アニメーション同好会の阿呆共ども

芳乃しう 

アニメーション同好会の阿呆ども

 『アニメーション同好会』と寄席文字で書かれた和紙がカーテンと天井との間にある壁のスペースに貼られていた。破れかかってヨレヨレになっているそれは、二人しかいないアニメーション同好会の現状を表しているようでもあった。トレス台で紙に線を引くのが部長の立花逸花(いつか)、Gペンでインクを落とすのが部員の橘四片(よひら)である。この描写から分かるように、アニメーション同好会の『アニメ』に当たる部分の九割は、逸花が担っていた。

「だいたい今の時代、逸花ちゃんみたいな人が作る手書きのアニメはもう死んだも同然でしょ。レトロ、というより古典だよ」

「古典はすべての源泉よ。今の時代、それを蔑ろにする人間が多いのは嘆かわしいことよ」

「時代に逆行してるだけじゃん」

「違うわ。私は警鐘を鳴らしているの。AIによって中割りも色指定も撮影も原画作業すらしてしまう、この腐れ切ったアニメ業界に喝を入れるために私は生まれてきたの」

「逸花ちゃんは大層な人間だね」

 四片はそう言って肩をすくめる。時代は大きく変わった。二〇二三年にイラスト生成AIが生まれてから、アニメーションの制作技術は格段に進歩し、次第に人間を必要としなくなった。かろうじて生き残っているのは監督と演出、そして少数のアニメーターのみであり、業界全体の九割をAIが取って代わった。当初は批判も強く、特にイラストレーターによるAI学習禁止運動は『令和のラダイト運動』と呼称され、この呼び方からも分かるように割と早い段階でAI技術の進歩にイラストレーターも適応するようになっていった。

「漫画もそのうち危うくなるわよ」

「その時はその時。私は描くのが楽しいから描いているだけ」

「あら、そう。売れっ子漫画家は言うことが違うわね」

 漫画だけは特別である。構図、ストーリー、台詞、画力、それらが奇跡的な一致をしなければAIに漫画を作ることは不可能であった。すべて人間の手で行われる、生活のほとんどにAIが導入されている現代において、唯一無二とも言える存在であった。

「ぶつくさ言ってる暇があるなら、早く動画を仕上げたら? 私はもうすぐ脱稿するよ」

「この作業が一番時間がかかるのよ!」

 鉛筆でひたすら線を引いていく。監督、原画、動画、美術、演出、色指定、制作etc……。そのほとんどを一人で行い、アニメを完成させる。とあるアニメ賞の発表会の場で、著名な監督はこう言った。

「逸花くん。君はなんというか、極めて狂気に近い何かを持っている。それをちゃんとしたアニメ制作に生かして欲しいんだ。そうしたらもっと素晴らしいものが出来上がる」

 またある著名なアニメーターはこう言った。

「クレイジーだよ。クレイジー。とにかくクレイジー。君ほどの技術でAIが使えたなら、アニメはもっと革命的になるはずだ」

 それを聞いた逸花はこう言った。

「私はあなたたちがAIを捨てるまで気狂いであり続けます」

 そして暴れ出し、紅の鮮やかなドレスを引っ張られながら警備員に退場させられた。世に言う『いまだにラダイト運動』事件である。彼女にとって正当な評価とは喜んで逆行する業界の姿なのであった。一方で四片は正統派の漫画家であった。特に評価されたのは画力であり、いわゆる日常系の漫画を描く漫画家の中でも高校生としては卓越した才能を開花させていた。逸花がその画力に惚れ込み原画と動画の手伝いを打診し、ちょうど自由にできる作業場所を探していた四片が彼女の提案に快諾した。仕事とは往々にして利害の一致なのである。

