第4話 命のサイクル

〔これまでのあらすじ〕

世界の終焉、〈神判の日〉まで残り1年。魔族の娘であるクロは世界を救う鍵となるオシリスの羊という存在の少女シロと出会う。クロを助ける為に騎士を殺したシロは、その罪を償う為にもクロと共に世界を救う旅に出たのであった。

騎士殺しの現場を目撃されていたシロとクロはレニカの街で騎士に捕まってしまう。なんとか逃亡に成功したものの、逃げ込んだ洞窟の中でシロが気絶してしまった。


クロは慌てて背中に手を回し、シロを抱き起こした。

「シロ!しっかりして!シロ!」

額に手を当てる。

「酷い熱。どうしましょう」

クロは洞窟に落ちていた。平らな小石を拾いシロの額に乗せた。

「まあ…無いよりはいいかな」

「仰せのままに…」

シロは呟いた。

「まさか」

クロはシロに向かって命令した。

「その姿勢のまま、右手を挙げなさい」

クロの言う通りにシロは右手を挙げた。

「やっぱり。捕まった時にトルトラルの薬を使われたのね。確か解毒薬には…えっと…そうだ、エースルの花粉」

クロは洞窟の口に立って、辺りを見渡した。

「結構高いところじゃないと生えてないんだけど…あ、あの山ならありそう」

クロはシロの傍まで戻った。

「そのまま安静にしていて。自分の身に何かあった時は、構わず反撃するのよ」

そうシロに命令すると、クロは洞窟を出た。



クロは山の麓まで来た。

「後はこれを登るだけね」

クロは山を見上げた。麓までの道は一応整備されてはいたものの、ここから先は手付かずの状態であった。背丈の高い草木が鬱蒼としており、とても進める道とは言えなかった。

「全く、道ぐらい造っておきなさいよね。でも自然のままの方がエースルの花は自生している可能性が高いか。しょうがない。今日は許してやりましょう」

クロは三歩下がると先を見据えた。

「こういうのはテンポが大事なのよ。ねっ」

クロは三歩目と同時に歩幅を広げ、一歩ごとに止まらず勢いのままに斜面を駆け上がっていく。そして右手で木の枝を掴む。

「想定通り」

クロは急になる斜面を枝をつたって進んでいく。枝が折れでもしたら真っ逆さまに転げ落ちる。手を変え掴む枝を変え、慎重に進まなければならない。


「なっ」

傾斜の緩やかで開けた場所に出たクロは愕然とした。

山の一部が崩れ、土砂が流れ込んできていた。とても進めそうな道ではなかった。

「ぽっかり穴が空いてそこから崩れ落ちたのね。それにしても一体どうしてそんなことが」

クロは山の反対側に回ることにした。エースルの花が自生するにはまだ標高が低い。


下草に覆われた道なき道を登っていると、カサカサという葉の擦れる音が聞こえた。

何かがいる。クロは気配も感じた。自分の周りをウロウロしているように感じた。

音は次第に大きくなっていく。つまり"何か"が近づいている。

ここでは分が悪い。足元は不安定だし、木々のせいで視界が暗い。

先から光が漏れている。もう少し行けば開けそうだった。クロは再びテンポに乗って進み出した。シャッという音がした。クロをつけ狙う"何か"も同時に動き出した。

クロが開けた場所に出ると、そこには長い牙を持った人の大きさ程の四足獣、マンドロスキロンの群れがいた。

それが"何か"の正体だった。どうやらこの辺りが彼らのテリトリーであるらしかった。マンドロスキロンは獲物から目を離すことなく唸っていた。

クロは爪で左手首を切りつけた。ぱっくり開いた傷口から血がタラタラと流れる。

「我が血に平伏せ」

クロは左腕を掲げた。マンドロスキロンは変わらず威嚇を続けている。

「ちっ、こいつら未文明種アナーキーか」

正面の一匹が飛びかかってくる。クロは右腕の力を抜き、マンドロスキロンを殴り飛ばした。

「丁度いい。手頃な食料が見つかった」

右手側から飛び込んできた個体の大きく伸びた二本の牙を掴み、反対側の個体にぶつけた。

「ゴアアアアアアアアアオ」

正面にある岩の上で一際大きな個体が吠えた。

「長のお出ましね」

長はクロを丸呑みにせんとばかりに口を大きく開け、クロ目掛けて飛び込んできた。クロの足元が陰る。頭上からゆっくりと長の口が迫ってくる。

「私の方が速い」

遂にクロは長の口の中にすっぽりと入った。しかし長が噛み砕こうとした瞬間、クロの右腕が長の脳を掴みながら頭頂を突き破った。ちぎれた血管からぴゅるぴゅると血が吹き出す。クロが脳を潰すと様々混じった液体が飛び散った。

