;第四話 私は、こういう人間なんです
撮影を終えた後は、サイさんの案内で各所を巡ることになった。
「───人のいないところが無いですね」
「そうですね。夜になれば、幾分は静かになりますが」
「こんなにたくさん、人も物も溢れているのに、どうして雑然としていないんでしょう?
纏まりがあるというか、一体感というか……」
「強いて言うなら、屋根でしょうか?」
「屋根?」
「景観を損ねないよう、瑠璃紺で統一する決まりなんですよ。
城の屋根も同じ色だったでしょう?」
「言われてみれば……。
城下町ともなると、景観を意識する必要もあるんですね」
町並みを一望できる大橋、城に負けず劣らずの桜並木。
先ほど通り過ぎた薬種屋に小間物屋、寡黙な職人が独りで切り盛りしているという鍛冶屋まで。
辺境の地で生まれ育ったわたしにとっては、何もかもが夢のような体験だった。
「ふふ。いい買い物が出来ました」
「ええ。みな喜ぶことでしょう」
最後に訪れた餅屋では、柏餅を買った。
贈答品として定番だそうなので、お世話になっている女中さん達へ、お土産だ。
「写真屋さんを出てから、どのくらい経ったんでしょう?」
「餅屋の主人によると、もうじき申の刻だそうです。
なので、写真屋を出てからは、一刻ほど経ったことになります」
「じゃあ、日が暮れだすのも、もうじきですね。
そろそろ帰った方がいい、です?」
「そうですね……」
十二分に物見遊山は楽しめたし、太陽も
名残惜しいが、帰るべきと言われたなら、そうしよう。
僅かに期待を込めて、サイさんの顔色を窺う。
「夕餉までは、まだ少しありますから……。
帰る前に、なにか甘いものでも食べていきましょうか」
「甘いもの!?
あっ、でも、お土産も柏餅で……」
「せっかく町に出たからには、その場で頂く醍醐味も知るべきかと」
「わー!嬉しいです行きたいです!」
わたしが名残惜しんでいること、加えて甘味好きであることを、考慮してくれたのだろう。
サイさんの粋な計らいにより、もう一軒だけ寄り道が許された。
「評判の茶屋があるそうなので、そこへ向かいましょうか」
「ハーイ!」
サイさん曰く、評判の茶屋へ。
この時のわたしは、これからのわたし達がどうなるか、想像さえしなかった。
**
「───あ、あそこですね!言ってたお茶屋さん!」
「ええ。今日も繁盛しているようです」
曲がり角の先に、茶屋の看板が見えてくる。
老若男女問わず人が出入りし、漏れ聞こえるのは笑い声ばかり。
評判に違わぬ人気店のようだ。
なんでも、売り上げに大きく貢献する看板娘がいるとのこと。
彼女を目当てに通う者も少なくないのだと、道中にサイさんが教えてくれた。
「外にも座るところがありますよ!素敵ですね!」
サイさんに来て来てと手招きしながら、店先に並んだ長椅子の列を指差す。
「そうですね」
わたしの無作法を窘めることなく、サイさんは頷いた。
「桜並木からはちょっと遠いけど、お花見気分ですね!」
サイさんの荷物を気にしながら、わたしは店先へ駆けた。
「まだまだお元気そうで、何よりです」
わたしの後にゆっくり続いたサイさんは、目を細めて笑った。
「里にいた頃は、家事に畑仕事に、大忙しでしたからね。
こう見えて、体力には自信がありますよ!」
「それは頼もしい」
長椅子の一つにわたしが座り、隣にサイさんが腰掛ける。
椅子の脇には、番傘が開かれた状態で立てられている。
椅子の上には、"おしながき"と綴られた冊子が置かれている。
「何になさいますか?」
荷物と交換で、サイさんが冊子を手に取る。
わたしにも見えるようにして、中を捲ってくれる。
「うーん、色々あって迷うなぁ……。
おすすめとかはあるんですか?」
「団子とぜんざいが特に美味だそうですよ。
もっとも、行商人の受け売りですが」
