第3話

 朝のHR五分前、前方の入り口から教室へと滑り込んだ俺は、ふぅと息を吐く。


「おはよう」

「っ……あぁ、おはよう」


 突然かけられた声に俺は戸惑ったが、反射的に応じることができた。普段挨拶を交わすクラスメイトならば自然に返せるのだが、今日のは違った。

 声の主へと視線を向けると、天ヶ崎雫あまがさきしずくが柔らかな笑みを浮かべていた。今まで彼女と朝の挨拶を交わしたことは無かったのでなんだか気恥ずかしさを感じてしまい、すぐに視線を逸らして対角線の頂点にある自分の席へと歩を進める。

 この二日間の出来事がなければ、学校生活で天ヶ崎と直接関わることはまずなかっただろう。名前順で決められた前方出入口側最前列に座る天ヶ崎。かたや最後方窓際に座る俺。この席の配置通り、反対で、対極で、交わることのない人生なのだと思っていた。

 それはクラスメイトも思っていたのか、席に着いた俺に対して多数の視線が向けられてきた。興味、驚愕、あるいは嫉妬。目は口ほどに物を言う、なんてことわざの意味をこれほどまでに実感させられることはそう無いだろう。居たたまれない気分になるので、今のところはそっとしておいてほしい。お前ら、見るな。

 当然心の声が周りに聞こえるわけはない。だが、そんな俺に救いの手が差し伸べられた。


「おはよう。お前ら席に着け」


 始業までの時間が残り僅かだったのが幸いした。篠宮しのみや先生の登場と共に、俺への視線は無くなった。ありがとう、先生。

 クラスメイトの視線が先生へと向き、そのままHRが始まった。簡単な連絡事項をしている間、俺は天ヶ崎のことを考えていた。

 半ば強制的に参加させられた生徒会活動。どうしてあいつは俺のことを脅迫……もとい勧誘してきたのか。雑用が向いていそうな性格なんて言っていたけれど、本心は全くわからない。そもそも今まで会話の一つもしたことがないのだから、わからないのは当然なのだが。

 俺が都合の良い存在、というのならある程度納得はできる。

 新学期初日にクラス替えが行われ、天ヶ崎と同じクラスになった俺以外の生徒は、男女関係なくこぞって会話しようとしていた。異性である男からは当然、同性である女子たちからも羨望の眼差しで見られるような彼女だ、せっかくだからと関係を持とうとするのは必然である。

 しかしその時の天ヶ崎は、どこか壁を作って対応している節があるように感じていた。今となってはその原因が生徒会に起因していたのがわかる。

 同じことの繰り返しを起こすような役員は任命できない。だからこそ、全く別世界の住人だと思っており、関係を持とうとしなかった俺を選んだのだろう。

 

「――――以上だ」

 

 思考の海を漂っていた俺を、凛とした声が現実へと呼び戻す。どうやら篠宮先生からの連絡事項は全て伝え終わったらしい……俺は全く聞いていなかったが。

 朝のHRを終え、クラスメイトたちは一限目の授業の準備を始めた。

 そんな中で、俺に向けられる新たな視線を感じた。それは先生からだった。先生は目で廊下に出るように合図し、俺もそれに従った。


「生徒会役員になってくれたようだな」

「まぁ脅されて、ですけど」

「天ヶ崎が何を言ったのかは知らんが……まぁ、助かるよ。感謝する」

「助けになれるくらいには、頑張ってみます」


 俺の所信表明を受けて、先生はこくりと頷いてから背を向けて歩き出す。

 その後ろ姿を見送ってから、俺は教室へと戻った。





 日中の授業を終えた放課後。今日が俺の生徒会役員としての活動初日となる。

 第一棟の四階にある生徒会室の前へと辿り着いた俺は、コンコンと扉をノックした。


「どうぞ」


 室内から入室を促す言葉が届いてから、俺は生徒会室へと入る。


渡来わたらい君でしたか。もう生徒会役員なのですから、態々ノックしなくても大丈夫ですよ」

「次からそうするよ」


 ソファに腰かけて言葉を投げてくる天ヶ崎に返事をして、俺も鞄を置いて向かいのソファへと座る。

 のんびりと手に持っているスマートフォンへ指を走らせていることから、急ぎの仕事はなさそうだ。

 そもそも生徒会がどういった業務を普段行っているのか俺は知らない。だから、今のうちに訊いておくべきだろう。


「それで、生徒会って普段どんな仕事してるんだ?」

「正直なところ、普段やることは多くないですよ。忙しくなるのは体育祭や学園祭などの、大きな学校行事がある時なので」

「ってことは今日は仕事無しなのか?」

「全くないわけではありませんが、そうですね……折角なので、目安箱の処理でもしましょうか」


 そう言って天ヶ崎は立ち上がる。

 目安箱。各学年の棟に一つずつ置かれている、生徒の意見や要望を投函するものだ。匿名性で気軽に利用しやすいようになっている。俺は利用したことはないが。


「私は第四棟のを回収してきます。渡来君には第二、第三棟の回収をお願いします」

「了解」

 

 俺の担当となった第二、第三棟。第二は最高学年である三年生の教室が集まっている棟だ。最初に向かったのだが、目安箱の中身は空であった。

 学校へ思うことがあるのなら、一年の時に、遅くても二年の時にはこの目安箱を利用しているだろう。三年にもなれば仮に要望が通ったとしても、その恩恵に与れる期間は限られている。だからそもそも利用されない、というのは当然だろう。

