;第二話 以後お見知りおきを
翌朝。
寝付きが悪かったせいか、起床しても体は気怠いままだった。
見慣れぬ天井や静かすぎる空気に、違和感を覚えてしまったせいもあるだろう。
長旅の疲れは遅れてやって来るものと聞いてはいたが、本当にその通りになるとは。
とはいえ、腑抜けてもいられない。
里で暮らしていた頃と違い、周りは知らない人ばかりなのだ。
せめて、起き抜けのみっともない姿だけは晒さないように。
重い足を引きずって布団を仕舞い、身支度を整える。
「───姫様、目が覚めておいでですか」
縁側で朝日に当たっていると、玉月さんが訪ねて来た。
もう少し彼女の到着が早かったら、着替えが間に合わないところだった。
「はい、起きてます。
玉月さんですね、どうぞ入ってください」
寝惚け眼を擦りつつ返事をする。
ゆっくりと障子戸を引いた玉月さんは、あさげの膳を持参していた。
「おはようございます、姫様」
「おはようございます、玉月さん」
「昨晩はお休みになれましたか?」
「そうですね、少しは───。眠ったような気もします」
わたしは無理に笑顔を作って答えた。
「左様ですか」
わたしの空元気を見抜いたか、玉月さんは僅かに眉を下げた。
「朝食をお持ちしたのですが、いかがなさいますか?」
「……ありがとうございます、いただきます。
しっかり食べて、はやく元気にならなくてはね」
実を言うと食欲はなかったが、せっかく用意してもらったので頂くことに。
「はい。元気の源は食事に有り、です。お口に合えば良いのですが……」
備え付けの座布団と、持参した膳とを配置した玉月さんは、座敷の隅へ移って正座をした。
わたしが食べ終わるまで待っていてくれるようだ。
座布団に座ったわたしは、膳の内容に改めて目を配った。
昨夜の歓迎会と大差ない、いかにも高級そうな料理の数々。
器の意匠や光沢さえも、
「ぜんぜん、違うのね」
「姫様?」
わたしの独り言に、玉月さんが反応する。
そういえば、彼女は人より感度が鋭いんだった。
「ああ、ごめんなさい。なんだか、里のことを思い出してしまって。
いいかげん、未練がましいと分かってはいるのですけど……」
「………。」
「里で食べるご飯は、どれも質素で薄味で、品数も少なくて……。とても充実したものとは言えなかったけれど……。
でも、おいしかったんです。家族みんなで食卓を囲む時間が、わたしは好きだったから」
「姫様……」
玉月さんの声に憐憫が孕む。
わたしは慌てて、漆塗りの箸に手を伸ばした。
「や、やだ、わたしったら!駄目ですね、いつまでもこんな調子じゃ。
ごめんなさい。さっきのはどうか気にしないで。いただきます」
里は里、自分は自分。
わたしはもう、城の人間なのだから。
今更こんなことを言っても、仕様がないのだから。
過去は振り返らず、感傷に浸らないように。
気を取り直して、大根のお漬物を齧る。
たぶん塩辛いはずだが、歯触りしか分からない。
「姫様。
食後のご予定は、既にお決まりでしょうか」
しばらくの間を置いて、玉月さんが切り出した。
特に考えの浮かばなかったわたしは、いいえと首を振った。
「でしたら私が、城の中をご案内させて頂きます。
間取り図をご覧になるより、覚えも早いでしょうし」
わたしの心を読んだかのような提案。
いずれ誰かに頼みたかった役を、玉月さんから持ち掛けてくれるとは有り難い。
「そうですね。では、お願いします」
「承知しました」
会話が途切れると、気まずい沈黙が流れた。
うっかり目が合っても困るので、玉月さんの方を見られない。
「(あんなこと、言うんじゃなかった)」
これでは、また余計な同情を引いてしまう。
自分の浅慮さを悔いながら、誤魔化すように汁物を啜る。
「姫様」
膳の半分ほどを食べ進めた頃だった。
再び玉月さんに呼ばれて顔を上げると、彼女は厳しい表情に変わっていた。
今度は説教をされるか。
なんであれ真摯に受け止めようと、わたしは箸を置いた。
「差し出がましいことを申しますが、姫様。
無理に忘れる必要はないと、存じます」
「え……」
てっきり苦言を呈されるかと思いきや。
玉月さんの口振りは、変わらず優しかった。
「ふるさとの思い出は、どうぞ姫様の胸の内に秘めていてください。
本心を偽って笑うより、時に過去を懐かしみ、涙を流すことも大切だと、私は心得ます。
……すみません。やはり、出過ぎた真似ですね」
自嘲するような吐息を漏らし、玉月さんは俯いた。
わたしは食事の作法など忘れ、玉月さんの自嘲を前のめりに否定した。
「そんな!そんなこと、ありません。嬉しいです。
自分では、そうは思えなかったから……」
「………。」
「ありがとうございます。
これからはたまに、たまーに、昔のことを思い出したりして、ゆっくり、慣れていきます」
「……はい。
私で良ければいつでも、姫様の思い出話をお聞かせください」
どこか冷ややかな雰囲気を持つ玉月さん。
しかし、彼女の紡ぐ言葉のひとつひとつには、繊細な労りや慰めが内包されている。
今のもきっと、社交辞令なんかじゃない。
そうでなければこんなにも、わたしの胸を打つはずがない。
「(涙を流すことも大切───)」
忘れなきゃと強いるより、忘れなくていいと許した方が、すとんと自分の中に落ちた気がする。
許してくれた人が玉月さんだから、なのだと思う。
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