「へー、どちらも捨てがたいですね。
うーむ、どうしましょう……」
わたしが決め倦ねていると、サイさんが背中を押してくれた。
「では、団子とぜんざいと両方頼んで、それぞれ分け合うというのは如何でしょう?」
「い、一挙両得……!」
「一石二鳥?」
「まさしく!」
団子にぜんざい。
どちらも一度だけ口にした記憶があるが、どのような食べ物だったか朧気にしか思い出せない。
遠い昔、うちの紺屋に、とある町人が藍染め依頼をしにやって来た。
大口の取り引きだったので、こちらが依頼人の住む町へ、完成品を届けることになった。
通常は母ひとりで行う業務なのだが、母と離れたくないわたしが泣いて嫌がるので、今度だけは相伴したそうだ。
しかし、当時のわたしは、まだ幼く。
無理に連れ出してもらったくせをして、長旅にぐずったという。
困った母は、甘いものでも与えれば大人しくなるだろうと考え、帰途に甘味処へ立ち寄った。
そこで注文したのが、ぜんざい。
家で待つ父に土産として持ち帰ったのが、団子だった。
里にいた頃のおやつと言えば、蒸かした芋が殆ど。
嗜好のための食べ物なんて、存在すら知らなかった。
だから、朧気な記憶の中にも、美味しかった印象は残っている。
良かったねと笑う、母の優しい眼差しと。
ありがとうと喜ぶ、父の大きな掌も。
「すみません」
「はーい!」
サイさんが店内に向かって声をかける。
程なくして、一人の女性が暖簾を潜って現れた。
「いらっしゃいませ、お綺麗なお二人様!
ご注文はお決まりになりましたか?」
「はい。
三色団子と、ぜんざいを一人前ずつ────」
おさげ髪の可愛らしい少女。
毅然と接客をする姿に、わたしは"もしや"と思った。
「三色団子と京風ぜんざいですね、かしこまりました。
少々お待ちください!」
わたし達の注文を承った少女は、店内へ蜻蛉返りした。
「サイさん、もしかして」
「ご明察」
肯定するサイさん。
ということはやはり、あの子が。
「すいませーん、お茶のおかわりを」
「はいただいまー!」
「注文いいかい?」
「すぐお伺いします!」
誰にでも彼女は平等に接し、誰しもが彼女に好意を示す。
わたしと変わらない年頃なのに、一人前以上の仕事を熟している。
看板娘か。
探りを入れるまでもない、納得の称号だな。
「明るくて優しくて、陽だまりみたいな人ですね。
歳はわたしと同じくらいでしょうか?」
「ええ、確かひ───。
……ウキさんより、ひとつ上だったかと」
"姫様"と言いかけたサイさんが、拙く訂正する。
わたしは口角を上げ、サイさんの顔を覗き込んだ。
「ほぉー、そうなんですかー。ふふふ」
「すみません……。まだ慣れなくて」
「いえいえ、お気になさらず」
写真屋でも
他の人とどう交流しているかは定かでないが、わたしといる時のサイさんは実に、人間的で魅力的だ。
元ある感情を素直に表現するように、できるようになった、と言うのが適切かもしれない。
「(ずっと続けばいいのになぁ)」
冷たくされたらどうしよう。
関係を築けなかったらどうしよう。
不安だったのは、最初の内だけ。
心配しないで。その人は冷たい風でも、心は温かいわ。
安心して。何日かすれば、一緒にお菓子を食べられるようになるわ。
あの日のわたしに、教えてやりたい。
「───お待たせしました!
京風ぜんざいと、三色団子になります」
注文した二品を盆に乗せて、看板娘が戻ってきた。
「どうも」
わたしと距離を置いたサイさんは、受け取った二品を椅子の中央に並べた。
「以上でよろしいですか?」
「ええ」
「ありがとうございます」
「ごゆっくり、寛いでいってくださいね」
空いた盆を抱えて、看板娘が再び店内へ蜻蛉返りする。
器から立ち上る湯気は、ぜんざいの香り。
甘く
「お好きな方を」
「いいんですか?
