;第四話 私は、こういう人間なんです 2
西の空が夕焼けに染まった。
サイさんは、まだ戻ってこない。
「───ぅぷ……。お腹いっぱい……」
無理矢理に平らげた団子とぜんざいが、胃を圧迫して苦しい。
特にぜんざいはコチコチに冷えてしまったので、飲み込むのも一苦労だった。
戻ったサイさんと仕切り直したかったのに、まさかこんなことになるとは。
「勘定お願い」
「はいはーい」
「次こっちねー」
「はーい、ただいまー」
お客さんの数は、わたしを含めて四人まで減った。
向かいの貸物屋は、早くも店じまいを始めている。
実際は一刻も経っていないのだろうが、気持ちはずっとここにいるみたいだ。
「(さすがに遅い、よね)」
サイさんが今どこにいて、何をしているかを知る術はない。
護衛の方々に尋ねてみても、いずれ戻るの一点張りで、頑なに訳を教えてくれない。
なぜ、わたしを遠ざけるのか。
なぜ、その急用とやらに、サイさん以外は関わろうとしないのか。
いくら思案しようにも、答えを導き出すことは叶わず。
自分の無知さと歯痒さに、沸々と苛立ちが募っていく。
「(こうなったら───)」
痺れを切らしたわたしは、自分でサイさんを探しに行く決意をした。
残された荷物の中から、サイさんの手提げ袋を持ち出し、軒先に立つ護衛の一人に近付く。
「もしもし、おじさま」
「なにか?」
「厠を借りてきても
「でしたら、
「ご心配なく。寄り道は致しません。
それに、殿方に控えてもらうのは、ちょっと……」
"厠を借りる"は嘘でも、"寄り道なし"は嘘じゃない。
サイさんを探しに行くのは"目的"であって、"寄り道"じゃないから。
「……失礼しました。
では、
護衛の一人は怪訝な反応をしつつも、やむを得まいと離席を許してくれた。
わたしは自然なふりをして、そそくさと店内へ逃げ込んだ。
「あら、さっきのお綺麗さま!どうされました?」
後片付け中だった看板娘と鉢合わせる。
この人にも嘘をつくべきか、否か。
「実は、ご相談したいことがあるのですが───」
腹を括って打ち明ける。
看板娘は始めこそ当惑したが、真摯に耳を傾けてくれた。
「なるほど……。
どうりで、今はお一人なわけですね」
「突拍子もなくて、本当にすみません。
どうにか、人目に触れずに、ここを離れる方法はありませんか?」
「……こうしましょう」
看板娘に連れられ、店の奥へと連れて行かれる。
「ここから迂回していけば、表の人間には気付かれないはずです」
茶屋の関係者が出入りするという、いわゆる通用口。
ここを使えば、軒先で待つ護衛の方々には見付からずに済みそうだ。
「さ、お早く!」
「はい……!」
看板娘に促され、通用口の扉を開ける。
ギィー、と軋む音に続き、塞がれていた視界が
「(誰もいない)」
多少狭くとも、歩くだけなら問題ない。
よし、行ける。
「健闘を祈ります」
わたしを送り出してくれる、看板娘こと名も知らぬ少女。
妙な出会いになってしまったが、本当に陽だまりみたいで、気持ちのいい人だった。
「ありがとう。
あなたもどうか、お元気で」
茶屋と看板娘に別れを告げ、サイさんが向かったとされる方角へ。
小路を抜けると、小川を望む土手に辿り着いた。
これ以上の前進は出来ないので、三叉路を左右に曲がるか、後退するしかない。
三叉路を左に行けば、今日一日遊んだ通りに出る。大橋で対岸にも渡れる。
右に行けば、わたしにとっては未開の地となる。雪竹城も遠くなる。
最後に見たサイさんは小路に消え、そこから先が行方不明。
サイさんと入れ違いにならないためにも、護衛の方々に捕まらないためにも、余計な時間は費やせない。
右か左か、二つに一つ。
けれど、わたしは迷わなかった。
頭の中で誰かが、右を行けと囁いた気がした。
「(サイさん)」
あちこちに視線を配り、一歩一歩を確かめながら進んでゆく。
二人の童が楽しげに駆けてくる。通り過ぎる。
烏の鳴く声がうるさく聞こえる。真横に糞を落とされる。
「サイさん……!」
サイさん、どこにいるのですか。
事件に巻き込まれていませんか。大変な目に遭ってないですか。
なんでもいいから、どうか無事でいて。
「───、────────!」
ふと、空気が変わった。
自分の足音と烏の鳴き声に混じって、何者かの怒号が響いたような。
歩みは止めずに、神経を研ぎ澄ませる。
「────────────!」
「────────。──────────」
人の声。言い争う様子。
いや、一方がもう一方に対して、因縁をつけているんだ。
因縁をつけている側は、大人の男性。
つけられている側は少年、もしくは女性。
高くなく低すぎもせず、サイさんの声と程近い。
もしかして、サイさんが男に絡まれているのか。