「うーんここは……いや、でもなぁ」

 脱稿した四片は椅子を回転させ、云々唸る逸花を見ながら緑茶を飲む。夕陽が窓から同好会室を照らす。窓から下を覗くと、遠く下の方に中庭が見える。昔の学校はこうではなかったらしい。四片はそんなことを思った。校舎と部室棟、グラウンドに体育館。教室では整然と並べられた机と椅子に、同じ服装をした生徒。教師がカツカツとチョークで音を鳴らす。それは少なくとも八〇年前には普通の光景であった。アニメーション同好会はビルの二三階にあった。学校と呼ばれる空間にもはや教室はない。授業はバーチャルの世界で行われ、教師はAI、体育の授業もフルダイブ型のVR機器を用いて行われる。学校は形式上のものとなり『快適』を3Dプリンタで起こしたような、そんな空間になっていた。逸花は必死に中割り作業を行なっていた。手を真っ黒にさせて、鉛筆で一つ一つ線を引いていく。夕陽が照らす逸花の背中を四片はどことなく見つめていた。

「阿呆だなぁ」

「……何か言った?」

「ううん、何も」

 そう言って、四片は机に戻った。『イラスト図解』と書かれた本を広げてまたGペンを握る。ペンがインクを落とす音と、線が引かれる音だけが部室の中で響いていた。四片は次回作のネームを描き進め、逸花は仕上げ作業に掛かっていた。十二月の日暮は早い。十八時が回った部室内はLEDライトの白さに包まれていた。部室では逸花が組み立てた旧式のラジオが捕らえた電波が流されていた。

「お酒を飲む時だけはね、不安を消せるんですわ。でもね、いい時代でしょ? AIが何でもやってくれて、ベーシックインカムも導入されて。みんな好きなことをしとる。ただね、この不安感だけは消せない。結局、人間は苦しみが必要なんかもね。うちらが若い頃はね、不便でしたよ。労働は残っとる。月曜日は憂鬱。お金の心配、健康の心配。なんにせよ不安で不便で、不快でそんな時代やった。でもね、ただそれでもね。その分日曜日は楽しかったんよ。サザエさん症候群、なんて言って同僚と笑い合える月曜日も憂鬱やけど悪くなかった。そう言うんがね、今の時代にはないんよ」

 逸花はうんうんと肯定を示し、四片は無表情だった。しばらくして二〇時の鐘が構内に鳴り響く。生徒が強制的に下校させられる時間だった。四片と逸花もそれを合図に帰る準備をする。四片は『ポータル』にアクセスするためにメガネを起動させた。

「逸花ちゃん……? はぁ、また歩きなの?」

 逸花はポータルにアクセスせず、踵を押し込むようにローファーのつま先をコツコツ鳴らした、ら

「テレポートばっかじゃ、運動不足になるわよ」

「二キロもあるんだけど……」

「歩いてすぐじゃない。それに量子テレポートの同一性について、私は懐疑的な考えを持っているわ」

「部室までテレポートで来るくせに……分かったよ。行こう」

 部活終わりに銭湯へ行くのがアニメーション同好会のルーティンになっていた。整然とした街並みの中に、かつて香港にあったらしい九龍城砦を思わせるカオスとレトロが入り乱れた空間が存在する。失われた過去を再現したとも言われるその場所は街並みに合わなさすぎるが故、近所の人々からは廃墟やらアヤシイ薬の取引所やら散々な言われようであった。しかし実際利用する側も人が来ないからwin-winの関係であり、銭湯と隣接する古本屋を経営する店主の一人負けという状況であった。エレベーターで一階まで降りる。学校を出て、夜の明るさから離れていくように川沿いの郊外の街を進んでいく。空き家と思わしき古民家、人がいない住宅街のど真ん中にその銭湯は存在する。四片が銭湯の前まで来て、改めてその建物を確認する。今にも壊れそうな煙突、ペンキがカスカスになった『松の湯』の看板。いつの時代のか分からないガチャポンと自動販売機。体を清める場であるが、来るたびに汚くなるのではと四片が不安になるのも仕方のない外観であった。靴箱に靴を預け、中に入る。広々とした番頭台には不健康そうな丸メガネをかけたアフロの青年が新聞を広げ、座っていた。薄汚れたもんぺとどてらに、穴が空いた靴下。この銭湯の経営者、『屋号 健二』である。

