;第二話 以後お見知りおきを 2
「───覚えられそうですか?」
午後。
朝食時に約束した通り、玉月さんが雪竹城を案内してくれた。
「うーん……。まだあんまり、ですけど……。
そのうちに自然と覚えられる、はず。と、思いたいです……」
「左様ですか。
後ほど間取り図の方も確認して、一緒にお浚いと参りましょう」
「お願いしますぅ」
物覚えは良い方なのだが、いかんせん敷地が広すぎる。
これまでに訪れた場所と名前を一致させるだけでも、三日はかかりそうだ。
最初は自室の近くから、段階を踏んで覚えていくとしよう。
「こちらが最後となります」
最後に回ったのは、三ノ丸の奥。
女の細腕一本では開きそうにない、重厚な扉で閉ざされた部屋だった。
謁見の間ほどではないにせよ、広大な空間が続いているだろうことは、想像に難くない。
「───腰が引けているぞ!もっと勇を鼓していかんか!」
「はい!」
「お前は腕が下がってきてるな。鍛練の足りない証拠だ!」
「はい!すみません!」
男達の怒号に加え、謎の衝撃音が木霊する。
頑丈さと柔軟さを併せ持つ何かが、ぶつかり合うような。
とりあえず、みんなで茶の湯をしているわけでないのは確かだ。
「た、玉月さん。ここって、もしかして───」
扉越しにも伝わる熱気に、わたしは圧倒されつつ高揚した気持ちになった。
「お察しの通りです。
"修練場"、またの名を"手合い場"。雪竹城を守護する隊士は、日々ここで鍛練を重ねているのです」
衝撃音の正体とは、竹刀で打ち合う音だったようだ。
恐らくは、先日に見掛けた黒装束の男達が戦っているのだろう。
"兵士"ではなく"隊士"と呼ぶ辺り、あくまで上様の使役する駒、という意味合いが強そうだ。
「ということは、玉月さんも、いつもはここで?」
玉月さんの帯刀をこっそりと窺う。
玉月さんは一瞬息を呑んでから頷いた。
「以前は、ですね。
今となっては然程、足しげくは通っておりません」
なにやら含みのある返答。
触れるべきでない話題だったか。
「そろそろ参りましょう。軟派な輩に絡まれても面倒だ」
「え、あ……。そう、ですね」
修練場の中が静かになり、玉月さんの態度が忙しくなる。
わたしの自室へ戻りたいというより、この場を離れたい様子だ。
「じゃあ、お部屋まで戻るとしますか」
「はい」
一足先に踵を返した玉月さんを、追い掛けていった時だった。
「───玉月!」
何者かが、玉月さんを呼び止める声がした。
とっさに後ろを振り返ると、若い男がこちらへ歩み寄ってきた。
修練場の扉が半分開いているので、今しがた出てきたと思われる。
「こんなところで一体なにをしてるんだ?優雅にお散歩か?」
すらりとした長躯、浪人然とした総髪、本心を汲み取らせない蛇顔。
件の黒装束を纏った姿は、まるで意思持つ影法師。
貫禄の割に肌はきめ細かいので、わたし達と変わらない年頃かもしれない。
「関係ないだろう。
手前こそ、こんなところで油を売っていないで、さっさと鍛練に戻ったらどうだ」
「ハ、相変わらず虫の好かない女だ。
少しくらい殊勝な口を利いても
切れ長な目を更に細めて、ぶっきらぼうに喋る男。
対して、負けじの眼力で男を睨み返す玉月さん。
互いに引かず譲らず、一触即発の雰囲気。
こんなに敵意を剥き出しにした玉月さんは初めてで、こうも玉月さんの怒りを買う人も初めてだ。
「で、こちらのお嬢さんが噂の新妻?」
男の視線が、玉月さんからわたしに移る。
男はそのまま、わたしの全身を隈なく眺めた。
「フーン」
最後に自分の顎を一撫でした男は、なるほどとでも言いたげに鼻を鳴らした。
「(なんだろう、このひと)」
怖い。嫌な感じがする。
品定めか値踏みでもされているみたいだ。
「おい」
小さく舌打ちをした玉月さんが、わたしを庇うようにして一歩前に出る。
「この方を
「あー、ハイハイ。わかってるさそんくらい。
ちょいと興味があっただけだ」
玉月さんから距離をとった男は、胡散臭い笑みを浮かべてわたしに一礼した。
「では、以後お見知りおきを。
「どうして、わたしの名前を……」
男は何故か、わたしの名前を知っていた。
わたしは食い下がろうとしたが、間髪を入れずに玉月さんが割り込んだ。
「行きましょう、姫様」
わたしの肩を抱いた玉月さんが、問答無用で廊下を突き進んでいく。
わたしと男を引き離したくて堪らないのか、優しい手付きとは裏腹に強引だ。
「(いない)」
玉月さんに連行されながら、来た道を首だけで振り返ってみる。
そこにはもう、男の姿はなかった。
「───申し訳ありません、姫様。不愉快な思いをさせてしまいました」
歩調が緩やかになるにつれ、玉月さんも落ち着きを取り戻したようだった。
先程までの剣幕はどこへやら、わたしに謝る横顔は借りてきた猫を連想させる。
「玉月さんが謝ることじゃないですよ。わたしは平気ですから」
「すみません……」
抱かれていた肩が解放される。
ちょっと名残惜しいとは、言わないし言えない。
「松吉のことは、どうかお気になさらないでください。
ああして、人をからかうのが好きな奴なのです」
玉月さんの口振りから、それなりの知己であることが分かる。
もっとも、親しくはなさそうだけれど。
「あの、玉月さん」
「はい」
「ひとつ、聞いてもいいですか」
「なんでしょう」
松吉さんとやらの顔を、今一度思い起こしてみる。
怖くて嫌な感じで、でも玉月さんに対しては、悪意があるようでなかった。
あの態度は、まるで。
「さっきの───、ショウキチさん、でしたか。
玉月さんを女だと言っていましたけど……」
「ああ……。
ヤツは概ね、私の素性を把握していますよ。昔馴染みでもありますので」
「昔馴染み、なら、みんな知っていることなんですか?」
「いいえ。極少数の、限られた者だけです。
今のところは上様と、松吉を始めとした、上様の側近くらいのものですか」
「そうなんですか。
ところであの、お二人が少し、その……。
不仲、のように見えたのは、なにか理由があるのですか?」
ただの知己ではなく、昔馴染み。
わたしは納得しつつ、重ねて玉月さんに質問した。
途端に玉月さんは言い淀み、修練場の前で見せたような、困惑した表情に変わった。
「あっ、ごめんなさい!わたしったらまた不作法な……。
気になることがあるとつい、人に聞いてしまうんです……」
「いいのですよ。
姫様がお望みとあらば、私の知り
因縁があるのだと、玉月さんは遠い目をして語った。
「昔、自分の女にならないかと言い寄られたことがありまして」
「そ、そうだったのですか。だからあんな……」
「ああ、誤解なさらないでください。こちらにその気はないと伝えてありますし、それに……。
先程も申しました通り、ヤツは人をおちょくるのを生き甲斐とするような男です。
そこに深い意味などあろうはずもない」
早口で捲し立てる玉月さん。
まだ松吉さんへの苛立ちが残っているのか、瞬きの回数も増えた。
言動には出すまいと、意地で感情を押し殺している感じだ。
「(本当におちょくっただけ、なのかしら)」
玉月さんには悪いけれど、彼女の新しい一面を知れたようで、わたしはちょっと嬉しかった。
『
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