同感です」
シロが鉛筆を握りしめる右手の力を強めると、鉛筆は剣と化した。館に辿り着く前に気づいたことだが、どうやら轟斬撃剣のスキルの効果は持続しているようであった。シロの使う鉛筆は、シロが望むだけで敵を裂く剣と化す。
飛び出した刃は糸の繭を切断し、シロは解放された。
「メテニユッ!」
ベネムヌトは叫んだ。
「きゃあっ」
クロを縛る糸の先が天井に接着し、クロが足を上に向けて宙吊りの状態になる。
「メテニユ…さん。教えて下さい。一日目の質問は何だったんですか」
「何を言おうが無駄よ。その男はアタシの支配下にあるもの」
「全ては主人の為だ」
――パシンッ
メテニユは糸を縄のようにして床に打ち付けた。
「分かりました。手加減はしませんよ」
シロは床を強く蹴った。瞬時にメテニユに近づく。しかしメテニユは動かない。シロがメテニユに斬りかかろうとした瞬間、シロは剣を落とし、その場に崩れ落ちた。
「そ…そんな…」
右手首を左手でガッチリと掴む。しかしその手に力は入らなかった。
「震えが…止まらない」
「アハハハハハ」
ベネムヌトが甲高く笑う。
「アタシの毒を一週間も食していたのよ?今更抗えるほどの力が出せるわけないじゃない」
――ペシンッ
メテニユがシロを鞭打つ。
「キャッ!」
シロがその場で丸くなる。メテニユがさらに追い打ちをかける。シロはその最中、うずくまりながらポシェットから本を取り出しページをめくる。
――ペシンッ
シロの体を打ちつけた糸が反作用で弾かれると、その端をシロがしっかりと握った。
「人の叡智、母なるエレメントよ、闇を照らす光となれ。
炎が糸を伝わり、そのままメテニユを焼く。
「おおおおおおおおおおおおおおお」
全身を炎に包まれ、叫びだすメテニユ。
「チッ、役立たずが。こうなればアタシが直々に」
ベネムヌトは立ち上がると、体が痺れて動けないシロを目掛け、座っていた玉座を投げた。
「シロッ!」
シロは思わず目を背けた。
――バキッ
しかし糸に上下を引っ張られた玉座はシロにぶつかる前に真っ二つに別れた。
「え?」
シロが顔を上げる。そばに立つのは炎をその身に纏った鎧。
「シロ殿のお陰で奴の放つ特殊なフェロモンをシャットアウトできた。感謝する」
糸が緩み、天井からぶら下がっていたクロが優しく床に降ろされる。
「何なんだお前はッッ!」
ベネムヌトは糾弾した。
「今、拙者に何だと尋ねたな。お答えしよう。妻の復讐に燃える男。地獄からの使者。パウク・メテニユ。妻を奪い、家を奪い、拙者を人殺しに加担させた外道。許せんッ!」
パウク・メテニユは両手から糸を伸ばすとベネムヌトを縛った。炎が糸を伝わりベネムヌトを燃やす。
「ギャアアアアアアアアア」
ベネムヌトは甲高い声で悲鳴を上げた。
シロはその隙にクロに巻き付く糸を剣で切り裂いた。
クロは立ち上がると叫んだ。
「メテニユ!目を逸らして!」
爪を立て、右腕を切りつける。ぱっくりと開いた傷口から血が流れる。
「我が血に平伏せ」
怒号を上げるベネムヌトがクロの血を見た途端に静まり返る。
パウクが両手の糸をまとめると思い切りベネムヌトの体を持ち上げた。三階建ての建物を突き破り、ベネムヌトは月を見た。
「これでも喰らえええええええッッ」
――ドゴンッ
パウクが腕を振り下ろすとベネムヌトは床に叩きつけられた。衝撃で床が抜け、土煙が立つ。その中で、ベネムヌトは完全に気を失った。
やがて火の手が落ち着いた。
「吐け。貴様らラドロンティ族は妻をどこにやった」
パウクは糸でベネムヌトの首を縛り、答えをはぐらかす毎に締める力を強めた。
「し、知らないッ!アタシに興味があったのはこの家だけだ!女は他の奴が…そう、バンゲラが連れ去ったんだ」
「ほう。ではそのバンゲラとは誰だ」
「ラドロンティの…長…」
クロは震えるパウクの肩に手を置いた。
「ああ。もうよい」
パウクは糸の先を手放した。
「ラドロンティ族のベネムヌトに命じる。自然に帰り、森の中でひっそりと暮らせ。今後貴様が食べられる物は…キノコだけだ」
虚ろな目で頷いたベネムヌトは館の壁を破壊し、闇の中に消えた。
「あ、おい!壁を!」
「いいんだクロ殿。猛獣にやられたと思うことにする。一応、危ないから我々は外に出よう」
シロとクロにとっては一週間ぶりの、パウクには3年ぶりの外。今や空に雲はなく月は南西の空にあった。
「改めて自己紹介を。拙者はパウク・メテニユ。アラクネ族の末裔でこの家の当主です。お察しの通り、盗賊のラドロンティ族に襲われた時に家を奪われ、妻を誘拐されました。貴方方のお陰で、ベネムヌトの支配から脱することができた。やはり貴方方はお強かった。なんと感謝すればいいのやら」
「そんな…元はと言えば私達から踏み入ったことですし、お礼を言われることでもないですよね。クロさん」
「パウク、ここが魔界のどの辺りか、人魔境界線からどれほどの距離か分かるかしら」
「そうですね。少し離れています。マタニラはご存知で?」
「境界線近くの北部都市の?」
「ええ。そのマタニラより内側です」
「なるほど。とんだ遠くにテレポートしたわけね」
「すいません…」
「貴方はこの先どうするの?」
「そうですね。妻を探します」
「あては?」
パウクは首を横に振った。
「盗賊は定住しないものね…。なら私達について来ない?」
「えっ」
そう声を出したのはシロだった。
「一応ここは魔界なわけだし、シロを守れる人材は多い方が安心できるのよね」
「私だって戦えますよ!」
「これまでが少数だっただけよ。私だって王宮を抜け出した身よ?王に従う者には私の力は意味をなさないし…」
「許せるッ!」
突然パウクが叫んだ。
「え?」
「拙者がお供致します。助けて頂いた御恩をお返し致します」
「うむ、よろしい」
「え〜!?」
「ふ、冗談よ。よろしくねパウク」
「よろしく頼む!」
「さて、まずはマタニラを目指しましょう」
「この道をまっすぐ行けば林道に出れるぞ」
「土地勘がある人がいると助かるわ。行きましょう」
クロとパウクが歩き出した。
「待って下さいよー」
シロは慌ててその後を追った。
〈神判の日〉まで残り352日
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