;第三話 お祭りみたい 3
雪竹城の正門を抜けて、少し行けば城下町。
広がる景色は同じはずなのに、初めて足を踏み入れた時とは違うように感じるのは、心境の変化によるものだろうか。
行き交う人の群れも、足下に散らばる無数の影さえも。
今や、目に映るすべてが美しい。
叶うなら、この景色を、里のみんなにも見せてやりたかった。
それだけが、とても残念だ。
「───今日は天気が
雑踏の中、隣を歩く横顔に、何度目か分からない胸の高鳴りを覚える。
麻の葉模様が入った月白の着物に、深い青褐の行灯袴を穿き、下ろした髪の一部を後頭部で留めている。
配色でいえば普段着と差異ないが、今の彼女が身に付けているのは女物。
施した化粧も、無学なりに流行を意識したつもりだ。
「ゆっくり出来そうで一安心、ですね」
しかし、装いひとつで、こうも見違えてしまうとは。
凛とした風格は、匂い立つほどの色香へ。
幼さの残る少年から、艶めくまでの女性へ。
健康的な町娘どころか、もはや名家の御令嬢。
わたしなんかよりずっと、お姫様と呼ぶに相応しい。
行きずりの男達の熱視線に気付いていないのは、恐らく本人だけだ。
「姫様?なにやら、頬が赤らんできましたが……?」
覗き込んできた玉月さんに、違う意味で心臓が跳ねる。
見惚れるあまり、返事をするのを忘れていたようだ。
「あ、だ、大丈夫です!はい!」
「本当に?どこか具合が悪いのでは……」
「いいえ本当に、そんなことはないんです。───です、けど……。
つい、見惚れてしまったというか……」
「え?」
「いつもの玉月さんも、凛々しくて格好いいですけど……。
女らしい装いのあなたも、す、素敵だなと、思って……」
意を決して打ち明ける。
歩調を抑えた玉月さんは、照れ臭そうに首を傾げた。
「私には過ぎた誉です、姫様。見惚れるほど美しいのは貴女のほう。
その単衣も、とても似合っておいでですよ」
目上の人には失礼な言い方になるが、なんと初々しい反応だろう。
大人っぽいのに子供みたいで、あべこべさがまた堪らない。
油断すると、こちらが逆上せてしまいそうになる。
「馬子にも衣装、ですよね」
逃げるように目線を落とした先で、上様が見繕ってくれた単衣の裾が揺れる。
華やかだが目立ちすぎない若草の生地に、等間隔で引かれた琥珀の縦線が眩しい。
着丈も散策程度には丁度よく、町人に自然と扮していられる。
玉月さんの美貌に注目が集まっても、わたしの素性が露見する心配はなさそうだ。
「わたしなんかが袖を通すのは、勿体ない気がします」
「そんなことありません。しっかりと着こなしていらっしゃいます」
「ふふ、ありがとう。玉月さんは褒めるのが上手ね。
そのお着物も、玉月さんにぴったりだと思うわ」
「これですか」
玉月さんが自らの袂を持ち上げ、苦笑する。
「あいにくと、女物はこれ一着しか持ち合わせがなくて」
「そうなんですか?」
「ええ。
立場上、人に貸してくれと、せがむ訳にもいかず……。
慌てて、箪笥から引っ張り出してきた次第です」
「知らなかった……。
また余計な手数をおかけしたようで……」
「滅相もありません。
捨てずにおいて幸いでした」
玉月さんによると、女物の衣装は他に持ち合わせがないという。
長らく出番のなかった割に清潔なので、手入れだけは欠かさずにいたようだ。
沈着冷静を絵に描いた彼女が、あたふたしながら箪笥を漁ってくれたなんて。
重ね重ね迷惑をかけて申し訳ない限りだが、想像するとちょっと可笑しい。
「───大通りに入ります。離れないでくださいね」
「はい」
歩き着いた大通り。
独特の空気を、わたしは目一杯に吸い込んだ。
「お祭りみたい」
薬種屋に小間物屋、古物商に平旅籠。
蝦夷では南が最も栄えていると聞くが、ここも負けず劣らず活気がある。
いわゆる和人地の割合が増してきた、なによりの証左かもしれない。
「そうだ、姫様」
ふと、玉月さんが閃きの声を上げた。
一体どうしたと足を止めるわたしに、彼女は人差し指を立ててみせた。
「せっかくですし、今日という日の記念に、写真を撮ってみませんか?」
"写真"。
対象物の姿をそのまま形に残せるという、人ならざる絵師のごとき装置。
撮られた者は魂を抜かれるとの噂は、迷信である説が濃厚だとか。
「しゃしん───、とは、
「はい!
一段とお美しくなられた姫様を、私だけが目正月とするのは、それこそ勿体ない。
形に残しておけば、思い出もきっと色褪せないでしょう」
いつになく朗らかな玉月さん。
わたしは一瞬呆けてしまったが、彼女を斥ける選択はなかった。
「是非そうしましょう!
ただし、撮ってもらう時は二人一緒に、ですよ?」
立場を気にしなくていいおかげで、思った通りに笑える。
一対一の対話をできる。
傍からすれば、友達だろうか。
玉月さんも、友達気分になってくれているだろうか。
そうだと、いいな。
「行きましょう」
玉月さんが右手を差し出し、わたしが左手で掴む。
"───桜、というのですよ"。
出会ったばかりの玉月さんは、冷たい手をしていた。
花びらを散らす指は、戸惑いに震えていた。
今は違う。
溶け合う体温が、一回り大きい掌が、わたしを包んでくれる。
はぐれないように、転ばないように、わたしを導いてくれる。
「(これって、もしかして────)」
段々と、惹かれ始めている。
時折こちらに振り返っては笑いかけてくれる玉月さんに、わたしの心が耳打ちした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます