2.共に暮らす姉妹たち

 あの時と逆だ。ぼくはそんな事を思いながら、紋白蝶と共に立っていた。場所は紋白蝶の部屋のすぐ隣。蜉蝣の部屋の前だ。少し背伸びをしてドアベルを押す紋白蝶を見守っていると、程なくして扉がそっと開かれた。中から蜉蝣が顔を覗かせてくると、紋白蝶は、扉をがっと開いて大声をあげた。

「蜉蝣!」

「わっ、声が大きいよ」

 驚く彼女に抱き着きながら、紋白蝶は照れ笑いを浮かべた。

「ごめん。嬉しくって。ねえ、何をやっていたの? 見てもいい?」

「だ、駄目だよ……その……完成してないから」

「完成したらいいの?」

「駄目……!」

「えー、駄目なのー?」

「か、完成したら、ネットで公開するから……その時、端末から見てくれたらいい……それでから」

「分かった!」

 元気よく紋白蝶が答えると、蜉蝣もまた困ったような笑みを浮かべ、そして言った。

「じゃ、じゃあ、わたしはこれで……」

 そうして、また部屋の中へと引っ込んでしまった。扉が閉まると、紋白蝶は言った。

「蜉蝣ね、昔からゲームを作っているんだよ」

「そうなんだ……初めて知った」

「ボクも今、蜉蝣の顔を見て思い出せたの。じゃ、次に行こうか」

 次に向かった談話室には誰もいなかった。けれど、それならばそれで、誰かがいるだろう場所は思い当たる。ぼくはすぐに談話室から近い温室へと紋白蝶を連れて行った。その中には、やはり花虻と蜜蜂がいる。

「やあ、二人共。ちょっといいかい?」

 中へと声をかけると、花虻と蜜蜂が同時に此方を向いた。そして、ぼくの引き連れた紋白蝶に気づき、二人共それぞれ向日葵のような明るい笑みを浮かべて片手をあげた。

「あらまあ、とうとう目を覚ましたのね」

 優しい口調で花虻が良い、蜜蜂もまた手招きする。

「やっほー、紋白蝶。あたしのこと憶えている?」

 ぼくもまた振り返り、紋白蝶に二人の事を紹介しようとした。

「あの二人は──」

 だが、ぼくが振り返った時には、紋白蝶はすでに駆け出していた。温室に飛び込むと、懐っこい子犬がじゃれつくように花虻と蜜蜂の手を握りしめる。

「わーん、勿論、憶えているよ! 蜜蜂こそ、ボクの事、忘れてなーい?」

 ぼくを置いて盛り上がるその様子に、居たたまれなさを感じてしまった。それから、紋白蝶は矢継ぎ早に二人に質問を繰り返したかと思うと、急に話をやめて戻ってきた。どうやら彼女なりのタイミングというものがあるらしい。

「ね、空蝉。次のとこ行こう。日が暮れちゃうよ」

「あのさ、ぼくの案内って、必要?」

 手を握ってくる紋白蝶に思わず訊ねてしまったが、返ってきたのは無垢な眼差しだった。

「必要だけど、どうして?」

 気を取り直して、ぼくもまた温室の番人姉妹たちに別れを告げると、紋白蝶を連れて図書室へと向かった。そこでは瑠璃星と七星がいた。二人揃って何やら調べものをしているらしい。難しい話をしているようで、話しかけづらい空気を醸し出していたが、どうやらそのバリアは紋白蝶には無効のようだった。

「二人共! 久しぶり!」

 図書室では静かに、という張り紙が何処かにあった気がしたのだが、まあいいだろう。瑠璃星も七星も気に留めていないようだから、問題ない。二人共、少々驚いて顔をあげたが、相手が紋白蝶であることに気づくと、すぐに笑みを浮かべた。

「ああ、目を覚ましたんだったね。おはよう、紋白蝶君」

「おはようございます、紋白蝶さん。元気そうで何よりです」

 にこにこしながら話しかける二人のもとへ紋白蝶は駆けていった。

「あのね、ボク、皆に会うのが久しぶりでちょっと怖かったから、空蝉についてきて貰っているの」

 元気よく喋りかける彼女を中心に、またしても会話が盛り上がる。ぼくって本当に必要なのだろうか。そう思わずにはいられなかったのだが、しばらく話が弾むと、紋白蝶はすぐに戻ってきて、ぼくの手を握った。

「次はどこ行く?」

 どうやら、まだ案内は必要らしい。

 次に向かったのは、図書室から比較的近い位置にある講堂だった。講堂ではいつものように蟋蟀、日暮、そして稲子が無観客のステージに立っている。いつかこの施設を出た時のために繰り返される練習。完成度の高いその演目を、途中から紋白蝶と共にこっそり見物していると、演奏が終わるなり稲子がステージから飛び降りてきた。

「お目覚めするなり、さっそく見てくれてありがと。どうだった?」

 稲子の問いに、紋白蝶は楽しそうに答えた。

「すごく良かった! ボクも稲子みたいに踊りたいなぁ」

「踊ればいいじゃない。ステージに立ってみる?」

 日暮に誘われ、紋白蝶は目を輝かせた。

「いいの?」

「勿論。まあ、時間があればだけど」

 蟋蟀の言葉に紋白蝶は壁の時計をちらりと見つめてから、答えた。

「うーん、そうだなあ。後で時間があったらまた来る!」

「そう。それじゃあ、三人で待っているからね」

 稲子にそう言われて、紋白蝶は嬉しそうに頷き、立ち上がった。

「さ、空蝉。そうと決まったら、残りの姉妹の所にダッシュで行かなきゃ」

「う、うん」

 何故かぼくの方が引っ張られる形で講堂を出た後は、美術室へと向かう。そこには衣装を全て脱がされている揚羽と、その美しい裸体の前で石像のように動かなくなっている金蚊がいた。ちらりと見たところ、キャンバス上の揚羽の下絵は、ほぼ完成している。その前で、金蚊は何やら悩んでいるらしい。長時間、そのままなのだろう。絵の中の揚羽と比べ、目の前にいる揚羽はすっかり呆れ果てていた。

「全く。生身の体だったら風邪を引いているわよ」

「大変そうだね。ねえ、金蚊。何を悩んでいるの?」

 紋白蝶の問いかけも、彼女の耳には届いていないようだ。

「無駄よ。こうなったらピクリとも動かないんだから。はあ、どうしよう。さっさと服着て帰っちゃおうかな」

「駄目だ。まだ終わってない!」

 と、その時、石像と化していた金蚊が口を開き、ぼく達は皆、びくりと震えてしまった。

 その後、またすぐに石像と化してしまった金蚊と、困り果てた揚羽を置いて、ぼく達は美術室を去った。そして、次に向かったのは、何処でもない『蜘蛛の巣』の一角だった。南西に位置する階段の踊り場。その壁ぎわにひっそりと存在する小さな扉。しゃがんでやっと開けられるその奥は、日当たりのいい小部屋になっている。直射日光を問題にしないような物をしまうための場所だろうが、使い道がないのかいつも空いていた。そこへ猫のように隠れて日向ぼっこしている姉妹の事を、ぼくは知っていた。

 彼女のもとへ連れて行くと、紋白蝶は初めて驚いたような顔をした。

「わー、蛍! こんなところにいたんだ! ボク知らなかった!」

 さっそく騒ぎ出す紋白蝶を前に、蛍の視線がゆらりとぼくへ向いた。

「ここを教えてしまったのね」

「ご、ごめん」

 謝るぼくを軽く睨みつけてから、蛍は呟くように言った。

「いいわ、許してあげる」

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