クロは長の口を開け無事に中から出てきた。

「ひひっ…いただきます」

クロは右手に握られた長の脳を自らの口に放り込んだ。

「うん。ひっ、悪く無い味ね」

クロが辺りを見渡すと、長がやられたのを目にしたマンドロスキロン達が尻尾を巻いて逃げ出していく様子が目に止まった。

クロは溢れ出す涎を止められなかった。

「ちょっとだけ…いいよね」

クロは長の腹を裂き、顔を突っ込んで肉を頬張った。


「ふう。持って帰ってシロにも分けてあげなくちゃ」

顔中にべっとりとついた血を腕で拭ったクロは立ち上がった。

「でもまずはエースルの花粉よね」

クロは再び歩き出した。餓えを凌いだクロの足取りは軽く、一気に駆け登った。

そして高山植物の群生地、お花畑に到着した。

「うわー…あー…時期が早かったか」

歓声をあげようとしたクロだったが、それほどでもなかった。しかし辺り一面とは言えずともぽつぽつと青や白、赤や黄色の花が咲いていた。クロは白色でもめしべが黒い花を探した。

エースルの花は意外にも簡単に見つかった。クロは7、8本を茎から引き抜き小瓶に詰めてそれをポケットに突っ込んだ。

無事にエースルの花を手に入れたクロは、途中でマンドロスキロンの長の肉塊を拾いつつ、急いでシロの待つ洞窟へ戻った。


「シロ!」

戻るとシロはスヤスヤと眠っていた。襲われた形跡もない。どうやらシロも無事だったようだ。

クロは花の入った小瓶に水を入れ、火を起こして湯煎した。

中の水が沸騰したら花びらを抜き、花粉を溶かした水をシロに飲ませた。

まだ燃えている火でマンドロスキロンの肉を焼き、シロが目を覚ますのを待った。

クロはシロのポシェットに手を伸ばした。

――やっぱりあの本、気になる。

クロはポシェットから本を取り出し、中を覗いた。

「何…コレ…」

そこに書かれていたのは恐らくシロの手書きの文字。"少年"という名前の人間と、"少女"という名前の人間の会話が書かれていた。

クロは本を閉じる。ポシェットの中を探すと、もう一冊の本があった。中を開くとそこには、以前見た読めない文字列が整然と記されてあった。

「クロ…さん…?」

驚いて振り返るとシロが上半身を起こしていた。

「シロ。もう大丈夫なの?」

シロの目線がクロのそばに置かれた本に注がれる。

「あっ…あの…。見ました…?」

「え、コレのこと?」

クロはシロの手書き文字の本を持ち上げる。シロはコクリと頷く。

「あ、あー…そんなしっかりとは見てないから…」

「見たんじゃないですか!」

シロは本を奪い取ると表紙に顔を擦り付けた。

「…恥ずかしい」

「ご、ごめんね本当に。あの、わざとじゃなくてね?えと…は私にもあったから」

「ぷっ」

シロは吹き出した。

「フォローになってませんよ。それ」

「そ、そうね」

クロは頭を掻いた。

「あ、そうだ。お腹空いてるでしょ。お肉焼いておいたのよ」

クロは骨の一端をシロに突き出した。

「え?でも、私達は人も魔物も食べないって」

「意思疎通ができる種、既文明種オーダーに限るってことよ。これはマンドロスキロン。未文明種アナーキーよ。生きるためには奪われるのも仕方のない命だってある。だってそれがこの世の理、命の紡ぐサイクルですもの。人だって牛や豚は食べるでしょ?」

