第74話 パラリンピックとわたしのモヤモヤ

 今日からパラリンピックがはじまります。これにさきがけて先週末、芥川賞作家の市川沙央さんがパラリンピックに関するインタビューに答える記事が朝日新聞に掲載されていました。


 以前も書きましたが、20年来のラノベワナビだった市川さんが、一念発起して自身と同じ障害(市川さんは先天性ミオパチーという難病を患う障害者です)をもつ女性を主人公に据えて『ハンチ・バック』という小説を描き、見事に新人賞を受賞、その年の芥川賞にも選ばれるというにいたく感銘を受けたわたしは大の市川沙央なのです。目に留まった朝日新聞の記事も読まないわけにいきません。


 インタビュー記事は、自身が障害者である市川さんにパラリンピックについてどう思うか尋ねているのですが、市川さんの回答が意外なくらいわたしに刺さだだのですが……。以下、新聞記事を抜き書きします。



(パラリンピックの印象について、障害者やその家族の中には否定的に考えている人たちも多いが、私はポジティブに遠くから見守っていると回答した市川さんに対して)


――「ハンチ・バック」には「軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか」という一節があります。普段から感じていたことですか?


 たとえば日本テレビの「24時間テレビ」には様々な立場から批判がありますが、私はそれでも必要だと思っています。あまりにも民放に障害者が映らないからです。何かひっかかる特徴のあるものは、意識的にも無意識的にも画面から排除されます。

 つい先日、民放で芥川賞発表を特集していて、第168回と第170回の受賞者の映像が続けざまに映ったのですが、私だけ飛ばされました。「障害者」というトピックスの時だけクローズアップされて、一般的な紹介の時は透明化されるなら、私が「障害者の一般化」のために体を張ってきた意味がないんですけどね。

 感動を誘う材料として障害者を利用する「感動ポルノ」を批判する人は、レベルの高い正しい表現を求めているのだと思いますが、それ以前にこの社会は、まだまだ障害者が同じ人間であることすら理解できない人が多くいると私は承知しています。

 そうした人々には「感動ポルノ」も依然として有効だと思います。パラリンピックが引き起こす感動もそうです。パラリンピックには能力主義的な価値観の強化など、様々な批判点はあります。ただ、障害者もスポーツをするという、ごく基本的なイメージとメッセージが大衆に伝わるだけで100点です。

 翻って文化系は、「大衆」よりも高度なコンテクスト(文脈)や洗練された正しさを好む人々によって構成されているはずなのに、大衆に支持されるスポーツ界よりも障害者の姿が「見え」ませんねえ、と思っていました。



 市川さんはこの文章で、パラリンピックには障害者を感動の材料に使っているというような批判が、(いわゆる)レベルの高い人たちを中心になされているが、そうではないレベルの人たち――障害者もスポーツをするといった当たり前のことですら想像しようとしない人たち――に対して、障害と障害者に対する基本的なイメージを伝えるという大きな役割を果たしていると評価しています。


 そのとおりだと思いますし、興味深い論点ではあるのですが、このくらいのことなら市川さんでなくとも書けます。わたしに刺さったのはもっと別のところ、障害者はテレビに映らない、透明化されているというくだりです。


 よく言語化してくれたと思いました。おかげで、(とても広い意味での)メディアに対してずっと抱いていた違和感、不快感の正体、その姿を少しだけ見たように感じます。市川さんの言葉を受けて、わたしがこれまで感じてきた違和感を文章にするとこういう感じ――。


『メディアでは【模範的な人】――美しい人、強い人、優れている人が、誉めそやされ取り上げられる一方で、【模範的でない人】――醜い人、弱い人、劣っている人は、(罪を犯した人として取り上げられる以外、)あたかも存在しないかのように無視される』


 メディアはテレビに限りませんが、分かりやすいのでテレビのニュースをイメージしてください。


 たとえば、【本格的に大学入試がはじまりました】とか【夏のボーナスの平均額は…万円】とか、【企業のライフワークバランスへの取り組み】とかいうニュースがあるとすると、【有名大学の入試の様子】や、【東証一部上場企業のボーナス額】や、【ライフワークバランスについて先進的な取り組みをしている企業】などが取り上げられる一方で、『地方の三流大学の入試』や、『中小零細企業のボーナス額』や、『ライフワークバランスがとれない企業の働き方』といったものは、特にそこをクローズアップするニュースでない限り、取り上げられることはありません。


 市川さんのコラムを読んで、わたしがいつも後者(クローズアップでしか取り上げられない方)に属していて、世の中からないもののように扱われ、そのことにずっと傷ついてきたことに気付かされたのでした。


 ――なんや、そういうことやったんや。


 モヤモヤの理由が分かってスッとしました。笑


 テレビの芥川賞特集で、市川さんだけがと知ったときの寂しさ、悔しさ、情けなさをわたしも同じように感じていたからかもしれまん。わたしも自分がそうありたい、そうであるべきだという現実からずっとのです。


 やー。

 長々と個人的な書いてしまいましたが、ほんとスッキリしました。市川さん、わたしのモヤモヤをズバッと指摘してくれてありがとう。今年のパラリンピックは、いままでとは違う視点で応援することになるでしょう。がんばれニッポン。

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