そうですねぇー……。じゃあわたしは、お団子を先にもらいますね。
サイさんは、ぜんざいをお先にどうぞ!」
「はい」
二人同時に手を合わせてから、わたしは団子の串を、サイさんはぜんざいの器と匙を持った。
まんまるの塊が縦三つ。
桜色をした一番目を頬張り、ゆっくりと串から抜き、右の歯列で咀嚼する。
柔らかい口当たり、弾力のある歯触り、しつこくない上品な甘み。
実物を練り込んであるのか、桜の風味が鼻孔をくすぐる。
そうだ、これだ。この味だ。
あのとき食べた団子の味と、よく似ている。
懐しさに浸り、美味しさに目を閉じる。
「く───、っふふ。ん、ゴホン」
小刻みに震える息遣い。
団子を飲み込んで隣を見遣ると、顔を背けたサイさんが吹き出すのを堪えていた。
「あ、わ、わたし、そんなに変な顔をしてたでしょうか!?」
「いいえ、あの、申し訳ありません。
とても美味しそうに召し上がってらっしゃるので、その……。
愛くるしいなと、思いまして」
「で、でも本当に美味しいんですよ、これ!
サイさんも食べてみたら、きっと同じような顔になりますよ!」
「そうですか。
ウキさんの笑顔を見ると、私も楽しいです」
握り拳を口元に当てて、サイさんはくつくつと喉を鳴らした。
わたしはまた気恥ずかしいような、きゅっと胸を締め付けられる感じを覚えた。
"ウキさんの笑顔を見ると────。"
あのね、サイさん。
わたしって能天気で、無鉄砲で、泣くよりは笑うのが好きな女だけど。
辛い時や悲しい時にも笑えるほど、大人じゃないし、強くないのよ。
ねえサイさん、わたしね。
わたしがこうして、笑っていられるのはね。
「ぜんぶ、サイさんのおかげなんですよ」
「え?」
雪竹城で過ごした十日間。
サイさんは、昼夜を問わず、わたしを励まし続けてくれた。
いつも己が付いている、貴女は決して
わたしの元気が足らない時には、笑い話なんかを聞かせてくれた。
懇意にしているという行商人の話や、女中同士の喧嘩に巻き込まれてしまった話。
幼年期に初めて
そして、この町のことも。
身振り手振り付きで語る様子は、不格好ながらも一生懸命で、わたしは強く感銘を受けた。
こんなにも、自分のことを思ってくれる人がいる。
自分が生きていることを、覚えていてくれる人がいる。
サイさんのおかげで、わたしは今日まで過ごしてこられたのだ。
「サイさんが側にいてくれて、わたしを見ていてくれるから、だから、こうして笑っていられるんです。
隣にはあなたがいるんだと思うと、わたしはすごく安心するの」
「ウキさん……」
サイさんの眉間に皺が寄る。
喜怒哀楽のどれともつかない、複雑な表情だ。
どう受け取ってもらっても、わたしは構わない。
先の言葉に不足があっても、余分はないはずだから。
「私は────」
二の句を切り出そうとしたサイさんが、ぐっと口をつぐむ。
「サイさん……?」
サイさんの目付きが、みるみる険しくなっていく。
わたしの背後を睨んでいるようだが、振り返っても不審なものは見当たらない。
「あの、サイさん?どうしたんですか、急に───」
「すみません、姫様。急用ができました。
少々、
「あ、はい。わたしは構いませんが……」
「誠に申し訳ありません。
二つとも、どうぞ貴女が召し上がってください」
まだ口も付けていない
周囲に散らした目配せは、護衛の方々への合図だろう。
嫌な予感がする。
わたしを"ウキさん"ではなく、"姫様"と改めたのは、用心棒としての心構えに切り替えたからだ。
すなわち急用とは、用心棒として必要な局面が、彼女に迫っているということだ。
「姫様」
心配で見上げるわたしの肩に、サイさんは優しく手を乗せた。
「心配ありません。すぐ戻ってきます」
サイさんの瞳の中で、いつかに見た闇が塒を巻いていた。
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