第35話 戦争と小説の話

 ときには時事問題に触れる藤光のエッセイ。今回は人類がなかなかやめられないでいる戦争について書きます。ロシアがウクライナに侵攻しはじめてから2年たちました。昨年には武装組織ハマスによるテロをきっかけにイスラエルがパレスチナ自治区ガザに侵攻。このガザでの戦争が今度はイランに飛び火し、いまイランとイスラエルの間で軍事的緊張が高まっています。戦争が罪深いのは、その戦争で傷つくのがその戦争を指揮している政治家や高級軍人ではなく、ずっと立場の弱い庶民となるところです。それなのに戦争がはじまって真っ先にそれに熱狂し、また支持するのは、いちばん傷つくはずの庶民自身。戦争はつくづく恐ろしいものと言わざるを得ません。


 こんな時代なこともあって『NHK100分de名著ブックス アンネの日記 言葉はどのようにして人を救うのか』を読みました。この長いタイトルの中にあるように、NHKEテレ「100分de名著」でアンネ・フランクの「アンネの日記」を取り上げた際のテキストを単行本化したものです。著者はわたしが崇拝してやまない作家の小川洋子さん。


 ご存じのとおり、「アンネの日記」は、第二次大戦中、ナチスドイツから迫害を受けていたユダヤ人の少女、アンネ・フランクが隠れ家の中で書き溜めた日記をアンネの死後に遺族が本の形にして出版したものです。ホロコーストの悲劇を伝える戦争文学として名高い作品ですが、多くの人にとって「知っているけど読んだことはない作品」のひとつではないでしょうか。かく言う藤光こそ、まったく読んだことのないひとりです。


 小川洋子さんは、エッセイやインタビューでたびたび「じぶんが小説を書く上でもっとも大きな影響を受けたのが『アンナの日記』だ」と言われていて、フォロワーとして藤光は『アンナの日記』に興味がありました。ただ、戦争で亡くなった可哀想な女の子の話――を読むのは、どうにも気が進まなかったのです。暗くて嫌な気持ちになるに決まっているじゃないですか。


 わたしと同じように思って『アンナの日記』を読まないでいる人がいるとしたら、この『NHK100分de名著ブックス アンネの日記 言葉はどのようにして人を救うのか』はいい本です。この本は、ナチスドイツに殺された可哀想な女の子の記録ではありません。アンネ・フランクという稀有な文学的才能も持った女性が、ナチスによる迫害を避ける異常な事態のなかにありながらも、思春期の少女の内面をその鋭い感性とユーモアで描ききった文学作品を残した――と小川さんは読み解くのです。


 たしかにこのテキストに収められた日記の記述にアンナが可哀想なユダヤの女の子と読めるような箇所はなく、むしろ前向きでユーモアを持った自信たっぶりな女の子という感じで、それがとても意外でした。この女の子がその後、強制収容所で亡くなる運命にあるのかと思うと、とても悲しいですが。


 世界に戦争がある限り、アンネ・フランクのような境遇の子どもたちはいなくならないだろうなと思うと同時に、どんな過酷な状況にあっても人は文学と人生を楽しめるのかもしれないと明るい気持ちにもなれた本でした。

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