;序章 わたし、二人の娘に生まれて良かったわ 2
暖簾をくぐって、店内に入る。
奥座敷へ続く、襖の前に立つ。
ここより先は、わたし達一家の住まい。
関係者以外を通すことは、基本的にない。
「しっかりね」
母さんが小声で鼓舞してくれる。
わたしは母さんに会釈で返し、呼吸を整えてから襖を開けた。
中にいたのは、険しい顔つきをした父さん。
加えて、計四名の使者と思しき男らだった。
使者のうち二名は、壁際に並んで立っている。
残る二名は、畳に正座をして父さんと向かい合っている。
「来たか」
父さんを含めた五名が、一斉にこちらを振り返る。
異様な空気感に、わたしは肩を竦めてしまった。
「さあ、隣に」
「はい」
父さんに促され、小上がりをのぼる。
母さんと別れ、襖を閉める。
「失礼します」
父さんの隣に腰を下ろす。
乱れた裾を指先で直す。
「お初にお目にかかります」
頭数が揃ったところで、使者ら全員がわたしにお辞儀をした。
「
断りなく訪ねた私共の非礼を、まずはお詫びいたします」
正面にいる一人が代表して、恭しい口上を述べる。
島田と名乗った彼こそが、使者らを牽引する筆頭のようだ。
確かに島田さんだけ、同じ旅装束でも身なりがいい。
「こ、こちらこそ。ようこそいらっしゃいました」
わたしも遅れて挨拶する。
父さんの面子を潰さないためにも、普段の接客以上に粗相があってはならない。
受け答えには、よくよく注意しなければ。
「今しがたお戻りになったそうですが、例の土いじりを?」
「え?ええ。毎日の日課ですので───」
「こう陽射しが強いと、屈んでの作業も一苦労でしょう」
「そう、ですね。でも、動ける人間が率先してやらないと───」
「私共は先ほど、ご主人の仕立てられた藍染めを拝見しました。
いや、実に見事だった。城下で取り引きなされないのが残念です」
「ありがとうございます……?」
世間話のつもりか、島田さんはなかなか腹積もりを明かさなかった。
そこへ父さんが咳払いで割り込み、前置きは不要とばかりに島田さんを睨んだ。
「ええ、はい。長居をしては、ご迷惑になりますね。
さっそくですが、本題に入らせて頂きます」
急かされて渋々ではなく、手間が省けて良さそうに、島田さんは切り出した。
「
「は、はい」
「本日は貴女様に、縁談を持って参った所存なのです」
縁談。
意味はもちろん知っているが、わたしはまだ嫁入りには年若い。
適当な相手がいるわけでもない。
ましてや見ず知らずの、都から遣いを出すほどの殿方と、なんて。
寝耳に水とは、このことだ。
「え、縁談ですか?わたしに?」
「はい」
「えっと……。お相手はどなたか伺っても?」
「私共の主君です。都を治めておられます」
「へ……。都、の、お城の、お殿様───、ということですか?」
「左様です」
開いた口が塞がらない。
お城のお殿様、つまりは城主様が、わたしを娶る?
会ったことも話したこともない、こんな田舎の貧乏娘を?
「混乱されるのも無理はありません。ですが事実です。
私共の主君、上様その人が、貴女様を我が城へ招き入れたいと───」
「ちょちょ、ちょっと、ちょっと待って、ください。ごめんなさい。
あの、そもそもとして、なぜ、わたしなのですか?わたしはとても、そんな、大変な方に相応しいとは言えませんし、第一わたしは……。
───どうして、なのですか」
てんてこ舞いに陥るわたしとは対照的に、島田さんは貼り付けたような笑顔で答えた。
「上様のおわします
その者達がある時、ある逸話で口を揃えたことがございました。辺境の地を訪れた際に経験したという実話です。
これが上様の琴線に触れたようでして、真偽を確かめぬ内は夜も眠れぬと、我々が遣わされたというわけなのです」
「逸話……、というのは?」
「覚えておられませんか?
