;第一話 桜が、お好きなのですか 4
上様への目通り後、宴が催された。
正式な婚儀とは別に、わたしと上様との縁を祝す歓迎会とのことだった。
「───どうぞ、あたたかい内にお召し上がりください」
「ありがとうございます……。これは、なんの魚ですか……?」
「そちらは鱚の煮付けにございます」
「きす……」
豪勢な食事に舌鼓を打つ。
わたしには見たことも聞いたこともない料理ばかりで、感動より疑問が
とりわけ海の魚は、どうやって内陸まで持たせたのか、不思議でならなかった。
「───謹んで、お慶び申し上げます、ウキ姫様!
今宵はどうぞごゆるりと、心ゆくまで我らの荒唐無稽を笑ってください!」
「まずは
賑やかな芸者達による舞踊と演奏を愉しむ。
舞踊はお腹に力が入るほど可笑しく、演奏は肩の力が抜けるほど雅びやかだった。
出張見世物、とでも言えば良いか。
「───どうだ、ウキ。楽しいか?」
「はい、とても」
「そうか」
畏れ多かった上様との列席にも、段々と慣れた。
さすがに鱚の保存方法については尋ねられなかったが、歓談らしいことも少しは出来た。
上様の穏やかな横顔が、わたしの生きた心地と繋がっていた。
「───お茶のおかわりは?」
「ありがとうございます、いただきます」
身に余る持て成し。
生まれて初めての経験。
興奮冷めやらぬまま後ろを振り返ると、玉月さんがいる。
自分はお呼びじゃないからと、生真面目な正座で忍んでいる。
彼女とも、並んで食事が出来たなら。
今回は残念だが、いつかの楽しみにしておこう。
「───残りは燗にしてくれ」
「承知しました。そちら様は?」
「わたしはもう結構です。ご馳走さまでした」
「畏まりました。では、お下げ致しますね」
亥の刻に差し掛かり、宴もたけなわとなった頃。
上様と側近の方々とで、晩酌の延長に入られた。
他の参列者たちは、後片付けに就寝の準備にと席を立ち始めている。
ここからは、大人だけで愉しむ時間。
上様とわたしではなく、上様お一人のための宴に切り替わるというわけだ。
「(男の人って、ほんとうにお酒が好きね。
そんなことないのは、父さんくらいだったかしら)」
かくいうわたしも、箸を置かせてもらった。
上様への挨拶もそこそこに、我慢していた厠へ立つ。
「姫様。よろしいですか」
すると玉月さんが話し掛けてきた。
わたしに接触する機を、ずっと窺っていたようだ。
「どうしました?」
「お連れしたい場所があるのですが、お付き合い頂けますか?」
玉月さんからのお願いを断る理由は、わたしにはない。
ただし、すぐには応えられない理由が、
「もちろん、いいですけど……。その前に、ちょっと……」
「なんでしょう?」
「個人的に、といいますか、寄りたいところがありまして……」
恥を忍んで打ち明ける。
皆まで言わずとも察したらしい玉月さんは、周りに悟られぬよう計らってくれた。
「宴の熱に当てられたのですね。
さぁ、こちらへ。お休みになる前に、夜風で涼んでいきましょう」
まずは厠へ寄らせてもらって、"お連れしたい場所"こと例の座敷へ。
「───あの、玉月さん。
今更ですけど、わたし達、勝手に抜け出して良かったんでしょうか……」
そういえば、誰にも断らずに大広間を出てきてしまった。
道すがらになって気付いたわたしは、機嫌を損ねた上様の姿を思い浮かべた。
「いいのですよ。
宴の終わりに、姫様を例の部屋へお連れするよう、上様より仰せつかっておりますので」
玉月さんによれば、問題なしとのこと。
上様じきじきのご用命ならば、安心して玉月さんだけに従える。
それはそれとして、何のためかが分からない。
あくまで来客を通すための部屋ならば、わたしはもう関係ないはずなのに。
首を傾げつつも、玉月さんに付いていく。
「どうぞ」
目的の座敷に到着する。
玉月さんから、先に中へ入るよう促される。
わたしは言及もせずに、自分の手で障子戸を開けた。
そこには、当初とは一味違った絶景が広がっていた。
「これは───」
全開にされた引き戸の奥、縁側を跨いだ更に奥。
月明かりに照らされた桜木が、ゆらゆらと影を落としている。
真昼以上の存在感を放ち、風がなくとも強く香る。
「夜桜です。
昼の桜も
背後からの声に、わたしは呆然と返した。
「本当に、綺麗、です。
桜って、昼と夜とで、姿を変えるのね」
吸い寄せられるように、夜桜へ近付いていく。
「今宵からは、姫様のものですよ」
「えっ?」
わたしに続いて、玉月さんも中に入ってきた。
振り向いた先の玉月さんは、微笑んでいた。
「ここが貴方のもの、貴女の居場所となるのです」
笑顔の玉月さんとは対照的に、わたしは酷く間抜けな顔を晒しているに違いない。
「い、ばしょって……。
ひょっとして、ここが、わたしの自室になると?」
「たった今から。
自由に使って
「ほ、ほんとに?こんな立派なお部屋に、わたしなんかが住んでしまっていいのですか?」
「はい」
今日からここが、わたしの帰るところ。
俄に信じがたい話だが、玉月さんは傷付ける嘘をつく人ではない。
「居場所……」
きゅうと、胸を締め付けられる感じがする。
妙に切なくて苦しくて、涙が出そうで出なくて。
知っていそうで覚えのない、この感情は一体なんだろう。
「わたし、の……」
立っているのも儘ならず、引き戸に凭れ掛かる。
「怖いですか?」
先程より近くなった背後から、先程より低くなった声がする。
「正直を言うと、まだ、少し怖いです。
これからどうなるのか、一人でもやっていけるのか……。
当たり前になってくれる日は、いつになるか……」
気配が横を通り過ぎる。
視界の端に、玉月さんの足が映り込む。
「いいえ姫様、一人ではありません」
今度は斜向かいから声がした。
視線を上げると、玉月さんはこちらを向いていた。
暗闇に紛れた彼女が、わたしには何故か光って見えた。
「これからは、私がいます。いつ如何なる時も、貴女のお側におります」
首が、頬が、目頭が、じわっと熱くなる。
「住めば都、というように、いずれこの景色が、貴女にとって安息の印とならんことを……。
私は、願っております」
昼と夜とで姿を変えるは、桜のみならず。
『
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