第97話 物語が社会を変える(兵庫県知事選挙)
とても奇妙なことが起こった。
全国的に有名になったおねだり、パワハラ、公益通報もみ消し事件によって失職した元兵庫県知事が出直し選挙で再選したのだ。驚くしかない。
テレビのニュースでもキャスターが困っている。それはそうだろう。在職時はマスコミこぞって大バッシングを加え、知事の座から引き摺り下ろしたのだから、どのツラ下げて知事当選のニュースを伝えたらいいんだ?
この選挙、当初は世論の大バッシングから元知事の出る幕はないと思われていたが、ほかに安定感のある候補が立候補しなかったことが元知事に有利に働いた。そして、決め手となったは、(ここからは人から聞いた話だが)YouTubeだった。
もともと元知事のパワハラが原因で自殺したと言われていた元県幹部が、じつは知事のパワハラではなく、幹部自身の不倫(もしくは県幹部としての立場を利用した性的関係の強要)が県の百条委員会で公になることを苦慮して自殺したのであって、元知事とは関係がない。とか
むしろ、元知事はこうした県幹部たちから既得権益を取り上げ、県民に還元するために働いていた。元知事のパワハラ騒動は、自殺した元幹部をはじめとする反知事派の県幹部たちによる陰謀であって、騒動は元知事に着せられた濡れ衣である。元知事こそ県民のために、古い兵庫県を壊すため働いてくれる改革者だ。とか
真偽不明の情報だが、既存のマスコミが報道せず、県民が不思議に思っていたこと(元幹部はなぜ死ななければならなかったのか?)に「解答」を与えてくれる動画だったので、そういう人がこれに飛びついたようだ。職場で同僚からこの話を聞いた時はおもしろいなと思ったが、家で政治には無頓着な奥さんが同じことを言い出した時には事態の深刻さを思い知らされた。
「YouTubeなんて玉石混交、眉に唾つけて見ないといけないメディアだぞ。まず疑ってかかるべきだ」とわたしは思ったし、既存のマスメディアもそういう認識だったと思う。
ただ、動画がホントかウソかはともかく、動画を見た人の性的不行状に対する嫌悪感や既得権益を持っている人たち(県幹部や県職員)に対する嫉妬心はホンモノだった。YouTubeをきっかけに元知事を支持するという人がわたしの周囲で急激に増えた。元知事の街頭演説も、選挙終盤には異様な盛り上がりを見せるようになった。ネット用語で説明するとわかりやすいのでこう書くが、ネットを飛び出し、現実世界で元知事改革者説がバズったのである。
今回の騒動について、わたしなりに考えたのは、複雑な現実をわかりやすく物語化することの有用性と危険性についてだった。
騒動が顕在化してきたのは、わたしが近況ノートに「いま兵庫県政が混乱している」と書いた今年の7月頃、そして9月には元知事へのバッシングが頂点に達する。
元知事がパワハラまがいの行為をして県職員からの信頼をなくし、元県幹部の自殺が明らかになったことを捉えて既存メディアは
①身勝手でパワハラ体質の知事が、自分に反対する県職員を排除して県政を私物化している。知事の不正を公益通報しようとした県幹部をクビにし、汚名を着せた挙句自殺に追い込んだ。
というストーリーを作り上げ、これを信じた人たちがこぞって元知事に対するバッシングを繰り広げたのだ。
しかし、元知事が就任して以来のゴタゴタをたかだか1、2行の文章に要約できるはずもない。これはメディアが元知事を悪徳知事と印象されるよう都合のいい事実を繋ぎ合わせて作った「物語」なのだ。
この物語は事実そのものではないので、いずれメッキが剥がれる運命にあったといえるが、剥がれた後に県政の事実が明らかになるかと思えば、今度は別のストーリーをYouTubeが作り上げてネットに流布したのである。
②今回の騒動は県政改革に反対する守旧派の県職員や議員が、知事にパワハラのレッテルを貼って追い落とそうとした陰謀である。県幹部は素行不良の人物であり、その文書は公益通報ではなく、知事を貶めようとする怪文書だった。兵庫を良くしようとしている元知事は再選されるべきである。
という「物語」だ。第一の物語に対して「本当にそうなのかな?」と、もやもやした感覚や疑問を持っていた若者や現状に不満を持っている人たちにこの第二の物語はブッ刺さったようで、雪崩をうったように失職した元知事への支持が広まった。彼らの頭の中では、元知事はかわいそうな被害者で、自分は元知事に降りかかった不正を正す正義の味方というまた別の物語が生まれているのだろう。
現実というものはいくつもの事実が複雑に組み合わさって構成されている上、お互いに矛盾する事実がひとつの現実の違う側面として同時に存在するのが普通だ。問題となっている兵庫県政ももちろんそうで、人間はこのように互いに矛盾するたくさんの事実をそのまま理解することが苦手だ。混乱してしまうのである。
理解するためには、たくさんある事実の中からお互いに矛盾のない事実を取捨選択して選び出し、理解しやすい形に整理する必要があるが、その過程で現実を物語へと置き換えている。現実の物語化は、人間が現実を理解する上で有用――というより欠かせない。
ただ、このときにどういう事実を選び取って物語を作るかによって、ひとつの現実からいくつもの物語が出来あがる。その中には、まるで互いに正反対の出来事のようにみえる物語も含まれるのだ。
今回の兵庫県知事選挙では、ひとつの現実(知事就任からパワハラ事案を経て失職までの出来事)がまるで正反対のふたつの物語として語られ、選挙で争われるのをわたしたちは目撃したわけだ。
物語の分かりやすさには落とし穴がある。複雑な現実を物語化する過程で、作り手の「こうであってほしい」という願望に合致する事実ばかりが集められて構成された物語は、現実でないばかりでなく、実際にあった出来事を歪めて伝えかねないからだ。
今回の選挙では、結局、ふたつの物語のうち、どちらかが正しいのか――元知事の知事としての資格を正しく説明する物語はどちらなのか選ぶ選挙になってしまった。どちらの物語も現実を十分に説明しておらず、ほかに納得できる物語が示されることもなかったのでわたしは選挙で投票しなかったのだが、疑惑の元知事が再選されるという、さらに納得のいかない結果になったことは残念というほかない。
小説を書いている人間として。今回の選挙では物語のもつ力をまざまざと見せつけられた。知事再選を後押しする物語が支持された結果は、カクヨムコンでわたしの作品が落選し、自分には書けそうもない作品が大賞を受賞したときの気分によく似ている。異なるのは、ほかの作家さんが大賞を受賞してもわたしの生活は変わらないが、知事が変われば県行政――わたしたちが享受する行政サービスが変わるということだ。
物語には社会を変える力がある。今回の知事選挙は良くも悪くもわたしの記憶に残り続けると思う。
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