過去に幾人か、この里に立ち寄った流れ者がいたはず。
彼らを一様に遇したのは、他ならぬ貴女様だったのでしょう?」
行きずりの商人達を助けたという娘。
聞けば聞くほど、わたしの身に覚えのある話ばかりだった。
一人は、腹を空かせた男に夕餉を賄ってやった。
二人は、目を患った女の失せ物を一緒に探してやった。
三人は、道中に負ったらしい翁の怪我を手当てしてやった。
いずれも、故あっての行動ではない。
困っている人がいたら、迷わず手を差し延べてあげること。
母さんの教えに従ったまでだ。
しかし驚いた。
奇遇の連続から、ここまでの大事に発展してしまうとは。
「おまけにそれが、器量良しの若い娘ときた。
是非とも我が側室にと、上様は申されているのです」
「───ッ冗談じゃないぞ!!」
空気を揺らす怒号。
聞き役に徹していたはずの父さんが、突如として沈黙を破った。
「縁談と言うから何事かと聞いてみれば、側室だと?
そんな、名前も顔も知らんような輩に、かわいい我が子を差し出せると思うのか!!」
「お父さん、落ち着いて……!」
今にも島田さんに飛び掛かっていきそうな父さんに、わたしは慌てて制止をかけた。
対して島田さんは、顔色ひとつ変えずに続けた。
「貴殿の言い分は尤もです。
我々とて、対価もなしにお嬢様を連れ立つつもりは、毛頭ございません」
「対価だァ?」
「……聞けば、この辺りは例年、酷い干ばつに見舞われているとか」
島田さんの提示した交換条件。
定期的な物資と金銭の援助、更には、必要な知識と人材の差遣。
里を安寧へ導くための近道を拓いてやると、そういうことだった。
「上様とお嬢様とのご縁が続く限り、結ばれた約定もまた継続となります。
自給自足が叶えば、蓄えを削る生活も終わりを見るかと」
彼らは知っていたのだ。
気まぐれな空に弄ばれた、相次いでの不作。
育ち盛りの幼子にさえ満足に食わせてやれない、この地の貧しい現状を。
日に日に拡がっていく過疎化と食糧難。
蓄えで凌ぐ生活も直に限界を迎えるだろうと、誰もが同じ悩みに頭を抱えていた。
いつかきっと報われるなんて、所詮は強がりだった。
彼らの条件を呑めば、杞憂にできる。
わたしが首を縦に振りさえすれば、里は救われるのだ。
「どうです?悪い話ではないでしょう?」
相反する思いが胸を叩く。
みんなを守りたいという意志と、別れたくないという意地。
故郷の未来と、一個人の将来とが、天秤にかけられている。
「おとうさん、わたし───」
自問自答を一時中断。
黙り込んだままの父さんを、横目にちらと覗き見る。
その形相に、わたしは言葉を失った。
「(お、とう、さん)」
深く寄った眉、固く強張った唇。
膝の上できつく結ばれた、両の拳。
いつも朗らかで、優しい笑みを絶やすことのなかった父さん。
そんな人のこんな顔を、わたしは生まれて初めて見た。
悩んでいるのね。
わたしのために、苦しんでいるのね。
すぐ隣にいる、わたしの視線にすら気付かないほど、葛藤しているのね。
「(かあさん)」
そうよね。そう。
けど、もういいわ。もういいの。
わたし、心を決めたわ。
胸いっぱいに息を吸い、吐く。
これでいい、これがいいんだ。
きっとわたしは後悔しない。大丈夫、辛くない。
不思議なもので、一度そうと決めてしまえば、嘘のように吹っ切れてしまえた。
「わかりました」
伏せていた瞼を開け、島田さんを見据える。
親子の絆などどうとも感じていなさそうな彼に、今のわたしはどう映っているのだろうか。
「その縁談、お受けします」
自己犠牲なんて、笑わせないで。
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