第65話 小説を書く楽しさ
最近はアイデアノートにふと思いついたアイデアを書きつけるだけで小説を書いてはいないのですが、思い返すと8年くらいの小説を書いています。
なぜ書き続けられるのかというと、それは小説を書くのが楽しいからということに尽きるのですが、じゃあなぜそんなことが楽しいのか考えてみました。
先に結論を書いてしまいますが、わたしの場合、小説を書く楽しみは「受容してもらえるから」です。
小説を読む人というのは、懐の深い人が多くよほどとんちんかんなことを書かない限り、残酷な小説でも不謹慎な小説でも奇想天外な小説でも読んでくれますし、作品に対する評価なり感想なりをいただくことができます。
小説を書くということは、いくらか程度の差はあっても、作者自身の経験や思想、倫理観の一部が切り取られそこに反映されるものだと思っています。
小説には普段の自分がやらないようなことや話さないようなこと――身の回りの人が知らない、ある種恥ずかしい自分の一部分が込められているので、「意味わからない」とか「興味ない」と言われ読んでもらえないと、二度と書けなくなってしまうのですが、カクヨムにはそんな作品でも、読んで評価してくれる人が必ずいるんです。楽しい――というか喜びです。
こんな自分でいいんだ。
という感覚は、家族はもちろん職場の同僚や親族、友人の前で見せている「みんなの自分」とは別に、普段は隠している「わたしの自分」を認められ、受け入れてもらえる気がして、とてもポジティブな感情になれます。
「わたしの自分」って、それを表に出すとなんだかよくないような気がして心の底に沈めているものなんですよね、きっと。自分自身そんな「わたしの自分」のことを可哀想に思っていて、小説を呼んでもらうことによってそのネガティブな感情を昇華しているっていうか、そんな感じでしょうか。
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