辺りには他に誰もいない。烏も鳴き止んでくれた。
そこを右に曲がれば、きっとサイさんがいる。
あと三歩、二歩、一歩─────。
「───ッンで、涼しい顔してられんだ!!」
男の怒号が、ひときわ大きく劈いた。
わたしは驚いてヒッと喉を鳴らし、その場に立ち竦んでしまった。
陽の差さない路地裏。
壁際に追いやられたサイさんと、彼女に覆いかぶさるように迫った壮年の男。
興奮して頬を赤らめた男とは対照的に、サイさんは表情ひとつ崩してない。
「姫様……!」
わたしに気付いたサイさんが、はっと目を見開く。
一拍遅れて男も反応すると、途端にサイさんは暴れ出した。
「見逃してやるのは今度きりだ。次まみえる時は容赦しない」
掴まれていた腕を振り解き、サイさんは男に冷たく言い放った。
「(こわい)」
凄まじい圧迫感。
ひょっとしてこれは、殺気というやつだろうか。
こんなに怖いサイさんを見たことがない。
松吉さんが相手の時とは比べようもない。
わたしの大好きなサイさんが、サイさんじゃない。
「行きましょう、姫様」
路地裏から出てきたサイさんが、わたしの腰に手を回す。
「で、でもあの人は────」
「構いません。行きましょう」
目を合わせてくれない。会話をさせてくれない。
勝手に抜け出してきたことを咎めてもくれない。
わたしの前でだけ、"いつものサイさん"を振る舞われるのが、却って恐ろしい。
「(あの人は、サイさんの……?)」
置き去りになった男は、尚もサイさんを睨み続けている。
下唇を噛み、拳を握り、ただでは済まさないぞとでも言いたげに、恨みがましく。
あのまま捨て置くべきでないことは、わたしもサイさんも分かっている。
分かった上で、わたしには、どうにもならなかった。
「───すみません、姫様。思ったより手間取ってしまいました」
帰途につきながら、サイさんはやっと顔を上げてくれた。
「いいえ、わたしのことは気にしないで。
こちらこそ、待つよう言われていたのに、勝手に……」
「いいのです。配慮が足りませんでした。心配して、探しに来て下さったのですね。
ともあれ、貴女の身に怪我がなくて、よかった」
強張った笑みを浮かべるサイさん。
男と何があったのか聞きたい。言葉が出てこない。
先程の剣幕が脳裏を離れない。動悸が治まらない。
「あの、サイさん」
上擦った息を吐き、サイさんの袂を摘まむ。
「さっきの男の人は、いったい────」
誰、とわたしが言いかけた刹那。
「───玉月才蔵!!!」
またしても、男の怒号が劈いた。
後ろを振り返ると、過ぎた道の真ん中に、男が立っていた。
「我が宿怨、ここで晴らす!!」
腰の刀を抜いた男が、こちらに突進してくる。
剥き出しになった刃が、夕陽を映して十字に光る。
虚仮威しなんかじゃない。
男が纏うは、
「さ、サイさ────」
恐怖で動けなくなってしまったわたしの肩を、サイさんが強い力で押す。
わたしは地面に尻餅をつき、持参した手提げ袋を放ってしまった。
わたしと距離を取ったサイさんは、左足を一歩引いて、腰を落とした。
男と変わらぬ厳しい表情で、迎え撃つつもりらしい。
いけない。
今のあなたは丸腰で、武器になりそうなものなんて、どこにも無いのに。
「地獄に堕ちろ、鬼ぃぃいーーーッ!!!」
絶叫と共に、男が刀を振りかぶる。
「サイさん!!」
わたしも男に被せて叫んだ。
サイさんは声にならない声で、"御免"とだけ呟いた。
「あ────」
男が刀を振りかぶった隙に、サイさんは屈んで男の懐に入った。
男の体とサイさんの体が重なり合うと、男は俄に苦しみだした。
あまりに一瞬のことで、わたしは目も頭も追い付かなかった。
「きさ、ま……」
サイさんが男に向かって踏み込むと、男の口から
サイさんが勢いを付けて男から離れると、支えを失った男はよたよたと後ずさっていった。
「じご、く……」
刀を握り締めたまま、男は仰向けに倒れた。
傷口を見るに、心臓を一突きにされたようだ。
男の胸元も、男の周囲にも、赤い血溜まりが広がっていく。
死んだ、のか。
状況を飲み込めない中、男からサイさんに視線を移してみる。
いつの間にか、サイさんの手には血濡れの小刀が握られていた。
丸腰だったはずなのに、なんて疑問は、最早どうでもよかった。
サイさんが腕を素早く振るい、小刀に付いた血を払う。
横一列に飛び散ったそれは、わたしとの線引きを表しているかのようだった。
「ごめんなさい、姫様」
烏の群れが一斉に羽ばたき、サイさんの足元に一枚の羽を落とす。
「私は、こういう人間なんです」
自嘲するサイさんの頬と肩には、男の血がべっとりと滲んでいた。
『
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