;序章 わたし、二人の娘に生まれて良かったわ
「ウキちゃーん、こっち来てもらえるかーい」
「はーい!いま行きます!」
春。
地中の種が、長らくの眠りから覚める時。
ちいさな二葉に姿を変えて、萌えいづる季節。
わたし達は、自らの命を削って撒いた。
本来の春に湧く人々を、彼の地に夢見ながら。
「───じゃあ、いつもの通りに。
芽のある場所に印をつけて、終わったらお水ね」
「はい」
「私は向こうにいるから、何かあったら直ぐに呼んでね」
「はい。いつもの通りに」
わたしの故郷に、満開の春は来ない。
頬を掠める温い風も、渇きを煽る強い日照りも、果てなく続くひび割れた大地も。
いずれも、春とは似つかわしくない様相ばかりだ。
「ふう……。今日も陽射しが強いなぁ」
元よりここは、開墾に不向きな土地だった。
そのうえ幾度とない干ばつに襲われたとなれば、実ってくれる芽など指で数えるほどしかない。
いくら手をかけようと、頭をひねろうとも。
恵みの雨を降らせる方法ばかりは、神のみぞ知る。
それでも誰として投げ出さず、試行錯誤を続けてきた。
僅かな蓄えで飢えを凌ぎ、いつか自分達の努力が報われる日を信じて。
「───ウキちゃん、今日はもう終いでしょ。ついでにこれ、持ってっていいから」
自分の持ち場が片付いた頃。
"
「わあ、立派なおいも!本当にもらっていいの?」
「ええよええよ。いつもよう働いてもらってるもの」
「でも、大事な蓄えなんじゃ……」
「うちは年寄りが二人だけだから、十分間に合ってるの。
さ、もうお帰り。お父さんお母さんが待ってるよ」
「……ありがとう、巴おばあちゃん!」
ありがたく返礼を受け取ったわたしは、軽い足取りで帰路についた。
本日の畑仕事は、これにて終い。
だけど、わたしの仕事は、まだまだたくさん残っている。
両親の商いの手伝いをして、家族全員分の米を炊いて、明日使う用の水を川から汲んでおかなくちゃ。
「ウキちゃーん、もうお帰りかーい」
「お
「今度うちにも寄ってってね~」
「ありがとう!また今度!」
「明日もよろしくねー」
「はーい!さようなら!」
どんなに忙しくても構わない。
みんなが元気でいてくれれば、わたしは頑張れる。
「(これ見たら、父さん母さん、どんな顔をするかな。喜んでくれるといいな)」
健気に胸を弾ませるウキは、いついかなる時も思いやりの心を忘れない。
明るく前向きで、ちょっぴり浮世離れした少女である。
**
畑を抜けて暫く行くと、町屋続きに見えてくる。
ひときわ深い藍の地に、象徴的な茅の紋。
里で唯一の紺屋である、わたしの家の看板だ。
おかげさまで、今日は繁盛させてもらっているらしい。
問屋も煮売屋もそっちのけで、うちに人だかりが出来るなんて。
「───あっ!ウキちゃん!」
ふと、どこからか名前を呼ばれた。
人だかりに目を凝らしてみると、こっちこっちと手招きするご婦人がいた。
うちのお隣様であり、お得意様でもある、問屋一族の"くれの"さんだ。
「くれのさん……?」
いつもの悠然さはどこへやら、くれのさんは珍しく慌てた様子だった。
事情を聞くため、開けた場所で合流する。
「やけに賑わってるね。新作おろす日でもないのに……」
「それがウキちゃん、大変なのよ!
さっき、ここに使者の人達が見えてね?」
使者。
耳慣れない単語に、わたしは首を傾げた。
「使者?どこから?」
「都に決まってるじゃない!
最初は通りすがりかと思ったけど、お偉い様に遣わされて来たんですって」
「都から……。
どうしてこんな、辺鄙なところに……」
今日に限って、人だかりの目的はうちの商品じゃないらしい。
さしずめ、物珍しさに集まっただけなのだろう。
単なる人だかりというよりは、野次馬の集団。
浮き足立っているのも納得だ。
「よく分からないけど、わたしも行ってみるよ。
うちの問題は、わたしの問題でもあるから」
「あ、そ、そうよね。ご両親によろしくね」
「うん」
「気を付けてね」
「ありがとう。
くれのさんも、転ばないよう気を付けて」
くれのさんの話が本当なら、両親が対応に追われているに違いない。
わたしも早く駆け付けて、もっと詳しい事情を確かめなければ。
「あれっ、ウキちゃん?」
「帰ったの?」
「ごめんなさい、通して。今話してる時間はないの」
くれのさんと別れたわたしは、ごった返す野次馬を掻き分けていった。
すると同じほどに、母さんがうちの玄関から出てきた。
「噂をすれば」
「
野次馬の皆で声をかけ合い、わたしと母さんの間に通り道を作ってくれた。
わたしの存在に気付いた母さんは、ほっと胸を撫でおろす仕草をした。
「ウキ……!
よかった、探しに行こうと思ってたの」
額に滲んだ脂汗、唇を震わす息遣い。
こちらへ駆け寄る母さんは、見るからに疲弊していた。
もしかして、件の使者と一悶着あったのだろうか。
わたしの想像した以上に、事態は深刻であるのかもしれない。
「大丈夫?!母さん……!」
抱きとめた母さんを真っすぐ立たせてやる。
触れた肌は、服越しにも熱かった。
「だいじょう、ぶ……。私は、大丈夫よ」
「とにかく、一旦落ち着こう。息して、ゆっくり」
「ありがとう、ごめんね」
母さんを連れて、うちから距離をとる。
さすがに不躾と感じたのか、わたし達に直接絡んでくる人はいなかった。
「それで、何があったの?使者が来たってほんとなの?」
「ええ。
今、奥でお父さんと話してる」
「なんで……。なんのためにここへ────」
「ウキ」
先程まで優しかった母さんの声が、淡々と諌める音に変わる。
「よく聞いて、ウキ」
母さんがわたしの肩に手を乗せる。
わたしは母さんの二の句を待ちながら、緊張に生唾を呑んだ。
「これから起こることは、とても驚くべきことだけど、動揺してはだめよ。
冷静に、自分の思ったように、ありのままを伝えればいいんだからね」
「な、に……?どういうこと?言ってる意味が分からないよ、母さん」
母さんの意図が分からず、わたしは動揺を隠せなかった。
母さんは尚も淡々と、しかし穏やかに、そして力強く言った。
「ウキ。
使者の方々は、あなたに会いに、ここまでいらしたのよ」
春。
それは目覚めと芽吹きの季節であり、予期せぬ何かが訪れることも少なくない。
訪れた何かが吉と出るか凶と出るかは、最後まで誰も知り得ない。
「───やってるやってる!」
「急げ!お帰りになっちまう!」
新たに現れた野次馬の先頭が、通りすがりにウキと接触する。
身構える余裕のなかったウキは、抱えていた風呂敷を落としてしまった。
「おっとごめんよ!」
投げられた謝罪は風と共に消え、風呂敷の中身は野次馬の足元へ。
両親を喜ばせようと持ち帰った、歪ながら上等なさつまいも。
足蹴にされて転がって、見るも無惨な形に壊されていく。
「あ─────」
ウキの胸に、覚えのない感情がひとつ、芽生えた。
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