 そして第三棟。こちらは二年生の教室が集まっている。こちらの目安箱にはかなりの量の投書があった。この学校で一年過ごせば見えてくることも多いのだろう、この量にも納得がいく。

 投書を回収して俺は生徒会室へ戻ると、天ヶ崎はすでに帰ってきておりソファに座っていた。


「おかえりなさい」

「ただいま、っと」

 

 手に纏めた投書を木製のテーブルの上に置く。


「こっちは二年の分だけだった」

「一年生からはまだ何もありませんでしたね。入学して間もないので当然ですけれど」

「んじゃ、これの中身を確認していくってことでいいのか?」

「はい。よろしくお願いします」


 天ヶ崎は半分ほど自分の手元に引き寄せる。残りの半分は俺が担当、ということだろう。

 俺もソファへ腰を落ち着けて、一番上の紙を手に取った。


『天ヶ崎さん、彼氏はいますか!?』


 学校への意見や要望じゃなくて天ヶ崎への質問じゃねぇか! 初っ端からなんてもんを掴んでしまったんだ俺は……。

 深い溜息を吐いてしまいそうになったが、ぐっと堪えて俺は次の投書へと意識を向けた。


『天ヶ崎さんの好きなものを教えてください!』

 

 オーケーオーケー。若干嫌な予感はしていたんだ。そもそもこれは全部二年生の投書だもんな。天ヶ崎と同じ学年だもんな。百歩譲って、天ヶ崎のことを知りたいという気持ちは理解しよう。だがこれは天ヶ崎への質問箱じゃないんだ、目安箱なんだ。本来の使い方をしてくれ、頼むから。

 俺は投書を握りつぶしたい気持ちを抑えつつも、次へと進む。


『天ヶ崎さん、彼氏はいますか? いないのなら付き合ってください!』


 二枚目ェ! というか匿名性なんだからお前が誰かわかんねぇよ。わかるのは天ヶ崎の人気の高さだけだよ。それに付き合ってほしいなら、直接伝えるべきだろう。簡単にスマホとかで連絡を取れるようになった現代だからこそ、直接伝える方が誠意なんかがもっと伝わるんじゃないか、知らんけど。まぁ、彼女が首を縦に振るとは到底思えないけれど。

 というかなんだよこの目安箱。質問箱に加えて今度はセクハラ箱か? これ以上名称を増やすんじゃない。 

 こめかみに手を当ててもう言葉も出ないといった状態の俺に、前方から声がかけられる。


「どうかしましたか?」

「どうかし過ぎてるんだよ……何だよこれ」

「いつものことですよ」

「いつ……もの……?」

 

 愕然とする俺に対し、天ヶ崎は涼しい顔で投書を捌いていく。その手際には一切の澱みが見られない。

 俺は気を取り直しつつも、新たに投書に手を付けた。きっとまともな意見をくれている生徒もいるに違いない、そう信じて。


『天ヶ崎さんの今日の下着の色を教えてください!』


 俺は問答無用で投書を縦に引き裂き、テーブルに叩きつけた。

 これは有罪。天ヶ崎の視界に入れることすら憚られる。ほんともう……高校生男子ってさぁ……いや、男子と確定したわけではないが、ほぼ間違いなく男子だろ。同じ男の俺が判断するんだ、正しいはずだ。というか匿名だからって何でも書いていいと思ったら、大間違いだぞ。ある程度は匿名性のあるネット……SNSだって、迂闊なことを書いてしまえば簡単に炎上するもんだ。こいつが将来、電子の海で大炎上しないかが心配になってきた。

 

「……大丈夫ですか?」

「あ、あぁ……悪い」

 

 俺が激しい物音を立てた所為か、天ヶ崎から気遣うような声をかけられる。

 いくら投書の内容がアレだったとしても、彼女の邪魔をしてしまったのは良くなかった。


「なんて書かれていたんですか?」

「あっ、待て――」


 俺の対応に思うところがあったのか、引き裂かれた投書を手にした天ヶ崎は、それに目を通した。


「……ふむ」

「あ、天ヶ崎……?」

「このような投書も、数は少ないですけど過去にもありましたよ」

「えぇ……」


 さらりと答えてしまう天ヶ崎に、俺はどういう反応をすればいいか非常に困った。

 ただ、一つ疑問が浮かんだので問いかけてみる。


「……こういうのを見ると、作業が嫌になったりしないのか?」

「嫌になったりはしませんね。投書はちゃんと全てに目を通しています」


 それが生徒会長としての当然の義務だという風に、天ヶ崎は答えた。

 

「それは……凄い、というか、偉いな……」

「偉い、ですか」

「あぁ。俺には真似できないよ」


 もし俺が天ヶ崎の立場だったのなら、間違いなく嫌気が差して作業がおざなりになっていただろう。本当に学生が望んでいることが書かれた投書を見逃すことがあったかもしれない。

 だからこそ、生徒の代表である生徒会長が天ヶ崎であったことに、俺はこう感じたのだ。


「天ヶ崎が生徒会長で良かったって思った。ありがとう」

「……どうも」


 素直な感情を口にしたら、天ヶ崎はお礼を言いつつもそっぽを向いた。その表情は俺からは窺い知れない。


「……よし、俺も天ヶ崎を見習って真剣に取り組むか」


 パンッと頬を両手で軽く叩き気持ちを切り替えて、俺はまだまだ積み重なっている投書の一つを手に取った。


『天ヶ崎さんって彼氏いますか!?』


 仏の顔も三度なんだよなぁ!


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