全国放送のニュースは本当に東京の殿上人の情報がおおいですよねー
というか、最近の民放ニュース番組はバラエティー化してるのであんまり見ないですけど。
作者からの返信
>東京の殿上人の情報がおおい
それはよく感じます。東京で報道に携わる人たちにとって、東京圏の人は1等国民でその他の地方の人は2等国民なんでしょう、きっと。
とても考えさせられる内容で、勉強になります。
オーストラリアでは、ファッションブランドの広告やウェブサイトで、太めのモデルさんをよく採用しているのですが、比較的最近のことです。今では慣れて、太めの女性(ぽっちゃりレベルじゃなくかなり太いです)を普通にキレイだなと思うようになりました。
その時代や文化によって、可視化される人や透明化される人って変わっていくと思うのですが、可視化する人物像の多様性を高めたら、「世の中から蓋をされている」人は減るだろうなと思います。
作者からの返信
ファッションモデルが痩せすぎていることが問題視されたことありましたよね。「同じようなスタイルになりたい」と過剰なダイエットに励んで拒食症になる人がいるとか。
こうしたファッションモデルの問題は、人間はメディアで取り上げらるものは「よいもの」で、そうでないものはその逆(わるいもの)であると受け取ってしまいがちということを示しているのではないでしょうか。
人生来のものを矯正することが難しいのなら、せめてメディア側は人の多様性(決してよい意味ばかりではない)に配意した報道に心がけてほしい……って思いますね。
障がい者の方を論じるというのは、とっても難しい問題だなって思います。
私の仕事では当てはまるのが「認知症の人」です。
私、「認知症の人」って括ってしまうのが嫌なんですよ。
認知症カフェってネーミングもそう。
認知症の施策もそう。
当事者の声を聞こうって。なんでそんなこと、国が言わないとやらんの?
当事者の声を聴くのは当たり前じゃん……。そうやって国が区別するから、別物だって思われるんじゃないか。そして、それに乗っかる関係者の神経も理解できない。
仕組みを作るのは素晴らしいことです。法律つくらないとダメなのもわかるんだけど。障がいがあっても、認知症があっても。どんな人でもみんなが楽に暮らせる社会を作れば言い訳で。特別なことしなくてもいいんだよなって思うんです。
けど、この話をすると、福祉業界では白い目で見られます。
福祉業界が一番差別しているんじゃないの?
自分たちで自分たちを囲っていない?って問いたくなるのです。
まあ、個人の考えですね。これは難しい問題。ただ、考えることが大事なので、こういう問題提起は大事だなって思います。
作者からの返信
引用できませんでしたが、この記事で「オリンピックとパラリンピックを一緒にしたらどうか」という意見があるとも書いてました。
市川さん的には、障害者の現実がまだまだ浸透していない現状において、パラリンピックには上に書いたような意義があるというコラムでした。
認知症は将来もっと患者(?)の人が増えて、健常者との境目があいまいになっていくような気がします。認知症の人との共存は必然だと思いますねー。