オシリスの羊たち
白黒羊
第1章 春
第1話 終わりの年の始まりの春
大災、惨禍、混沌、この世界に、どんな名前を付ければ良いのだろうか。魔族と人族が互いを理解せぬまま、ひたすら憎み合った故に勃発した最終戦争。
空は分厚い雲に覆われ、森は焼け落ち、海は干上がった。未来の無い争いに命を投げうつ者たち。平和を願う心など、勝利の為には不要であった。
だが突如、そんな世界も終わりを告げた。雲の切れ目から金色の光が差し込み、生きとし生けるもの全ての前に神が降臨した。世界の惨状を憂いた神はこう告げた。
「370年後の春、再び我が降り立ち、最後の審判を下す。その勝者のみが、この世界で生き残る権利を得る。我が意志に仇なす方法は一つ。世界に散りばめられた、3人のオシリスの羊を探せ。3人の意志が総意となり、我が意志を成す。再生された世界をどう生きるかは、諸君ら次第だ」
その瞬間、曇天は消え失せ、森に命が還り、乾いた大地が潤いを取り戻した。世界の様相は、最終戦争前へとリセットされた。
二つの民族は復興を開始した。その最中、小規模な争いが再発した。
人々は370年後の〈神判の日〉から逆算し、74年を1世紀と定めた。
そして1世紀最後の日に、人界と魔界を区切る人魔境界線が定められ、相互不干渉を約束した。
2世紀最後の日に、人族は境界線に壁を建てた。
4世紀最後の日に、人族は自らその壁を破った。人族にも魔族にも、残された時間は等しく74年だった。
かつて人族は、魔族の圧倒的な力の前に敗北していた。人魔境界線も、魔界の広さは人界の2倍あった。元々人族にはスキルという力があった。魔族に言わせてみれば、人族が魔力を扱うことなど不可能だった。だが人族は科学を進歩させた。科学力とスキル。人族は魔力に対する力を手にした。
そして魔界の四分の一の占領に成功。人界と魔界は同等の広さとなった。
―――そして〈降臨の日〉から369年後、春。
新たな人魔境界線を見渡せる丘の上にある古書店キタブ堂。
「シロー?まだ寝てるのー?お使いを頼みたいんだけどー」
店主のファミアは屋根裏部屋にて眠る同居人を呼んだ。
少女は眠い目を擦りつつ体を起こす。
「シロー?聞いてるのー?」
「今降りるよ、ファミアさん」
少女シロは大きな口を開けながら長い黒髪を机の上にあったブラシでとかしていく。
ベッドから抜け出すと寝巻きから部屋着に着替えて梯子を下る。
「おはよう、ファミアさん」
「おはようシロ。朝ごはん出来てるわよ。とっくにね」
「はぁい」
洗面台で顔を洗い、食卓につく。
「いただきます」
シロは冷めかけた目玉焼きパンを頬張る。
「で、お使いって?」
「街まで毛布を洗いに行ってもらおうと思って」
「えー、まだいいよ。寒いって」
「もう春よ?それに毛布にくるまって誰かさんがいつまでも起きてこないじゃない」
「うぐ…」
「いいわね?」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
ココアミルクを飲み干し、シロは手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
シャワーを浴び、着替えたシロは机の上の2冊の本をポシェットにしまい、毛布を積んだ荷車を引いて街へと向かった。
坂を下り切り、平坦な道に出る。
春の陽気につられ、思わず鼻歌を歌いながら、小説の続きを考えた。時にはブツブツと囁きながら。
「こう、ずっと落ちる感じで、止まれええ!みたいな。伸ばした方がいいかな。止まれ!止まれええええ!」
「そこで止まってええええええええ!」
「それはなんか違うような。…ん?」
