第11話 ルミナリエの日に思う
今夜(18日)から阪神淡路大震災からの復興を祈念して行われる恒例の「神戸ルミナリエ」がはじまります。ご存じの方もおられると思いますが、「神戸ルミナリエ」とは1995年1月17日に発生し、犠牲者6434名を数える被害を出した阪神淡路大震災からの復興を祈念して同年12月に第一回が開催された祈りの祭典ですが、一般的には幾何学的な模様で構成されたイルミネーションとそれを見物するイベントとして有名です。
例年、12月の初旬から中旬にかけて行われていたルミナリエですが、コロナ禍による3年間の中止を経た今年(2023年度)からは、時期を1月に変え、会場も大きく変えるなどリニューアルされて開催されるようです。ルミナリエについては、95年当時から現在まで紆余曲折がありました。イルミネーションの美しさが評判になって、本来の理念とは異なる大勢の観光客を集める一大観光資産となったのですが、2001年に同じ兵庫県で発生した明石花火大会歩道橋事故を受けて、会場警備に多額の費用を費やすようになってから赤字がかさむようになり、最近は規模の縮小が続いていました。4年ぶりの開催となる今回、開催時期を移動し、従来は無料で観覧できたイルミネーションが一部有料とするなど、新しい取り組みをはじめたようですが、どうなることやら……。
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ということが気になるように、藤光は兵庫県民なのですが、県民(特に、神戸・阪神間に住む人)にとって、阪神淡路大震災は非常に大きな出来事です。震災から29年が経ちますが、いまだ心に大きな傷を負っているといってもいいでしょう。
うちの職場(役所です)では、いまの季節、阪神淡路大震災の伝承教養というのをやっています。震災を経験した職員が、自身の震災経験を語って聞かせるという取り組みです。うちの職場も震災を知らない職員が増えましたからね。震災当時、すでに役所で働いていたという職員はとても少なくなりました。
毎年のように聞かされるので、いい加減聞き飽きたといっていい内容のものが多いのですが、震災を経験した人が一様に口にする言葉ががあります。それは「自分の無力さを情けなく感じた」というものです。
地震が起きた直後の町の有様は、本当にひどいものだったようです。仕事のため町の中を歩くと、そこかしこで家や建物が倒壊していて、被災した人が助けを求める声があちこちから上がっていたそうです。ところが、人の力というものは自然災害の前には無力なもので、倒壊した建物のなかに人がいることが分かっていても、重機でもない限り助けだせないんですよ。なすすべもなく、その場を立ち去らなければらないという経験をした職員が少なからずいたようです。
役所の人間は県民のために働く存在ですから、そこでひとりひとりの職員は自身の存在意義を問われたと思うんです。あのとき助けを求めてきた人に応えられなかった――というトラウマを抱えた29年間だったと思うんですね。このさきもずっとですかね……。
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わたしはこういう伝承教養を聞くと、人間って捨てたもんじゃないなって感じるんです。普段は、人を人とも思わないようないい加減でひどい態度をとるおじさん職員やおばさん職員が真摯な態度で震災当時の体験を振り返るんです。聞く側も厳粛な気持ちになりますよ。いいじゃないですか。冷酷な人間のうちに巧妙に隠されている善性を垣間見るような気がして。気分がいいです他人のことを信じていいような気がしますね。
あー、今回はぜんぜん小説とは関係ありませんでしたね。
小説については、また今度。ではでは。
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