「こんばんは、古本屋」

「こんばんは、屋号さん」

 青年は新聞を畳み、私たちの存在を確認する。

「おー、こんばんは。今日は随分遅いじゃん」

「逸花ちゃんが歩こうって」

「汗を流しに来たのよ。そのためには汗をかかなくちゃ」

「今は冬なんだよ」

「さぁ温まりましょう」

「はい、二人で二千円な」

 逸花と四片は千円玉を二枚番頭の前に置く。これでタオルも使えるし、安いものである。都会の方の大きな銭湯では六万円が相場である。二人は脱衣所で制服を脱ぎ、浴場に入る。浴場には二人以外の人間はいなかった。体と頭を洗い、大浴場に浸かる。

「ふぃ〜」

「ふぃ〜」

 誰もいない大浴場の中で、二人は浴槽の縁に腕と顔を乗せてふにゃふにゃになる。

「この瞬間のために生きている気がするわ」

「それには同意せざるを得ない」

 二人の間にしばしの沈黙が流れる。逸花はどこか、ソワソワしているようだった。四片はそれに気づき、その上で無視していた。逸花がよそよそしい時、決まって四片はいい思いをしなかったからである。

「ねぇ、四片」

 逸花が、ゆっくりと口を開く。

「ん〜なに?」

 逸花は少し間を置いた。そして口を開く。

「今度のアニメ」

「うん」

「四片にも手伝って欲しいって思ってる」

 四片は拍子抜けした。逸花のアニメを手伝うのは毎度のことであり、そもそもそのために四片は逸花に勧誘されたのである。

「ん? いいよ別に。というか今までも手伝ってたじゃん」

 逸花は、額に汗を滲ませた。暑さのせいではない。何か重大な事をこれから言うのかもしれない。逸花はそんな事を思った。なつき始めた猫に嫌われないために少しずつ指を鼻に近づける。そんな感覚に近い何か。それを逸花は、四片に感じていた。

「そうなんだけど」

 ここでまた、逸花は一呼吸置いた。

「次のアニメーション同好会の作品の半分は四片のコンテで描きたいの」

「……ん? なに」

 四片がゆっくりと逸花の方を向く。「何を言っているか分からない」四片の目はそれを雄弁に語っていた。逸花はこの目を知っていた。四片はたまにこういう目をする。全てを諦めたような、冷たい大人の目。社会に教化された人々の目を。

「半分でいいわ。けれど今までみたいに原画修正と動画だけではなくてAパートかBパート、どちらかのコンテを描いてもらいたいの」

「ん〜」

 四片は逸花に背を向けて、そして伸びをする。

「考えとくよ」

 そう言って、脱衣所の方へ向かっていった。逸花は一人、大浴場に残されるばかりであった。少し経ってから逸花は大浴場から上がった。脱衣所に四片の姿はなく、扇風機の強い風音が逸花の思考に入り込むようであった。

「あの子は、何が好きなのかしら」

 呟きが、風音にかき消されていた。

先に脱衣所から出ていた四片は古本屋でフルーツ牛乳を飲んでいた。二階建ての古本屋は雑多なもので溢れている。古本、レコード、旧式のパソコン、ビデオデッキ、DVD、BD、ポスター、陶器etc……古本屋と呼ぶには古本が少なすぎるのではないか、四片はここに来るたびにいつもそう思っていた。

