第3話 オオカミ君、決死の正拳中段突き

自称狼男の青年(以下オオカミ君とする)、受身をとってナイスな着地を決める。

しゃがんだ状態から立ち上がると、ちょうど目の前に木の立て看板があった。お触書のような感じで、縦書きでこういう文が書いてあった。


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アラユル恐怖に動ジズ、


決シテ人間ヲ持チ込マズ、


住人同士ノ揉メ事ハ住人同士デ解決シ、


家賃ヲ必ズ納メ、


畳ノ部屋ヲ見ツケテモ入ラナイコト


以下の決マリヲ守ル者ノミココニ住ムコトヲ許ス


管理人一同


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オオカミ「……」


読めない。あら、ゆる……にじ……?

あの顔の怖い木はここがホーンテッドシェアハウスだと言った。多分ハウスの説明が書かれてあるんじゃないかな。

オオカミ君は教養は無いが、勘は鋭かった。

噂通りあの木がハウスの目印であってたんだ。破壊・脅迫・暴力行使のヤクザみたいな木だとは思わなかったけどな…ああオレのラジオ……。

とりあえず看板の隣に縄ばしごが掛かっていたので登ってみる。彼は“落とした癖に登らせんなよ”と怒ったりはしなかった。心が少年のままなので、はしごを見るとワクワクして登ってしまうのだ。縄ばしごを登りきった先に、奥行きの狭い足場と鉄扉が土の壁に埋まっていた。

ドキドキワクワクしながら重たい扉を押し開けると外に出た。


オオカミ「!!」


割れるような重低音の不協和音が聞こえる。すごく耳が痛い。オオカミ君は咄嗟に両耳を覆って、眉間にギュッと皺を寄せた。

白い雲で覆われていてほとんど何も見えなかったが、何故か先に続く一本橋の空気だけが冴えていた。橋と言っても頑丈な丸太が掛かっているだけで、手すりはなかった。


…もしかしてここは空のてっぺんなんじゃないか。だって風の吹き方からしてとんでもない高さの場所にいる感じがするし。あ、自覚したら指の関節がケイレンしだした。足がガチガチになって鉛みたいだ。嫌だ、怖い。なんでこんなことに…


オオカミ「フーーーー………落ち着け…(心の声)」


もうなんでもいいから早くここを抜けたい。

であれば。まずやるべき事は置かれている状況の分析だ。涙で潤んだ金色の瞳を細めると100メートル程先に入口とおなじ鉄扉が見えた。

あそこまで落ちずに渡りきれたらクリアかな…と考えていると、下の方からゴゴゴゴ…と風の唸り声が迫ってきた。オオカミ君はあまりの風圧に目を瞑った。

風が弱まってうっすら目を開くと上空にとんでもないバケモノがいた。クトゥルフ神話に出てきそうな巨大でグロテスクで不気味で恐ろしいドラゴンが飛翔していたのだ。青黒く濁った鱗と首から背中にかけて一列に並んだ鋭いツノが凶暴さを強調していた。きっと向こう側までたどりつけなかった連中を食ってここまで肥太ったのだろう、びっしり並んだ鋭い歯の隙間に長い髪が引っかかっている。髪は白骨化した女の生首に繋がっていた。


青年「だーーーいじょうぶ……落ち着け…(心の声)」


しかし様子が変だ。さっきから同じ場所を旋回し、キョロキョロしている。どうやら目が悪くてオオカミ君のことを見つけられないらしい。


オオカミ「ふむ…」


少し考えて、唐突にポケットから小石をふたつ取り出した。白草原で拾ったものである。(オオカミ君は面白い形をした小石や枝集める癖があるのだ)。

ひとつを自分とドラゴンからなるべく離れたところに山なりに投げ、もうひとつを直線状に投げてその小石に「コッ…」とぶつけた。

その途端、再び轟音とともに旋風が巻き起こり、瞬きの間にドラゴンは音の鳴った場所まで移動し、小石をガリガリ噛み砕いていた。

つまりこの試練は、“無音で”超上空に掛けられた長い丸太を渡りきり扉を抜けられたらクリアということだ。

なるほど。普通の人間にここは突破できない。これはきっと人間とモンスターを振るいにかけるための試練なのだ。


さてオオカミ君はどうやってこの試練を突破するのか。初めは四足になって丸太の上を風の速さで駆け抜けることを思いついた。

しかし耳を抑えていないと、割れるような重低音が鼓膜にダイレクトアタックしてしまうので両手は使えない。

その上、丸太ゾーンを突破したとしても最後の鉄扉を開ける時にはどうしても音で気づかれてしまうだろう。強行突破は難しそうだ。

そこで大胆な行動に出ることにした。まず丸太の一番初めのところで立ち止まり、上を向いて遠吠えをする。するとドラゴンが音に気づいた。一直線に突っ込んでくる。オオカミ君は短距離選手が試合前にウォーミングアップする時のように軽く飛び跳ねて、息を整えて身体をかがめ、脚に力を込めた。


オオカミ「怖くない…怖くない…」


口の中でおまじないを唱え、覚悟も決めて……

弾丸の如くドラゴンに向かって行った。恐ろしく凶暴な顔にどんどん近づいて行く。大きな口に飛び込む寸前で上に高く飛び跳ねて、ドラゴンの背中に着地した。そのまま背中から尻尾まで走り抜け、向こう側の扉までたどり着いた。ドラゴンは勢いよく突っ込んだせいで入口側の鉄扉にめり込み、おどろおどろしい声で呻いていた。

オオカミ君はすかさず扉を押し開けようとして体当たりした。しかしこちらの鉄扉は入口側の扉の数倍の分厚さで出来ており、その分、さっきより数十倍の力をかけないと開かない。

モタモタ焦っているうちにダウンしていたドラゴンが再び獲物を探し始めた。

ドラゴンが突っ込んだ衝撃で、丸太は字の通り木っ端微塵になってとっくに奈落へ落ちていた。


逃げ場は潰された。

扉を開けるのに失敗すれば次の瞬間には音に気づいたドラゴンに頭を食われる。

つまりチャンスは一度きり。

もう無傷でクリアなんて言ってられない状況だ。オオカミ君は覚悟を決めて耳から手を離す。途端に信じられない大きさの重低音の振動が耳を通って脳を揺らした。だが悶えている時間は無い。

オオカミ君は意識を何とか保って、技を放つ予備動作に入った。足を肩幅に広げ、腰を落として重心を下げる。両拳を一度後ろに引いて、中段の高さで前に出し、右拳を引いて拳を脇の下まで持っていき…


オオカミ「セイィッッ!!!」


扉に向かって正拳中段突きを放った。

ドラゴンが気づいた。どんどん加速して迫ってくる。オオカミ君は耳の痛みも疲労も忘れて一目散に扉の向こうへ走っていった。

ドラゴンの鼻と口が目の前まで迫ってきたとき、オオカミ君の突きによって勢いよく開いた扉が壁にぶち当たった反動で勢いよく閉じた。

オオカミ君はすんでのところで生き延びた。鼓膜と平衡感覚は犠牲になったが、ドラゴンの顔面に二度も鉄扉攻撃を食らわせたので晴れやかな気持ちですらあった。

きっと今頃、鉄扉の表面は追撃してきたドラゴンの顔の形の凹みが出来ているだろう。

ハ、ハハッ……死ぬかと思った。ほんとうに。

のちにこの出来事がトラウマになって、オオカミ君は高所恐怖症となるのであった。

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