第36話 もう一度「虐殺器官」を読もうかと思った話

 朝の食事や食器洗い、自分の弁当作りをしながらスマホでNHKプラスの見逃し配信を見るのが日課なのですが、先日「時をかけるテレビ」という番組を見ました。この春からはじまった公共放送であるNHKが保有する膨大なアーカイブの中から「あの時のあの番組を現在の視点から振り返るとどう見えるか」というコンセプトの番組です。


 番組がはじまる前から、おもしろそうだなと思っていたのですが、いまNHKプラスの見逃し配信で見れるのが『なぜ隣人を殺したか〜ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送〜』という1994年にアフリカのルワンダで起こったフツによるツチの大量虐殺事件を扱った番組の振り返りです。


 フツとツチはルワンダに住む「民族」の名で、植民地支配していたベルギーが多数派のフツに対して少数派のツチを優遇するという植民地政策をとったことが両者の間に対立が生んだと言われています。両者の対立はやがてルワンダ内戦へと発展しますが、この内戦の和平合意が成立したわずか8ヶ月後、フツ過激派によって扇動された住民が、ツチ住民を襲撃、殺害するという出来事が3ヶ月余りにわたって続き、推定80万人が殺されたというのが事件のあらましです。


 番組では、フツ過激派がプロパガンダのために設立したラジオ局が、ツチに対する憎悪を煽り、暴力を用いて排除するように扇動する内容の放送を聞いた一般のフツの人々がツチの人々を殺害した――としてフツの若者のひとりを追っていたのですが……。彼は、仲間たちに「ツチを殺さないなら、お前を殺す」と脅迫された結果、自分のお姉さんの子どもを殺害してしまいます。政治のプロパガンダが隣人どころじゃなくて家族の間に対立と殺意を生んだというものすごく深刻な内容でした。



 ところで、今年の2月に放送された「100分de名著」は、アメリカの哲学者ローティの「偶然性・アイロニー・連帯」を取り上げていました。「偶然性・アイロニー・連帯」は哲学の本で、100分de名著のテキストもそれなりに難しいのですが、ごく大雑把にまとめると「有史以来、哲学者たちか探して求めて見つけられない『真理』や『本質』といったものよりも、いま私たちが手にしている『言葉』とそれを用いた『会話』から立ち現れる事象の方こそ人間にとって大切なのです」という内容でした。


 このテキストはとても興味深く、個人的には最近の「100分de名著」のなかでは一番のだと思っているのですが、その中に「言葉は人を殺しもする」という例として、伊藤計劃のSF小説『虐殺器官』に触れていました。『虐殺器官』は、途上国で発生する民衆虐殺を扇動している疑いのある男を追うアメリカ情報局士官の話です。作中で男は「人間には虐殺を司る器官が存在し、器官を活性化させる“虐殺の文法”が存在する」といい、途上国の虐殺は“虐殺の文法”を使用して引き起こされていると主人公に話します。その文法を耳にすると人は人を殺さないでいられなくなるというわけです。


『虐殺器官』は、言葉のもつ力の恐ろしさを描いたSF小説の傑作ですが、ラジオ放送によって扇動されたフツの人々が、普通では考えられないような残酷さでツチの人々に襲いかかったルワンダの悲劇を下敷きにして書かれたと考えて間違いありません。


 小説は言葉を使用して作られるものなので、言葉の恐ろしさを描いた小説『虐殺器官』は、小説の恐ろしさを自己言及的に描いた小説といえるでしょう、興味深いです。『虐殺器官』が書かれた2007年とちがい、いまはSNSでだれでも自分の言葉を世界中の人たちに届けることができます。自分がネット空間でどんな言葉を操っているのか、まさか“虐殺の文法”は含まれていないよね……と、もう一度小説を読み返してみたくなりました。

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