シロは辺りを見回す。誰もいない。突然太陽が隠れ、視界が暗くなった。空を見上げる。人がこっちに向かって落下している。
「え?」
頭に重い衝撃を感じた。シロの体は荷車を押す取手を壊し、右に飛ばされた。後転を繰り返し、止まる。ポシェットが転がる。
空から降ってきた何かに押しつぶされているシロ。シロには自らの唇に何か温かいものが触れている感覚があった。
恐る恐る目を開ける。目の前には鼻筋。そして長いまつ毛。
どうやら相手も気がついたようだ。目が合う。
一瞬の沈黙。その間も触れ続ける唇どうし。
相手は飛び起きた。その拍子に純白の髪が揺れ広がる。
「あ、あの、えっと、一応聞くけど、女の子…だよね…?」
白髪の少女は自らの唇に指先を当て目を逸らしつつ尋ねる。
「そう…ですけど…」
「あっ、あ〜!そ、それならよかった。女の子同士ならノーカン…だよね…」
もごもごと話すので、シロにはよく聞き取れなかった。
「あの…貴方は一体?」
「あ、そうだった」
白髪の少女は立ち上がる。そして二、三度咳払いをする。
「私はクロ。こう見えても魔王の第一王女よ。探したんだからね。世界を救う、オシリスの羊さん?」
クロは手を伸ばした。
シロはその手を取らずに立ち上がり、ポシェットを掴んで一目散に駆け出した。
「ちょ!?」
クロと名乗る少女も後を追って走り出す。
「待ってよ!オシリスの羊!やっと見つけたのに!」
シロはポシェットから筒を取り出すと、真ん中で折って右手で握る下部を頭上に持ち上げる。警戒弾が打ち上がった。弾はシロの上空で音を立てて破裂する。
警戒弾。魔物に襲われていることを知らせる為の道具。人魔境界線付近に住む人間の必需品。
シロは振り返った。魔物は未だ追いかけてくる。さらに段々と距離が短くなってきている。
「危ない!」
クロは叫んだ。目の前に地面は続いていなかった。シロは足を踏み外した。シロの右足は空中にあった。崖下には木々が鬱蒼としていた。
シロの体がそのまま落下する瞬間、伸びた左腕を強く握られた。
「今、助けるから!」
クロは両手でシロの左腕を掴み、踏ん張る。
「うりゃっ!」
クロが両腕を振ると、シロの体は飛び上がった。そのまま落ちてきたシロの体を受け止めたクロは尻餅をついた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「はぁ、はぁ、はぁ」
二人の吐息が混ざり合う。
「大丈夫?オシリスの羊」
「あ、えと…ありがとう…ございます…」
シロは飛び起き、顔を背けて両腕を前に突き出す。
「私、本当に美味しくないですよ!だから食べないで下さい!お願いします…」
「ぷっ」
クロは吹き出した。
「私の話聞いてた?あなたのこと食べるわけないじゃない」
「でもあなた、自分で魔王の王女って…」
「あのねぇ、魔族だからって人を見た瞬間に取って食べたりする訳じゃないの。損得勘定ぐらい出来るに決まっているでしょ」
ぴんと伸びた両腕の力が抜ける。
「じゃあ、あなたにとっての得っていうのは?」
「私は魔族と人族の争いを終わらせたい。その為には〈神判の日〉までにオシリスの羊を3人集めなければいけない。あなたがその一人なんでしょ?」
「オシリスの…羊…?」
シロはクロの顔を見た。クロは目を見開いた。
「待って、自覚が無いの?」
「なんのことだか、さっぱり…すいません…」
「いや、いいのよ。だって誘導石はあなたに反応したんですもの」
クロはそう言いながらポケットの中に手を突っ込んだ。
「いきなり飛び上がるから大変だったのよ…あっ」
開いた手のひらにあったそれは、粉々に砕かれていた。
「どうしよう…壊しちゃった…」
「えっと…?」
