;第三話 お祭りみたい
雪竹城での暮らしが始まって十日。
当初は何かと不便したが、今や馴染みを覚えるまでになった。
遠回りをしても自室へ戻ってこられるし、挨拶を交わせる女中さんも出来たし、睡眠も食事も十分にとれる。
玉月さんが親身に世話を焼いてくれたおかげだ。
「───えっ、これからですか?」
「はい。お支度の済み次第、顔を出すようにとの仰せです」
「だ、だったらこんな、呑気に朝ごはんを頂いてる場合じゃないのでは……」
「朝食もお支度の内に含まれます。
上様も、今時分は朝間の一服をされている頃でしょう。
どうぞ、安心してお召し上がりください」
朝食を頂いている時のこと。
最初の目通り以来、姿の見えなかった上様が、十日ぶりにわたしを呼び付けた。
なんでも、手ずから渡したい物があるのだという。
食後すぐ、わたしと玉月さんは謁見の間へと向かった。
玉月さんは定位置に、わたしは用意された座布団に座り、上様と十日ぶりの対面をする。
「───どうだ、ウキ。初めての城暮らしは。障りないか?」
「ありません。
玉月さんが色々なことを教えてくれるので、毎日とても充実しています。
むしろ、恵まれすぎなのではと思うくらい」
「そうか。ならば良かった」
朝の早いこともあるし、てっきり急用かと思いきや。
上様は以前と変わらぬ態度で、たわいない余談に興じた。
とりあえずは、お叱りを受ける謂れじゃなさそうだ。
「ところで上様、渡したい物というのは……?」
恐れながらも、こちらから用向きを尋ねる。
「おお、そうだった、そうだった」
上機嫌に頷いた上様は、控えの玉月さんに目配せをした。
玉月さんは上様の背後から三つの桐箱を取り出すと、わたしの前に並べていった。
「この箱は?」
「ささやかだが、そなたへの贈り物だ。開けてみなさい」
"贈り物"。
予想だにしなかった展開だ。
定位置に戻った玉月さんは、穏やかな笑みを湛えている。
こうなることを、彼女は予め知っていたようだ。
わたしに委細を教えなかったのは、上様に口止めされていたからか。
「拝見します」
まずは、中央の桐箱を開けてみる。
中には撫子色の付け下げと、帯などの一式が入っていた。
付け下げには桜の刺繍が施され、帯留めは開花した桜を象っている。
いずれも意匠を凝らした逸品であることは、わたしの素人目にも明らかだ。
「これを、わたしに……?」
「予定より随分と遅れてしまったがな。
まだかかる、もう少しと、呉服屋にお預けを食らうたび、生きた空もなかったわ」
自分の
今日までの不在続きが
「あ、ありがとうございます、わたし……。
どうしよう。こんなに、たいへんな贈り物をされたのは、初めてなんです」
「遠慮は不要だ。三着とも全て、そなたのためにと拵えさせたもの。
こやつらも、はよう袖を通してくれと、せがんでおるようだ」
冗談を言う上様につられて、わたしも笑みが零れる。
三着とも、ということは、桐箱の中身は全て召し物らしい。
「触ってみても
「構わぬよ」
上様の許可を得て、付け下げに腕を伸ばす。
なんとも心地の好い、滑らかな手触りが伝わってくる。
意匠だけでなく、素材からして上等だ。
わたしの持参した訪問着を束にしても、この一着の値打ちには遠く及ばないだろう。
「───して、ウキよ。
殿はたった今、妙案を思い付いてしまったのだが……。
聞いてくれるか?」
ふと、上様が芝居がかった調子で手を打った。
なんのことかと聞き返すと、上様は尚も軽妙に続けた。
「うむ、どうだろう。
替えの衣装もこうして、用意が出来た。
これを折とし、町に出てみるというのは?」
「えっ……。町へ行ってもいいのですか?」
「たまには外の空気を吸い、天下に触れることも必要だろう。
警護の者も付けるゆえ、安心して物見遊山を楽しむといい」
話の途中、上様はこちらに扇子の天を伸ばしてきた。
指し示されたのは、まだ未開封である方の桐箱だった。
これを着て町に出るのが吉、と上様は仰りたいようだ。
「(わたしなんかの、ために)」
上様ともあろう御方が、わたしのためにと骨を折ってくれた。
一足遅れて実感が湧き、得も言われぬ喜びを噛み締める。
「ありがとうございます。お心遣い、痛み入ります」
「なに、年頃の娘は、遊ぶも仕事の内だ。
そなたの笑顔と引き換えるには、まこと安い買い物であったよ」
わたしが感謝の平伏をすると、上様は高らかに笑った。
「他に、やりたいことなどあるか?
突拍子もない頼みでも、今なら叶えてやれるやもしれぬぞ」
次いで降ってきた問いに、わたしは息が詰まった。
「(やりたいこと)」
視線を上げ、上様の顔を見る。
にこにこと、わたしの反応を窺っておられる。
玉月さんの顔を見る。
おっとりと、わたしの意思に委ねてくれている。
今日の上様は、いつにも増して機嫌が良いらしい。
先程の言葉も、他意はないのだろう。
「(わたしの、やりたいこと)」
上様いわく突拍子もない頼みというのが、どのくらいの範疇を指しているのかは分からない。
ただ、どんなお願い事でも、今なら笑って許してもらえる気がした。
もう一度、玉月さんを見る。
わたしの沈黙を案じてか、僅かに首を傾げている。
もう一度、上様を見る。
答えは出たかと、優しく話しかけてくる。
「(ああ、こんなことが、前にも一度───)」
いつかに両親が、わたしの生まれたお祝いにと。
何でも好きなものをあげると言われて、わたしは何と返したんだっけ。
「では、ひとつ。
わたしの拙いお願いを、聞いて頂けますか」
思い出すのは、困ったような苦笑い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます