3.溶け合う意識

 会議が終わり、解放されると、ぼくはそのまま蛍に呼ばれた。昨日の事は、ちゃんと憶えている。ぼくの言う事が本当に起きてしまったら、彼女の部屋に行く事になっていたのだ。何が目的かは分からない。緊張しながら部屋へと招き入れられると、蛍は扉に鍵をかけた。二人きりになると、緊張がさらに増した。記憶が戻ってきてはいるけれど、意識や感覚はなかなか前の通りには戻らない。かつてはこうやって何度も二人きりになったはずなのに、まるで恋をしたばかりの頃のように蛍と見つめ合うのが怖かった。

 けれど、蛍は気にせずに、ぼくに近づいてきた。

「あなたの言った通りだった」

 共にベッドに座りながら、蛍と向かい合う。

「それに、色々と理解した。前のわたしは、憶えていたの?」

「憶えていたよ。それで、ぼくに助言してくれたりもした。前々回は、ぼくが途中で壊されたんだって。だから、君はぼくを助けようとしてくれたんだ。でも、ぼくは助かったけれど、代わりに君が壊されてしまって……それで」

 罪を着せられ、ぼくは吊られてしまった。あの時の無念を思い返すと眩暈がする。

言葉に詰まるぼくの手を握ると、蛍は小声で言った。

「だいたい分かった。でも、言葉で説明してもらうよりも、もっと伝わる方法があるの」

「方法? それって?」

「実際にやってみれば分かる。だけど、やる前に一つ確認しておかないといけないの。この方法はね、加減を間違うと非常に危険でもある。紋白蝶が壊されていた姿を憶えている?」

「う……うん」

 衣服は引き裂かれ、肌が捲れ、臓器のような内臓物が飛び出して。その光景が頭を過り、少しだけ具合が悪くなってしまう。そんなぼくに寄り添いつつ、蛍は言った。

「今からする手段はね、あれと同じ故障を引き起こすことがあるの」

「え……?」

 ぎょっとしてしまうぼくに、蛍は顔を近づけてきた。

「怖がらないで。わたしはあなたを壊したりしない。でも、あなたにも気を付けて貰いたいの。わたしが離れようとしたら、しがみ付いてこないで。情報の波にのまれそうになっても、どうにか意識だけは保つよう心がけて」

「……ま、待って、もう少し説明が欲しい」

 ぼくはそう言った。けれど、蛍は首を振った。

「時間が惜しい。だから、後はやりながら説明する」

 そう言って、彼女はぼくの体に跨ってきた。突然の事に驚いていると、繋いだ手に異変を感じた。皮膚が捲れている。カバーが開くように捲れ、中身が見えている。よく見れば蛍も一緒だ。そして中と中がくっつけられ、そのまま接続してしまった。蛍はさらに体をぴったりと寄せてきた。触れ合った場所が同じように捲れ、接続されていく。そうしているうちに、ぼくの意識が別の意識と混ざり合い、混沌へと引きずられていった。

「あなたの憶えていることを、教えて」

 蛍の声だけが聞こえてきた。

 直後、血が巡るように何かが流れていくのを感じた。繋いだ手から、密接した肌から、ぼくの体の中にある何かが、水のように蛍の体へと流れていく。そして、逆に蛍の体からも、何かが流れ込んでくるのを感じた。

 心地いい。燃えたぎるような快楽が生じ、ぼくの思考が止まる。欠けていたものがぴったりとくっつく快楽。互いの肢体のわずかな動きで生まれる刺激。その感覚に心身を委ねていると、ぼくの脳裏に景色が浮かんだ。

 ガラス越しに眠っている、ぼくの姿が見える。添えられた手は生身の人間のもの。だけど、眠っているぼくは、空蝉のぼくだった。伝わってくる感情は、悲しみ。涙の出ない目が潤んでいるような錯覚すら覚えた。これは、蛍の記憶だ。そう気づけたのは、ガラスに反射する彼女の顔を見たからだ。蛍であって蛍ではない。蛍になる前の彼女。ぼくが取り戻した記憶の一つにあった、生きていた頃の彼女だ。

『直接会うのは、やめておいた方がいい』

 隣に立つのは白衣を着た女性。顔ははっきりと見えないが、彼女の声には憶えがあった。

『誤作動があるかもしれない。実験段階では怪我人が出た事もある。人間らしさはあるが、まだまだ道のりは遠くてね』

『……でも、わたしの事、憶えているんですよね』

『記憶は全部移植したからね。君との関係も憶えているはずだよ。生きた人間に戻るまではもう少しかかるが、それを待ちながら、時折交流してくれたら、あの子も喜ぶだろう』

 これは。この記憶は。

 ぼくは、ふと我に返った。脳裏に浮かんでいた光景が一瞬で消え、今の景色が目に映る。蛍は生きた人間のように荒い呼吸を繰り返し、そのままぼくから体を離した。いつの間にか捲れていた皮膚は戻っていて、燃えたぎるような快楽もすっと引いてしまった。

「今のは……」

 ぼくの問いに、蛍は答えた。

「機械乙女同士の通信なの。これをすれば、お互いの記憶を共有することが出来る」

 蛍は続けた。

「今回は初日のことを確認したの。確かに日暮が選ばれて、でも、翌日も試験は終わらなかった。あの時に記憶がある人たちが言っていたことは確かだったようね」

「でも、そこまで覗けたんだ。便利な手段だね」

「便利でしょう。でも、さっきも言ったように故障の危険があるから、よっぽど信用できる相手としかやらない方がいい手段よ」

 その言葉に頷いて、ぼくは身を起こした。乱れた衣服を着なおしながら、ぼくは心にまだ燻っていた高揚を静かに抑えながら言った。

「なんだか、不思議な感覚だった。生きた体を持っていた時みたいな。それにこの快感……これってまるで……その……なんというか」

 そして、ぼくはふと思い出してしまった。

 事故に遭うより前、蛍とぼくは実に学生らしい交際をしていた。初めて口づけを交わしたのは、付き合って欲しいと告げてから半年後。その後も、口づけこそすれども、それ以上まで踏み込む事が出来ないまま時が過ぎていったのだ。そうこうしているうちに、色恋にかまける暇などない時期がやってきたけれど、受験の追い込みの迫る冬の初め、ぼくと蛍はこっそりと約束をしていたのだ。同じ進路に進むことを目指して、その後は、もっと具体的に未来を考えたいと。共に暮らし、共に過ごし、そして、今よりもっと心と体の絆を深められたらと、そんな事を話したのだった。

 あの時には、叶えられなかった事でもある。

 ぼくから目を逸らし、蛍は小さく呟いた。

「……出来れば、わたし以外の姉妹とはやらないで欲しい」

 そんな彼女の姿に愛おしさを覚えながら、ぼくは言った。

「約束するよ。君以外の人とはやらない」

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