第79話 書けるテーマで書こう

 わが家の息子(小学六年生)がテレビでムンクの『叫び』が取り上げられているのを見たらしい。美術の教科書でもおなじみのエドワルド・ムンク『叫び』は、単純な構図キャッチーな人物表現のため、バラエティ番組でもよく取り上げられる(ネタにされる)モチーフですから、そういうのを見たのかもしれません。


 息子曰く、「精神状態がおかしい人が書いたとしか思えん」、「この絵が有名になる意味がわからん。おれでも描ける」と。ちなみにうちの奥さんも同意見で、「こんなもの見たくもない」らしい。


 なかなか言うようになったな息子よ。しかし、とーちゃんは反論しておく。『叫び』が名画なのは、人類が共通して抱く自己存在への不安を象徴的に描き切っているからなのだよ……って聞いちゃいねえ。


 ☆


 たしかに奥さんの言うとおり、きみの悪い絵であることに間違いない。単純な構図と線なので、息子の言うとおりだれでも描けそうな絵である。ただ、描けそうなのと実際に絵画として発表するのとは天と地ほどの差がある。ムンクがすごいのは他人に先駆けてこうした絵を描いたところにある。なにごとでも「先んずれば人を制する」ことができる。最初にやった人が賞賛を独り占めするのは、芸術でも科学でも同じなのだ。ムンクは、いち早く現代的な不安をキャッチする感性と、シンボリックな形で絵画に落とし込む技術を共に備えた人だったのだろう。


 奥さんのいう「きみが悪い」とか「見たくもない」という評価も『叫び』の価値を下げたりしないと思っている。奥さんは「きれいなものばかり見ていたい」というが、物事の美しいものを際立たせるためには、目をそらしたくなるほど醜いものが不可欠である。投げかける光が強くまぶしいほど、落ちる影は黒く濃くなるものなのだ。


 じつはムンクの描く、きみが悪くてネガティブな感情を呼び起こす絵を見たとき、「わかるわかる」と安心したり、共感したりする人が一定数いると思っている。現実は不確定な要素に満ちていて、生きていくことは常に不安だから。ネガティブな感情を他人と共有するのは難しい(だれだってヘンな人だと思われるのは怖い)けれど、ムンクの絵の前では素直になれるのだ。


 わたしは小説を書いていて、いま書いているお話も、例によって少し奇妙なお話だ。小説も絵画と同じで、光の部分を描くものと影の部分を描くものとふたつあるような気がする。もちろんわたしのは後者で、読む人の現実リアルを際立たせるような虚構フィクションであったらいいなと思う。

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