「何かお探しかい? 四片ちゃん」

 屋号がはたきを右手に持って四片の元にやってきた。

「画力向上のために、画集を何冊か」

 四片は端的にそう答える。屋号はそんな四片を見て微笑むような、少し哀愁が漂う表情を浮かべる。

「君の好きは、ここにはないのかい?」

「……私が好きなのは、描くことですから」

 二人して沈黙。微妙に気まずい空気が流れる中、タオルを首にかけた逸花が古本屋の暖簾をくぐる。少し俯く四片と、気まずそうな顔をする屋号を見て。合点と手を打つ。

「また新しい恋を探しなさいって」

「違うわい! 藪から棒に失礼だなお前は」

 屋号が四片に手を出したら犯罪である。古本屋の方を逸花がバンバン叩く。

「痛っ、痛いって力強いんだよお前。手の皮厚いし。ってああそうだ『まどマギ』の四〇年バージョンブルーレイ入ってるぞ。手に入れるの苦労したんだからちゃんと払えよ」

 そう言って屋号は段ボールからアニメのブルーレイ、通称『円盤』を取り出した。四〇年バージョンとは二〇四〇年に作られたバージョンということになる。逸花の趣味はアニメ全盛期とされている一九八〇年代から二〇〇〇年代前半に作られたDVD、ブルーレイディスクの収集である。昔のアニメはサブスクリプション、また『ポータル』内の映画館で視聴可能であるが、彼女にとってアニメとは物質的なものを揃えてこそであり、円盤の収集はライフワークと言って他ならなかった。『まどマギ』は逸花が最も好きなアニメの一つである。

「分かってるって! この前取った賞の賞金が余ってるから。半分没収されたけど」

「そりゃあんなこと言ったらなぁ……ロックも程々にしとけよ」

「審査員のジジイ共を黙らせるまでやめないわ」

 四片は一階から二階に上がる階段で、その様子を眺めていた。逸花がそんな四片に気づき声をかける。

「そのためにも、あなたの力が必要なのよ!」

「しつこい!」

 四片はそう言ってからハッとした。鳩が豆鉄砲を喰らったような、そんな目を逸花がしていた。逸花は四片を見て悲しげに笑った。

「そう……無理言って悪かったわ。ごめんなさい」

「えっと、その。違う、わたし、は」

 四片の目に一筋、涙が流れる。そしてグッと何かを抑え込んで、古本屋から走り去ろうとする。

「四片ちゃん!」

 屋号の呼びかけにも応じず走り去る。逸花は呆然と立ち尽くしたままであった。

「いいのか、追いかけなくて」

「少し、驚いたの。彼女があんな声を上げるなんて」

「……」

「分からないの」

 逸花の声は、虚空に吸い込まれていった。次の日から部室に四片は現れなくなった。来る日も来る日も、逸花は一人でアニメを作り、銭湯に通い続けた。

「なぁ逸花、お前は何のためにアニメを作ってるか、はっきりと言えるか」

 とある日、屋号はそんな質問を逸花に投げかけた。逸花は屋号の目を真っ直ぐと見つめる。

「私がアニメを作るのは私のためで、アニメのためよ。今のアニメ業界は間違ってる。無機質なAIで作られた作品を賞賛するのも、手書きが後進的だとされるのも、もはや原画は必要ないだのそんなの狂っているわ」

「ああそうだ。お前はそういうやつだよ」

「何かしら」

「立派なことだよ。お前の年齢でそこまで意思が強い奴は多くない。ただ、それだけだとも言える。今のままだと、大人に反抗してるだけの子供だ」

「それの何がいけないのかしら」

「受け入れる一段階が必要だ、お前には。それがなくてズカズカと入ったんじゃないのか」

 四片の冷たい目が逸花の脳裏に浮かぶ。

「四片の本、全部買うわ」

「毎度あり、しっかり話せよ」

 逸花は古本屋に置いてある四片の同人誌を全冊購入した。そして、一週間後。二人は部室で出会うこととなった。逸花が授業を受けるため部室にやってきた時、しばらく一人だった部室に懐かしい緑茶の匂いがしていた。先客は、四片だった。少し呆気に取られていたが、ローファーを脱ぎ四片の前まで行く。真っ先に頭を下げたのは四片の方だった。

「この前はごめん。いきなり出ていって、部活にも出ないで」

「大丈夫よ。私も悪かったわ」

 そう言って、握手を交わす。謝罪、握手。しかし重苦しい空気は残ったままだった。四片の顔はまだ上がっていない。先に口を開いたのは逸花の方だった。

「あのね、四片」

「ねえ、逸花ちゃん」

 四片が逸花の声を遮る。

「……何かしら?」

「コンテンツは一回りするって話、知ってる?」

「分からないわ」

 逸花は困惑していた。四片の顔には表情というものが失われていた。

「コンテンツに関わる人間は大抵一回りするものなの。まずはコンテンツを知る期間。これはいわゆる好き勝手そのコンテンツを興味の赴くままに漁る期間のこと。そして次はコンテンツを知った気になって反発する期間。だいたい中学生後期から発症する。そしてモラトリアムを超えると自分が否定していたものに順応していく。そうして若さに哀れみのような視線を向けるようになり、その視線に若者が反発するようになるの」

「……」

「そんなことに、なんの意味があるのかな。自分から傷つきに行くような、自傷行為に。残るのは歴史を繰り返したって事実だけ。偉そうに、また若者を憐れむような目で見るだけなんだよ」

「……」

「それだけ。それだけなんだよ、逸花ちゃん。分かる?」

 四片は逸花など見ていなかった。ずっと遠くを見つめて、視界に入れようとすらしていなかった。

「分からないわ。けれど、あなたの同人誌は全て読ませてもらったわ。一万部売れたんですってね、驚いたわ」

 四片ははて? と首を傾げる。

「読んでくれたんだ、びっくりだよ」

「ええ、全部読んだわ。ところで、あなたはあの本で何を伝えたかったのかしら?」

逸花は少し声のトーンを下げた。

「何? 描きたいものは全部描いてるはずだよ?」

「いいえ、何も伝わらなかったわ」

「それは逸花ちゃんの読解力の」

「いいえ。何もなかったわ。あなたの描きたいものは別にあるはずよ」

「……そんなの別にないよ。私が描きたいものはもう漫画の中に描いてるし。なんであるって決めつけるの?」

「いいえ、ないわ。というか、ないのよ。ふふっ」

 逸花は怒気と笑いが混ざったように笑い始めた。嘲るようにして睥睨し、四片の肩を掴む。

「薄っぺらくて、内容なんてない漫画。“絵が上手いだけ”のつまらない漫画」

「っ!!」

 四片の小さな手が逸花の胸ぐらを掴む。手は小さいのに、皮は厚い。子供っぽくて可愛い四片の目が、強烈な怒りと嫌悪を持って逸花を睨みつける。

「何が……」

 四片は声を震わせる。

「何が分かるの! 逸花ちゃんみたいな時代に逆行してるだけの反抗娘に」

「何よ! 何もかも受け入れた、みたいな顔して。本当は怖いだけなんでしょ? 問題に向き合わず、自分の殻にこもって。オリジナルを標榜して、ただ逃げてるだけよ」

「……ッ!」

 逸花を掴む手が離れる。逸花の視界に閃光が走り、鋭い痛みを頬に感じた。内側からは鉄の味を感じた。そして、唇に、皮膚に伝って鮮血が逸花のブラウスを赤く染める。四片の目には涙が浮かんでいた。怒り、嫌悪、動揺、そして悲しみ。全てを含んだまま