「…!危ない!」
クロはシロの肩を掴んで左に飛んだ。二人のいた場所に弾が着弾し砂煙が巻き起こる。
「かわしたか。では貴様ら二人に問う。どちらが通報者だ。そしてどちらが我々の対処すべき目標だ?」
砂煙の向こう、そこには武装した6人の男達がいた。
「ッチ、爆発する矢か」
「騎士団が来ちゃいました…私のせいで…」
シロが呟いた。彼らはシロの放った警戒弾を察知してやってきたのである。
「答えないなら、共に殺すぞ。魔族への肩入れも立派な犯罪だ」
騎士団らは弓を構えた。
「私よ」
クロが立ち上がった。
「私が魔族。あなたたちの目標よ」
「そうか。では魔物よ、無駄な抵抗はせずにこちらに来い」
クロは男達のもとへ歩き出す。
「おい、あいつかなりの上ものだぜ。背丈はアレだが出るとこしっかり出てやがるし」
「こいつは夜が楽しみだな」
男達は囁き合った。
クロが歩きながら右手を背中に隠した瞬間、真ん中の騎士が動き、クロの首を絞めて体の自由を奪った。
「無駄な抵抗はするなと言ったな。人の言葉が通じないか?」
「放せ!私にあの少女を襲う気はない!アンタらもだ!」
「お前がどうであれ、我々は違う。それが仕事だからな」
クロがバタバタと手足を動かす。
「おとなしくしていろ」
騎士はクロの首を絞める力を強めた。クロの力が抜けた。
「待って!通報は誤報よ。あなた達の仕事は無くなったわ!」
シロが叫んだ。
「なんだと小娘。目標かどうかを決めるのは俺達騎士の仕事だ。守られる側の奴に仕事を邪魔する権利はねぇよ」
シロはポシェットに手を突っ込んだ。
「おっと、下手な真似はするなよ嬢ちゃん」
騎士達は矢の先をシロに向けた。ポシェットの中の手は本の背を掴んだ。
「魔族擁護罪で処刑されたくなかったらな?」
シロは本を取り出すと、中間辺りのページを開いた。そしてそこに書かれた文言の一つを読み上げた。
「粒子よ我が指先に集まり敵を貫く弾丸となれ」
騎士達は矢を放った。六発分の爆発が起こる。土煙が立ち上がる。しかし、その煙もシロの突き出した右人差し指の前に収束した。
親指を立て、他の指を丸め、左手で右手を支えるティー・カッピングの姿勢を取る。
「
シロの虹彩の縁が赤く輝く。
「なんなんだそのスキルは!」
騎士の一人が叫んだ。
「
シロの指先から放たれた光線は六つに分かれ、それぞれの騎士の胸を貫通し、再びまとまりそのまま直進すると、遠方にそびえる山の中腹に穴を開けた。
衝撃音は街全体に轟き、シロにまで届いた。
その衝撃によりクロは目を覚ました。まず目に入ったのは、転がった男6人の亡骸。
「これは…」
「あの…大丈夫…ですか?」
シロは近寄り、恐る恐る手を差し伸べた。
「これ…貴方がやったの…?」
「え?」
「貴方が…殺したの…?」
「そうですけど…それがどうかしたんですか?」
クロはシロの手を払いのけた。そして一人で立ち上がった。
「貴方はどうしてそんな顔が出来るの?人を殺しておきながら!」
シロに詰め寄る。
「だって…あなたを助ける為に…。騎士が、邪魔だったから」
「邪魔って…貴方バカなの?人を殺していい訳がないでしょう!」
「…そうなのですか?」
「なっ、シラを切る気?」
「知らないんです。私。人を殺しちゃいけないなんて。そんなの聞いた事ないんです」
「じゃあ何、貴方は人を殺しながら育ってきたって言うの?」
「…分かりません」
「はぁ?」
シロはクロをまじまじと見つめた。
「覚えていないんです。名前以外何も。教えて下さい。私は、何をすればいいのですか?」
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