;第三話 お祭りみたい 2
「───あの、姫様」
いつもは見下ろす側の玉月さんが、珍しくわたしと同じ目線でいる。
座った途端に背丈差がなくなるとは、どれだけ足が長いのか。
「なんでしょう、玉月さん?」
「その……。どうしても、やらねばなりませんか」
「はい、ぜひ!」
「……承知しました」
意気揚々と頷くわたし、残念そうに項垂れる玉月さん。
男性として振る舞っている分、改めて女性扱いされることに不慣れを感じるのだろう。
先程からずっと落ち着きがなく、正座の上で結んだ拳を締めたり緩めたりしている。
「髪、分けますね。
痛いとか冷たいとかあったら、言ってくださいね」
「はぁい……」
観念した様子の玉月さんが、目を閉じて背筋を伸ばす。
わたしは膝歩きで玉月さんに寄り、彼女の前髪を横に分けた。
美人の顔に触れるというのは、割れ物や壊れ物に触れる以上に、緊張が伴う。
「しかし、姫様?
なにゆえ、あのようなことを申されたのです?」
目を閉じたまま、玉月さんが二度目の問いを投げてくる。
「やっぱり、迷惑でしょうか……?」
「とんでもございません。姫様がお望みとあらば、私は何でも構いません。
ただ、この好機をもっと、有効に生かす手立てが、他にもあったのではないか───、と思いまして」
玉月さんが言葉を選んでくれる。
今しばらく前の出来事が、わたしの中で反芻される。
"ただの護衛役ではなく、一人の友として、玉月さんに道連れを頼みたい" 。
上様からの有り難い提案に、わたしはそう答えた。
本当に突拍子もないと、我ながら笑ってしまうけれど。
玉月さんの存在ありきで考えた結果、他に選択肢が浮かばなかったのだ。
もっと、玉月さんと親しくなりたい。
一個人として、彼女に心を開いてほしいと。
最初は首を傾げた上様も、警護を厚くすることを条件に許してくれた。
そして今、わたしの自室にて、冒頭のやり取りに至る。
「有効な手立て───」
初めての城下町を、望んだ相手と共に。
想像しては胸が躍り、出かけの準備を整える時間さえも、愛おしくて仕方ない。
玉月さんの言わんとすることも理解できるが、わたしにはこれで精一杯なのだ。
「そうですね。作業をしながら話してもいいですか?」
「どうぞ」
いつかこんな日がくるかもしれないと、母さんにやり方を習っていて良かった。
「始めますね」
女中さんに用意してもらった化粧道具を畳に並べ、紅猪口と紅筆を手に取る。
水の入った碗に紅筆をつけ、湿った筆先で紅猪口の縁をなぞる。
溶けた紅を玉月さんの頬骨に乗せ、指の腹を使って肌に馴染ませていく。
元より玉月さんは色白なので、白粉は必要ない。
頬紅を点して血色を良く見せてやれば、この通り。
中性的な美男子から一転、健康的な町娘風に。
「くすぐったい、ですね」
「だめだめ、じっとして」
本人はというと、未だ張り詰めた状態でいる。
男装をして長いのか、そもそも興味を持たなかったのか。
化粧を施される自体が、初めての経験なのだろう。
「急に、思い出したんです」
「え?」
なんでも望みを聞いてやる。
上様の有り難い提案に対して、わたしは強い既視感を覚えた。
こんなことが、前にもあった。
それは何のことだったか、いつのことだったか。
「昔、わたしの七つのお祝いに、両親は何でも、わたしの欲しいものをあげると、言ってくれたんです」
目の前の玉月さんの顔と、当時の両親の顔とが、わたしの中で重なった。
「なんと、答えられたのですか、姫様は」
わたしの欲しかったもの。
お洒落なものでも、流行りのものでもなかった。
「ふふ。笑わないでくださいね」
今度は玉月さんの瞼に紅を乗せる。
睫毛に沿って線を引くように、目尻は淡くぼかすように。
「友達が、欲しいと言ったんです」
わたしが手を離すと、玉月さんはゆっくりと目を開けた。
「これまでも、仲良くしてくれた人は、たくさんいました。
里では
……けど、わたしには、友達と呼べるような、特定の相手がいなかったんです」
「それで友達が欲しい、と」
「あの時の両親の困ったような顔を、今でもよく覚えているわ。
だから、年頃の近い、同性の友人と、おめかしして一緒に遊ぶのが、昔からの夢だったの。
……ごめんなさい。変なことに巻き込んで」
気を取り直して、紅筆を取り替える。
「きっと、これきりだから。
こんなわがまま、もう二度と、言わないから」
水に紅く溶け出すたび、玉虫色の境界線が光る。
数年前、母さんに化粧を習った思い出が甦る。
あなたももう、そんな年頃になったのね、と。
わたしの薄い唇を突きながら、嬉しそうに切なそうに、笑っていた。
「(いけない)」
自分で自分の心を乱し、息が震えてしまう。
集中だ、集中。
母さんの持つ化粧道具は、安物ばかりだったじゃないか。
高い紅猪口は玉虫色をしてるんだって、さっき初めて知ったんじゃないか。
大丈夫。ぜんぜん違う。
あの時と今とでは違うのだから、自分で重ねにいこうとするな。
自分で自分を、泣かせようとするな。
「笑うわけないでしょう」
玉月さんの青白い手が、わたしのこめかみを掠める。
玉月さんの細長い指が、わたしの髪を一房すくって、わたしの耳にかける。
「(なに、いまの)」
どうしよう、体が熱い。
触れられた耳が、関係ない腹の底が、じんと痺れて痛い。
金縛りに遭ったように、身動きがとれない。
「いつか、お話しくださる約束でしたね」
「へっ?」
「幼少のみぎりや、ご両親とのこと。
姫様の、ふるさとの、懐かしい思い出の話を。
またひとつ、叶って嬉しい」
どうしてあなたは、わたしの心を見透かしてしまうのでしょう。
どうしていつも、わたしの欲しい言葉をくれるのでしょう。
「次は口紅ですね」
ばつが悪くなったのか、二の句を継ぐ玉月さんの声は上擦っていた。
わたしは咄嗟に彼女の手を引き止め、自分の両手で握り締めた。
「わたし、玉月さんがお世話役になってくれて、本当に良かったわ」
はにかむ笑顔がやけに可愛く見えたのは、化粧のせいだけじゃない。
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