「死ねっ!」

 と一言言い残して、部室を出ていった。残った逸花には、鋭い痛みが残るばかりであった。傷を知らない四片がつけた、他者の傷跡が。


「どうしたらいいのか、分からない」

 四片は古本屋にいた。口論をした日から逸花は部室に現れなくなった。銭湯に行っても、逸花と出会うこともなく古本屋にもいない。二週間が経った今も、四片は一人だった。

「今日も会えなかったのかい。四片ちゃん」

「私はどうすれば良かったの、屋号さん」

 屋号は旧式のパソコンをいじりながら「うーん」と悩むように声を出す。

「逸花も悪いし、四片ちゃんも悪いからなぁ。当事者同士の話し合いが一番だと思うぜ」

「無責任なんだね」

「大人はたいてい無責任なもんさ。それを四片ちゃんはよく分かってると思っていたが」

「……」

 四片もその無責任さをよく使う。大人の無責任さを知った気になって、安全圏から相手を攻撃する。

「何が正しいわけでもないさ。禍根が残らない方が、波風立てない方がいいことの方がいい」

 屋号がいじっていたパソコンがピポ、と音を出してゆっくりと起動する。

「けどな、それを逸花は、受け止めてくれると思う。なんてったって稀代の表現者だからな、あいつは。な、そうだろう、逸花」

 古本屋の暖簾を、逸花はくぐった。ダッフルコートにマフラー、耳当てに手袋。冬用こ最強の装備で逸花はこう言った。

「イルミネーションを見に行きましょう」

「……は?」

 逸花と四片は、中心街のイルミネーションを見に行くこととなった。古本屋を出てから、二人は一言も発さなかった。景色にビルが混じっていく。街灯がポツポツと淡いオレンジで照らす。二二時をすぎたイルミネーションの周りに人はいなかった。赤と緑、サンタさんの絵柄にトナカイ、ツリー。

「吐き気がするほどクリスマスね」

「そんな逸花ちゃんも、クリスマスの一員だよ」

「……ふふっ、そうね」

 それだけ言って、また沈黙が二人を包み込む。逸花が街路樹の下にあるベンチを指差す。お互いがお互い。端に寄る。逸花が寒そうに手を擦り合わせる。どこかソワソワとする逸花は、やはり四片にとって良い予感はしなかった。逸花が意を決したように口を開く。

「こ、今度のアニメなんだけど」

 四片はその声を遮ろうと声を出そうとした。しかし寸前でとどまった。震える手を、足を、抑えこむ。

「うん」

「戦争モノにしようと思うの。ロボットに人がやられてバンバン死んでいくような、ね」

「……は?」

 予想外の答えに、思わず四片は間抜けな声を出してしまう。

「だ、だから戦争モノよ! これでも結構控えたのよ。な、何か悪いかしら」

「何も悪くないけど……というか何を控えたの?」

そこで逸花は少しうーん、と考える。

「倫理観、とか?」

 四片はそこで笑いが堪えられなくなった。

「ふふっ、何それ」

「私は真剣なのよ!」

 逸花は顔を赤らめながら声を上げるが、四片はそれを笑うばかりであった。

「少し、歩こうか」

ひとしきり笑って、四片と逸花は立ち上がる。

「ええ、そうしましょう」

 少し歩いたところで、四片がポツリと呟いた。

「サンタなんていてもいなくてもいい。それよりも私たちはお正月の準備をするべきなんだ」

「夢がない子ね」

「私はお年玉が一番楽しみだったからね」

「それはもちろん私もよ」

「……」

「どうしたの?」

「……私はただ、安心したかっただけなんだよ。喜ぶ顔が見たい、なんて言われてサンタの格好をした父親に、どんな顔をしていいか分からなかったんだ」

「バストアップ体操のCDでも貰ったの?」

「この時代にど直球のセクハラが飛んできて私はびっくりしてるよ」

「セクハラは文化よ」

「そこまで含めてもっと最悪だよ」

「ふふっ」

 しんしんと、雪が街を覆い始めた。

「転げるふりをしていると、いつか本当に転げてしまうものなのよ」

 逸花が小石を蹴って、四片にそう言う。

「うん」

 そして止まって。四片をまっすぐ見つめる、逸花はここにいる。

「私はそんなフリでいたくない。私がここにいるって、私が世界を変えるんだって。そう思ってアニメを創っているの。馬鹿らしくても、若気の至りでも、くだらなくても。それでも私には信念がある。絶対世界を変えてやるんだって。あなたがいたからなのよ。私の絵を支えてくれるあなたに、私は恩返しがしたい。あなたの信念を支えたい。誰がどんな事を言おうと、誰が否定しても、私はあなたの味方でいる。親友として、同志として、どうか頼ってちょうだい」

「……同志になった覚えはないんだけどなぁ」

 四片は腕を上げて空を掴む。一瞬ひんやりして、開くと綺麗な雪の結晶が一つ。いや、二つ。手を伸ばさなければ掴めなかった美しさが、そこに。

「けれど、うん、分かった。私も描くよ、コンテ」

「!!」

「後悔しないでね」

 四片は悪戯っ子のように笑った。

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