;第一話 桜が、お好きなのですか 2
「申し遅れました」
青年は男を一瞥してから縁側に近付くと、わたしの目の前で音もなく立て膝をついた。
「本日より、御身の護衛役兼、お世話係を務めさせていただきます。玉月才蔵と申します。
先程は不用意にお声掛けしてしまい、申し訳ありませんでした」
深々と
耳慣れない畏まった喋り方に、わたしは呆気にとられてしまった。
「あ、いえ、そんな。
わたしは気にしていませんし、あなたは何も悪いことをしてないわ。
どうぞ顔を上げてください」
わたしの返事から数秒の間を置き、玉月さんはやっと顔を上げてくれた。
こうして間近で見てみると、面立ちの端正さが一入わかる。
こんなに恵まれた容姿を持つ人は、他に会ったことがない。
ただ、第一印象より僅かに幼さを感じる。
肌質も声質も、男性として熟していないような。
実年齢は、わたしと同じくらいだろうか。
「玉月は元々、雇われ用心棒の身でしてね。こやつ相手に畏まってやる必要はございません。
なんなりと、こき使ってやってください」
「でも……」
「ご心配なさらずとも。
……ここだけの話、こう見えて玉月は女人ですから」
「えっ!」
ここだけの話、と上体を屈めた男に耳打ちされる。
わたしはつい素っ頓狂な悲鳴を上げてしまい、はっと口を手で塞いだ。
「異性にはなかなか忍びないことも、女同士なら気安く済むでしょう。ね?」
女人。女同士。
男性にしては未成熟と思ったら、そもそも女性であったとは。
わたしは大変な誤解をしていたようだ。
しかし彼、改め彼女の名は"才蔵"と男のもの。
着衣も男性用であるし、ひょっとして玉月さんには、性別を偽らねばならない事情があるのかもしれない。
「そう、ですね。
男の方よりは、気が楽、かもしれません」
本当は付き人なんて欲しくないけれど、この場合は世話係というより、目付け役の意味合いが強い。
どうしても誰かは宛がわれるならば、怖面のおじさんでなかっただけ、幸いと飲み込むしかない。
「(それにしても───)」
性別の方は、やっぱり釈然としない。
わたしにとって玉月さんは同性でも、男にとっては異性なのだ。
にも拘わらず、男は玉月さんに悪態を吐いたり、乱暴を働いたり。
双方の力関係がどうあれ、流石にあんまりな仕打ちではないのか。
男の笑みが深くなるほど、わたしの男に対する不信感は募っていった。
「───午後の連絡会議を始める!筆頭衆は直ちに
遠方から召集をかける声。
城の関係者が、城のあちこちを回って、呼び掛けているようだ。
「おっといけねえ、点呼の時間だ」
反応した男が衿を正す。
いわく"筆頭衆"とやらに、男も属しているらしい。
片や玉月さんは、立ち上がっただけで動き出そうとはしなかった。
さっさと失せろとでも言いたげに、冷めた眼差しで男を見据えている。
「すいませんがウキさん。
自分は別件がありますので、これにて失礼させていただきます」
「わかりました。
対応してくださって、ありがとうございました」
わたしも立ち上がって、男に礼をする。
「滅相もございません!
段取りがつきましたら、案内の者を寄越しますので。
その時までどうぞ、ごゆっくりなさってください」
男は恐れ入った風に首を振り、わたしを再び座らせた。
「では、何かあれば玉月めに」
最後にそう言い残して、男は去っていった。
男からは名前を教わらなかったが、たぶん必要がないのだろう。
わたしと関わる立場にあるのは、差し当たっては玉月さんのみと思われる。
「───姫様」
男の姿が完全になくなると、玉月さんが改まって話し掛けてきた。
「ひ、姫様?とは……。まさかわたしのこと、でしょうか?」
「はい。
上様のご寵愛を賜る方は漏れなく、姫とお呼びするよう義務付けられておりますので」
「そう、なんですか……」
姫様。
普通に名前で呼んでくれと頼んでも、分を越えるだ何だと聞き入れてもらえないに違いない。
本来の自分と虚飾の自分とが隔たっていくようで、心が追い付きそうにない。
「もうじきに、上様のお仕度も済むでしょう。
なにか質問などございましたら、ご遠慮なく」
わたしの目線に合わせて、玉月さんが屈んでくれる。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳。
真っすぐで濁りがなくて、吸い込まれてしまいそうになる。
「いいえ、なにもありません。
お気遣い、ありがとうございます」
「……左様ですか」
そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、わたしは罪悪感に似た感情を覚えた。
「(今日から始まるというのに)」
側室として、どう振る舞うのが正しいのか。
まだ見ぬ上様とは、如何様な人物であるのか。
本音を言えば、聞きたいことはたくさんあった。
でも、聞けなかった。
「(大丈夫かしら、こんな調子で)」
玉月さんは実直な人だ。
わたしの本意に沿うようにと、常に慮ってくれている。
わたしが嫌がれば無理強いせず、わたしが求めれば最大限で応じてくれるだろう。
なのに距離が縮まる気さえしないのは、彼女の本意でないことが伝わるからだ。
わたしの求めに応じてはくれても、彼女の方はわたしを求めていないと分かるからだ。
抑揚のない声も、血の通わない表情も、どこか鬼気迫る雰囲気も。
全身を使って他者との、わたしとの交流を拒んでいるかのよう。
あくまで主従の関係性を、絶対に超えさせてはくれない。
「(会ったことがないのは、人柄にしても同じね)」
わたしは、あまり歓迎されていないのではないか。
わたしを、玉月さんは快く思っていないのではないか。
邪推で胸が軋んでいく。
初日から弱気でいては、後が辛いだろうに。
「ん……?」
ふと、玉月さんの影が半分に縮んだ。
花木の側でしゃがみ込み、右へ左へ行ったり来たり。
「どうなさったのかしら」
続きを観察していると、玉月さんが戻ってきた。
何故だか、右手に拳を握って。
「姫様。ひとつよろしいですか」
「なん、なんでしょうか」
「その、手を……。両の手を、差し出してもらえますか」
"両の手を差し出せ"。
急なお願いに戸惑いつつも、わたしは言われた通りに従った。
拳を解いた玉月さんは、わたしの手中に数枚の花びらを落としていった。
これは、あの花木の。
「桜、というのですよ」
「え?」
「不思議そうに眺めてらしたので、存じておられないのかと」
ぎこちなくなった喋り方、合わなくなった目線。
先程までとは様子の違う玉月さんに、わたしは自然と口角が上がった。
「さくら……」
不安と緊張とで凝り固まったわたしを、彼女なりに和ませようとしてくれたのだろう。
不器用ながらも人情味のある労りに、じんと温かい気持ちにさせられる。
「そんな名前、なんですね。
はじめて見たけれど、とても綺麗な花」
「はい。───私も、そう思います」
俯きがちに、ふっと破顔する玉月さん。
わたしは、彼女に対する認識を改めた。
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