第2話 旅立ちの日

「覚えていないんです。名前以外何も。教えて下さい。私は、何をすればいいのですか?」

「覚えていないって…じゃあ、自分がオシリスの羊だっていう自覚は?」

「ない…です。それに、さっきから何なんですかその、オシリスのなんとかってやつは」

「オシリスの羊。この世界の希望。ごめんなさい。私は何も分かっていなかったわ。事態はここまで深刻だったなんて。何も知らないのに罵倒しちゃってごめんなさい」

クロは頭を下げた。

「いいんです。そんなの。聞かせてくれませんか?全て」

「ええ。歩きながら話しましょう。荷車も置いてきてしまったしね」

「わかりました」

「まずはオシリスの羊についてだけど、人魔大戦については?」

「知らないです」

「そう。今から369年前。人族と魔族の争いは激化の頂点を極めていた。そんな時に神が降り立った。神は一瞬にして、荒廃した世界を復元させた。でも同時に、370年後にこの世界を終わらせることを宣言した。その運命を変えられるのがオシリスの羊。世界中に散った3人の羊を集めれば、神に願いを届けることができる。この世界を終わらせたくなければ、人族も魔族も協力して羊を探さなければいけない」

「でもそんなこと…」

「そうよ。誰もしてない。隠された事実だからよ」

「隠された?」

「人族の、それも王のかなり近くに記憶を奪うスキルの使い手がいる」

「どうしてわかるんですか」

「魔族がそうだからよ。世界の終わりを知る者は数少ない」

「なるほど」

「環境は元に戻っても、失われた命を取り戻すことは、植え付けられた恐怖を消し去ることはできなかった。だから人族も魔族も記憶を消された。束の間の平和を享受するには仕方のないことだった。でもそれが、かえって真の平和の妨げとなっている。皮肉な話よね」

「とにかく、オシリスの羊は神様に平和をお願いする為に必要だと」

「そういうこと」

「…でも確か369年前の出来事で期限は370年って」

「そう。あと1年しかない」

「私以外にもう見つかっているとか?」

「いいえ。貴方が一人目よ」

「そんな…」

少しの間、沈黙が続いた。クロは一言だけ付け加えた。

「でも私は、まだ諦めてない」


「見えてきたわね」

「よかった。なんともなくて」

二人は荷車を見つけた。

「毛布も2枚あって。…それで…」

シロは毛布の上の手をキュッと握りしめた。

「私は…何を…?」

「あなたは決して消えない罪を負った。それが罪だと知らなかったとしても、償わなければならない。人として生きるのなら。……私と来なさい。そして世界を救うの。奪ってしまった命の分も」

「世界を救う…」

「そうよ」

シロは毛布の上の拳を見つめた。

「私、行きます。世界を救います。人として、オシリスの羊として」

シロはクロの目を見た。クロは頷いた。

「でもファミアさん許してくれるかな…」

シロは呟いた。

「えっ?」

「あ、私、ファミアさんっていう古書店の店長さんの家にお世話になっているんですけど、果たして旅に出ることを許してくるか…」

「そうなのね…ならキチンと話をしないと」

「私、一旦家に戻りますね。クロさんはどうしますか?」

「クロでいいわよ。私もシロって呼ぶから」

「あ、いや、あのえっと、その、く…クロ…さん…」

「もう」

「あ、す、すいません。もう少しこれで」

「わかったわ。それと私も付いて行く。二人の方が説得しやすいでしょう」

「いいんですか。お願いします。私、ちゃんと説明できるか不安なので」

シロはニヘラと笑った。

「荷車、どうしましょう。押手が壊れちゃってるし。ごめんねシロ。あの時誘導石が急に動き出して、手に握ってたら私ごと飛び上がったのよ。着地するには何か柔らかい物が必要で…」

「大丈夫です。すぐに直せますから」

そう言ってシロは再びポシェットから本を取り出した。

「何?その本」

クロは尋ねた。

「これは、色々なスキルが書かれた本で、この本自体にかけられた効果なのか、一度使うと消えてしまうんですけどね」

「どういうこと?」

「見てて下さい」

シロは後半辺りのページを開いた。

「確か修復スキルは…あった。コホン」

シロはわざとらしく咳払いをした。

「なんて書いてあるのよこれ」

本を覗き込んだクロはそうこぼした。

「私、人族の文字も勉強したけど、こんなの見たことないわよ」

「そうなのですか?私には読めるんですけど。でもそういえばこの本でしか見たことないかもしれないです。この文字」

「どう読むの?」

「壊れし物、元の姿に戻らん。完全修復ハイレン

シロの虹彩の縁が赤く輝く。外れていた押手の破片が浮き上がると、荷車にくっつき元の形に戻った。

「すごい。新品同様ね」

「ほら、見て下さいよこれ」

シロは開いていたページを見せた。完全修復のスキルの呪文の文字が消えていく。

「本当だ。じゃあ所々の空白は」

「そうです。もう使ったスキルです」

「結構あるのね」

「色々あってたんですよ。目が覚めたら知らない森の中で素っ裸で寝ていて手元にはこの本一冊だけ。この本のスキルでどうにか生き残って、辿り着いたのがファミアさんのお店だったんです」

