嘘つきのあなた

原田なぎさ

第1話

「残念ですが、すべてが嘘でした」


 小島優一は心からすまなそうにつぶやいた。土曜日の夕方、1DKの私の家まで来てもらった。「悪い結果だったら、外出先だと正気を保てる自信がないので……」とお願いした。


「個人情報ですから、勤務先とされる広告代理店には、うちの宣伝部から根回ししてもらった上で、僕が直接行きました。『竹之内健吾という社員は弊社にはおりません。二十七歳とのことでしたので、過去五年分の退職者も調べましたが、やはり該当者は存在しませんでした』との回答でした。彼から名刺はもらっていなかったんですよね?」


 はい、と私はうなずく。優一が端正な顔をしかめた。


「美咲さんが教えてくれた、彼の自宅周辺にも足を運んでみました。改めて確認しますが、『七丁目』で間違いありませんか?」


「間違いありません。一年間交際していましたが、私は健吾の家に招かれたことがなく、大まかな住所を聞いただけです。でも確かに『七丁目』だと話していました」


「そうですか……。あの地域、五丁目までしかありませんでした」


 私から背格好を聞いた優一は、念のため、周辺で聞き込みまでしてくれたらしい。若い男の一人暮らしならば、コンビニや定食屋などに足がかりがあると踏んだようだ。


 新卒で出版社に就職し、八年目だと言っていた。週刊誌の編集者ならば調査はお手の物だろう。



 優一と出会ったのはひと月前、秋の初めのことだった。平日のバイト中、花屋にふらりと入ってきた。私は近くの大学に通っている。三年間でほぼ単位を取り終え、今年は週に四回、昼から夜まで働いていた。


「五千円で花束をお願いします」


「贈る相手は、奥様か恋人でしょうか?」


「いや、残念ながら両方いません。仕事を依頼する女流作家さんへの挨拶なんです」


 優一は苦笑いし、出版社名で領収書を求めた。社名に使われている旧字を思い出せず、戸惑っていると、笑顔で名刺を差し出された。


 翌日、私は名刺のアドレスにメールを送る。


「昨日の花屋のバイトです。突然すいません。相談したいことがあります。会って話を聞いていただけないでしょうか?」



「恋人が失踪? どういうことです?」


 三日後、店の近くの喫茶店で優一と向き合った。


「一年前、大学の最寄り駅で『定期券落としましたよ』と声をかけられたんです。振り向くと、スーツ姿の若い男が笑顔でパスケースを握っていました。それが竹之内健吾でした。恥ずかしいですけど、正直に言います。一目ぼれでした。それで、『お礼をさせて下さい』と携帯の番号を渡したんです。翌日に連絡があり、一週間後、私たちはつきあい始めました」


「LINEやメール、通話の履歴はないんですか? あと写真とか?」


「半月前、突然連絡が取れなくなり、慌ててスマホを調べると、すべて消去されていました。前夜もうちに泊まっていたので、その時に消されたようです。パスワードは彼の生年月日でした」


「交際中、不自然に感じたことは?」


「私、あまり男性とおつきあいしたことがなく、比較のしようがありません……。経験豊富そうな小島さんとは違います」


「いや、僕だってモテません。大学時代に大恋愛した元カノを、いまだに引きずっている体たらくです」


「そうなんですか……」


「これは本当に念のためですが、彼が消えた後、部屋からなくなったものはありませんでしたか?」


「現金十万円と、田舎の父が入学祝いに買ってくれたカルティエの腕時計が見当たりません……」


 優一は大きく息を吐き、怒りを押し殺すように「竹之内健吾を捜します」と約束してくれた。



 それからの一か月、優一からは何度か電話やLINEがあった。


「お仕事忙しいでしょうから、無理しないで下さい」と私は伝える。そのたびに「いえ、美咲さんを放っておけないし、彼のような男は許せません」と返してくれた。


 優しくて、誠実だから、元カノを忘れられずに独りなのだろう。


 優一に「人捜し」をお願いしたのは正解だった。



「力及ばず申し訳ない。携帯も解約済みというので、これ以上は捜査権でもない限り、捜しようがありません」


「……嘘つかれていたんですね、私」


 うつむいて涙ぐむ私の肩を、優一が優しく抱いた。


「警察に被害届を出しましょう」


「……いいです。自分が惨めになるだけですから」


「でも」


「……本当にいいです。その代わり、もうしばらく、こうして抱き締めていて下さい。それとも、元カノさんに後ろめたいですか……?」


 わずかにためらい、優一は、肩を抱く手に力を込めた。


 その瞬間、私は今夜、この男に抱かれるだろうと確信する。



 花束の贈り先を尋ねたあの日、あなたが一瞬見せた切なそうな表情を、私は見逃しませんでした。


 心に誰か、強く想う人がいる。だから少し、手の込んだ仕掛けをさせてもらいました。


 嘘つきなのも、一目ぼれしたのも、架空の「竹之内健吾」じゃないんです。



 この想い以外、私の言葉はすべて嘘。

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嘘つきのあなた 原田なぎさ @nagisa-harada

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