第39話 名探偵コナンと古びないセンス

「あいつはね、社会人として、大人として」


「ちゃんとうまく年をとってきたのかっていうとかなり疑問なんで」


「天才中学生がそのまま漫画を描いてる ただ事じゃない」



 2日に放送されたNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」はスペシャル版で、取り上げられた“プロフェッショナル”は、30年以上にわたって支持され続けているマンガ『名探偵コナン』の作者、青山剛昌さんでした。


 1994年から週刊少年サンデーで連載されている『名探偵コナン』は、96年にアニメ化され、現在も放映が続いているほか、毎年劇場版アニメが公開されていて、特にここ数年は500万人を超える観客動員を記録する(ドラえもんを超えている?)メガコンテンツに成長。いまもっともファンを魅了しているアニメのひとつと言っていいのではないでしょうか。


 最初にあげたセリフは、番組の中で、漫画家のあだち充さんが、後輩である青山剛昌さんについて評した言葉で、わたしが一番考え込んでしまった部分です。ここで、あだち充さんは青山さんのことを「すごいヤツだ」と褒めているのですが、このという部分、あだち充さんは


――少年漫画を描くためには少年の心を持っていないといけない

――だが、いつまでも少年の心を持ち続けることは難しい。

――ところが、この男はいまだに少年の心を持ち続けている

――だから『コナン』は支持され続けてるんだ


ということを言っているのでしょう。同じ漫画家として『名探偵コナン』が支持される理由を端的に表した言葉で、ある種の重みがあります。


 ただ、わたしはちょっと怖いなと考えながら番組を観ました。


 世間というものは、年をとってゆく人に対して、その年齢に応じた振る舞いを求めるものでしょう? 幼児と同じような態度をとっている小学生は「いつまでも赤ちゃんのようなことはやめなさい」と注意されるし、大人になってもふざけてばかりいると「おとなげない」と陰口をきかれたりするでしょう。


 40歳なら分別のある大人としての、60歳なら初老の男性としての立ち居振る舞いがそれぞれ求められるので、それに応じた態度を身につけて実践しなければなりません。この変化を指して、一般には「成長する」と呼びます。


 あだち充さんの言葉は、青山剛昌さんはマンガを描くために成長することをやめている――と読めるわけ。


 Web作家のはしくれ(ということはただの人 汗)として、あだちさんの言うことはとても良く分かります。


 ネットで小説を書いていると、いまよく読まれている小説のセンスが分からないことがよくあるからです。そういう小説に出会うと、「この小説のなにがおもしろいのが分からない」、「自分にはぜったい書けない」読んでもらえない小説しか書けないのなら、書くのをやめようかなと思ってしまいます。センスなんていうものは、人が成長するにしたがって徐々にその鮮度が失われ、陳腐で古臭いものになっていくのです。数多いる作家が、やがて直面する避けようのない壁だと思います。


 その壁を超えるため、青山剛昌さんは「子どものままでいる」ことを選んだのかもしれません。本人にとってはとても苦しい選択だったと思いますよ。だって「見た目は60歳、中身は中学生」な人って、世間からの風当たりが強そう。よほどのことがない限り、普通は年齢なりの振る舞いを身につけるものですからね。マンガの連載を続けるのは大変なんですよ、きっと。



 青山剛昌さんのドキュメントをみて、自分はごくごく普通のおじさんだなと思いました(笑)真似することはできません。…ということは、『名探偵コナン』のようなヒットを飛ばすことは不可能であろうとよーく理解できました(いままで理解してなかった? 爆)。すごい作品をものにしている人は、大変な努力や犠牲を払ってそれを維持している。その一端を垣間見たような気がしました。

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