第95話 剣道をしながら小説を考える

 何度かこのエッセイで書いていると思うのですが、月に1、2度、剣道の練習をしています。練習は疲れますが、やっているうちに上手くなってきたような気がします。


 といっても、わたしは下手ではありません(なんじゃそりゃ)。小学校に上がる前から道場に通っていましたし、剣道五段の腕前です――ということになっています。どういうことかというと、いくら経験者だといっても長期間、竹刀を握らないでいると下手くそになってしまうということです。


 わたしが剣道をしていたのは、小学生から大学生までの16年間です。これも月に1、2回、近所の道場に習い事のひとつとして通っていました。その後も、時折剣道の練習をしたり、昇段審査を受けたりはしましたが、それも申し訳程度でここ10年余りは竹刀を握ることすらありませんでした。


 定期的に剣道をしなくなって30年。加齢による体力の衰えもあり、気が付くとものすごく下手くそになっていました。思えばこの半年間、毎日のようにYouTubeで剣道動画をチェックしては動作を確認。練習で同じようにやろうとするも失敗。またYouTubeを確認――を繰り返すうちに、自身の問題点が見えてきてようやく修正できるようになってきた、という段階です。


 ただ、若い頃とちがって体力がないので、繰り返し練習することができません。すぐに息があがってしまうのです。量をこなさないと上手になれない(下手になっていく)のに、それをするための体力がないのです。


 ――なるほど、若いときに技術が伸びるのは、練習をこなせるだけの体力があったからなんだ。

 ――年をとってから上手になろうと思ったら、問題なのは技術論や精神論ではなく体力を付けないといけないんだ。


 いまさら気づいたわたしは、毎日、跳躍素振りをして体力をつけることにしました(剣道を知らない人は「跳躍素振り」で検索してみましょう)。100本を2セット。とても疲れるので、若い頃は大嫌いだった剣道の練習法です。いまでも嫌ですが、背に腹は代えられません。若い人たちとやり合おうと思ったら、よくいる50代の剣士と同じことをしていては太刀打ちできないのです(剣道だけに)。



 と、ここまで剣道の練習ことを書いてきたつもりだったのですが、「加齢による衰え」とか「量をこなさないと上手になれない」とか「毎日○○して、○力をつける」とか、剣道の練習が小説を書くことに通じるような気がしてきました。上手くなるためには稿んですよ、多分。なんだか足腰が弱って剣道ができなくなっても、小説は書き続けられそうな気がしてきました。

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