「そうなのね」

「そんなことより行きましょうクロさん」

「ええ」

シロは荷車の押手の輪の中に身を入れた。

「私も押すわ」

「…!ありがとうございます」

二人は荷車を押し、キタブ堂への道を進み出した。

「さっきクロさんは魔王の娘って言ってましたよね」

「ええ」

「父親を説得しようとはしなかったのですか?」

「まぁ当然の思考よね…。あの人は父親だけど、ただ血が繋がっているだけ。家のことは顧みもしないわ」

「そうなんですね」

「私は祖母の使命を終わらせないといけないの」

「祖母?」

「そう。終戦の目処がたたないことを悟ってオシリスの羊探しを始めたのが私の祖母。私も預言のこととか、オシリスの羊のこととか、全部祖母から教わったの。亡くなる直前、私に誘導石を渡したのも…」

「そうだったんですね」

沈黙が再び訪れた。


「見えました。あれです」

シロは丘の上の一軒家を指差した。

「そう。行きましょう」

目の前には最後の坂があった。

「着きました」

二人は店の裏手に回った。そこ外付けの階段がある。

「いい立地ね。街が見下ろせる」

「行き過ぎると危ないですよ。崖になってますから」

「そうね」

階段を登り、シロは玄関の扉を開けた。

「ただいま」

「お邪魔します」

「おかえりなさい。あら、お客さん?いらっしゃい」

廊下の先にあるリビングからファミアが顔を覗かせる。

「手洗ってきなさい。今お茶の用意をするからね」

「はーい」

「あの…ありがとうございます」

「こっちですクロさん」

「あ、ええ」

玄関から見て右手に入ったところにある洗面台で手を洗い、リビングのダイニングテーブルの椅子に座る。

シロの隣にクロが、そしてシロの前に湯呑みを並べたファミアが座った。

「いただきます」

クロが湯呑みを手に取る。白い湯気が顔を撫でた。縁に唇を当て一口茶を啜る。

「あたたかい」

「うちのお茶は葉にこだわってるからね」

「美味しいです」

「そう。良かった。私はファミア、シロから間柄は聞いたかな?」

「はい。大方は。私はクロといいます」

ファミアはクロに微笑んだ。そしてシロの目を見る。

「それで、どうしたのシロ。毛布は干したの?」

「き、今日は、ファミアさんに、お願いがあって」

目を逸らしたシロは湯呑みの中のお茶を見つめながら言った。

「…私、その、旅に」

「旅?」

一つ頷いたシロはファミアの目に視線を合わせた。

「そう。世界を救う旅に出たいんだ」

ファミアはクロを見た。

「あなたと一緒に?」

「そうです。シロは、オシリスの羊という存在です。世界を救う力と義務があります」

ファミアは再びシロに向き直ると、目を閉じて腕を組んだ。

「お願いします。ファミアさん。帰ってきたら…ちゃんとお店の手伝いをするから」

「駄目よ」

「どうして…」

「リオスの話は、したことあったわよね」

ファミアは棚の上にある写真立ての中の少年の写真を見た。

「クロさん、私にはね、一人の息子がいたのよ。年は…ちょうどシロと同じくらいだったわ。世界を救うって意気込んで、騎士団に入って死んだのが。ほら、ここは境界線が近いじゃない?だから常に人手不足なのよ。使える騎士はどんどん使うわ」

「モルベルグの戦い…」

クロは呟いた。

「あらクロさん、知っているの?」

「私の兄が、指揮を取っていましたから…」

「そう…」

「父親を病気で亡くしてから、私はあの子を女手一つで育ててきた。どんなに手をかけてもね、失うのは一瞬なのよ。あの日、騎士団の人が家に来て、血塗られた兜だけを置いていったあの日、全てが崩れ去ったのよ。シロ、聞いて。私はね、もう失いたくないのよ。大切な家族を。あなたが大丈夫と言っても私にはその確信がない。だから私は、あなたの旅立ちを許せない」

「ファミアさん…」

突然クロが立ち上がり腰を曲げた。

「お願いします。どうか許してやって下さい。私には力があります。シロにも、きっと使いこなせるはずです。シロの身の安全を必ず第一に考えますので!」

「でもねぇ、クロさん…」

「世界の…危機なんです…」

クロは最後にそれだけを搾り出して言った。

「ファミアさん、ごめんなさい」

シロは本をテーブルの上に置いた。

「その本は?店には置いていない気がするけど」

「私、決めたから。クロさんと一緒に世界を救うって。もう誰も殺されない平和な世界を作るって。だから、あなたから私の記憶を消します」

「シロ!?」

クロは驚いてシロを見た。

「何を…言っているの?」

ファミアは尋ねた。

「そのままの意味だよ。悲しいけど、大丈夫。悲しいってことも忘れちゃうから」

シロは本を開いた。

完全忘却レテント:シロ」

虹彩の縁が赤く輝く。そして本が光を放つ。

「シロ」

名を呼ばれ、本を見つめていたシロは顔を上げた。

「頑張るのよ」

ファミアは微笑んだ。


ダイニングテーブルに突っ伏していたファミアは体を起こした。

「あれ、私、いつの間にか寝てた…?」

ふと、ベランダの物干しが目に止まった。

「なんで私、2枚も毛布を干しているんだっけ」


シロは立ち止まり、丘の上の家を見つめていた。

「シロ?大丈夫?」

「はい。でもここから歩き出したら、もうあの家を見ることも出来ませんから。最後に目に焼き付けておこうと思って」

シロは袖で目を擦った。

「シロ…?」

「なんでもないです。家に夕陽が重なって、目が痛いだけです」

クロはシロの背中をただ見つめていた。

「クロさん」

シロは先に伸びる道に顔を向けた。

「行きましょう」

「そうね」

シロとクロは歩き出した。

まだこの世界に夜は訪れていなかった。


「二人の少女が接触した。これでようやく再開する。全ては二人でだよね。お姉ちゃん」


〈神判の日〉まで残り365日

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