「確かに食べますね」

「それと同じよ。厳密には、同一祖先から地理的隔離で適応進化した存在同士ってことになるけど。それで、どうする?」

シロは生唾を飲み込んだ。半日ぶりの、しかも一悶着の後の飯だ。正直なんでもいい。

「いただきます」

シロは両手で骨を掴み、肉にかぶりついた。首を振って肉を引きちぎる。

「うわっおいしい」

「そうでしょ。奴は肉付きがよかったからね。長なだけあるわ」

シロは黙々と食べた。

クロは続けた。

「それが命をいただくということ。命のサイクルに従って生きる。植物を小動物が食べる。小動物をマンドロスキロンが食べる。マンドロスキロンを私が食べる。たとえ私が食べられずに生き残ったとしても、いずれこの体は朽ちる。そして朽ちた体は分解され、植物の肥料となる。このサイクルの殺生を、私は否定しない。これが理だから。でもこの世界には、命のサイクルを逸脱した殺傷がある。私はそれを許さない。人にも、シロにも、私にも、ゴブリンにも、ノームにも、私達既文明種には言葉がある。言葉は分かり合う為の道具。既文明種同士の殺し合いは命のサイクルを、この世の理を逸脱する行為。次へ繋ぐべき命を、絶やしてはいけないのよ」

「命を、次に繋ぐ…」

シロは呟き、肉にかぶりついた。

しまいには骨だけが残った。

「ごちそうさまでした」

「ええ。ねぇシロ、私疲れちゃった。少し休んでからここを出ましょう」

「分かりました。それであの…クロさん…」

シロがなにやらもじもじとしている。

「どうしたのシロ」

「さ、さっきの話の続きなんですけど…」

「さっきの?」

「本の…」

「ああ」

「…私、小説を書いているんです」

クロがおもむろに話し始めた。

「それで…」



「あ、起きましたか。おはようございます」

クロは左目を擦りながら上半身を起こす。

「どれくらい経った?」

「まだ南中はしてないです」

「そう。そろそろ出発しましょうか」

「はい。って、どうしたんですか!?」

クロの顔にシロが顔を近づける。

「左目が」

「左目?」

シロはポシェットから小さな円形の鏡を取り出しクロに手渡した。

「これは…」

クロの左目の虹彩の縁が赤く染まっていた。

「痛いですか?」

シロは尋ねた。

「いや、違和感は特にないけど」

「病気…ですかね」

「うーん、本当になんともないんだけどな」

「一度お医者様に診てもらった方がいいですよ。行きましょう」

「待って。この辺にまともな医者なんていないわ。魔界の中心部まで戻る余裕もない」

「人界なんて病院ばっかりですよ。行きましょう」

「そんなに言うなら…。でも何か変装しないと」

「変装?」

「私達、騎士から逃げてきたのよ?きっとまだ探しているに違いないわ」

「服は買わないと無理ですけど、一応髪型なら」

「髪型…」


二人は洞窟を後にし、人界の方へ歩き出した。大体の地理はクロがお花畑で確認していた。人魔境界線に沿って北上すれば人界に出れるはずである。当然、レニカの街へはもう戻れない。

「ねぇシロ…本当によかったの?」

「別に少し短くするくらいどうってことないですよ」

シロは肩の下まであった髪を首までばっさりと切った。

「クロさんこそ、ちゃんと左目隠せていますか?」

「どう?」

クロはシロに顔を向けた。

「ばっちりです」

「シロも似合っているわよ」

「ひぇっ、あ、ありがとうございます」

シロの頬がほんのりと赤みを帯びていた。

「それでこの先だけど、多分リュンカスの巣があるから、そこは迂回しましょう」

「リュンカス?」

「マンドロスキロンを主食とする獰猛な肉食獣。知能が高く集団行動が得意。油断していると手練れでも殺されるわ」



中央騎士団本部。

「で、その二人を取り逃したと。カピタノ」

「仰る通りですございます。申し訳ございません」

「この際魔物が放たれたことはよい。退治は後からでも可能だ。しかしだ、女が呪文を読み上げてスキルを発動させたと?」

「左様でございます。私には読めぬ文字でしたが、恐らく別の呪文もあるようでした」

「複数のスキルを発動させる女か。興味深い」

団長は地図の書かれた巻物を取り出した。

「貴様の所属はレニカの街だったな?」

「左様でございます」

「そこから逃げたとなると…ふむ、一番近いのはイグニスか」

「イグニス様とは、イグニス様でございますか!?」

「そうだ。騎士団最強の男だ」



散乱する死体の中心に剣を携えた男がいた。

「それで結局何なんだよコイツら」

「リュンカスっていう獣らしいわよ」

「聞いたことねぇな。急に飛びかかってきやがったがまあ、俺の敵じゃねぇ」

「いちいちうるさいわね。こんなので死なれちゃ困るわよイグニス」


〈神判の日〉まで残り363日

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