第73話 なぜ騙されてしまったのか?

 いつものようにNHKプラスを観ていると「ネズリテ」という番組の中で、SNSを介して投資詐欺に遭うエピソードが紹介されていました。


「ネズリテ」は、ネットを巡るネズミ親子のコミカルなやりとりをに、インターネットを使う上でのリテラシーを養おうという趣旨の番組で、笑ったり感心したり、わずか5分間なのに忙しい番組なのですが、最近ネット詐欺が多いみたいですね。


 一時期、オレオレ詐欺とか還付金詐欺とか、被害者を騙してお金を振り込ませる手口や、被害者に買わせたグルーグルプレイカードのコードをPCに入力させて電子マネーを掠め取る手口が流行りましたが、いま詐欺で多いのは、投資詐欺のようです。


 SNSを介した投資詐欺が増えた理由はよく分かりませんが、個人的にはふたつ理由があると思っていて、ひとつは最初から最後までネット上で済ませられるので、捕まるリスクが低いこと。受け子(犯人グループのうち、現金を受け取る役の人)が必要なオレオレ詐欺と違って、SNS投資詐欺は犯人と被害者はまったく顔を合わせませんから、警察に逮捕されるリスクはぐっと低くなります。


 もうひとつは、手に入る金額の多いこと。実際に被害にあった人から聞いたことがあるのですが、投資詐欺は騙される理由が「投資」だけに、騙しとられる金額が数万円から数百万円と比較的高額。なかには数千万円の被害にあったという話も聞きます。忌々しいことに犯人にとっては、捕まりにくく見返りの大きい犯罪仕事なんだと思います。



 じつは今回のエッセイは詐欺に騙されないようにしましょう――という話をしたいのではありません。


 騙された人の話を聞くと心底から自分は投資していると信じていて、第三者から「詐欺ですよ」と指摘された後も、「騙されているのではなく、預けたお金が回収できなくなっているだけ」と思い込んでいる、あるいは思い込もうとしているように感じました。


「そんな胡散臭い儲け話、嘘に決まってるでしょ。なぜ信じたんですか?」


 詐欺師の手口は巧妙で、最初のうちは儲けだと言って少額の見せ金を掴ませたり、ネット上の口座に現金が増えていく様子を見せたり(多くは偽サイトで現金化できない)して被害者を信用させるのです。


 信用してしまったが最期、人は信じたいことを自分に都合よく信じてしまいます。その確信が揺らぐことがあっても、一度信じたに縋りついて、真実を認めようとしません。


 騙されやすい人がこうなるのではありません。こうなった人を指して騙されやすい人とみんなが呼ぶのです。藤光は投資に興味がないので被害にあっていませんが、同じようなやりとりをSNSでやっていたら騙されたかもしれません。誰にとっても他人事でないと思いました。


 ここまで考えたときに――、これは犯罪である詐欺だけでなくて、社会一般の原理原則や歴史的事実、家族と血縁である事実や自分自身がもつ自分という記憶まで、自分はだれかから与えられた信じたい事実だけを信じているんじゃないか。わたしが当然のように正しいと信じていることのいくつかは(あるいは、すべては)、嘘なんじゃないか。騙されているんじゃないか――というふうに思考が展開していって、とても興味深かったってことを書きたかったんです。


 こういう認知の問題ってSFっぽくて好き。他者をどう受け入れるか(認知)というのは、自己をどう規定するかということと表裏一体なので、「自分ってなんなんだろう」と考えがちな人に刺さる小説になりそうですけどねー。わたしには書けそうにないな。投資詐欺を絡めたSF――だれか書いてくれないですかね?

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