◆ 1日目

1.あの時と同じ

 チャイムの音を聞いて、ぼくは目を覚ました。

 朝だ。その事実をまずは静かに受け止めて、ゆっくりと起き上がる。蛍と話した後、ぼくは紋白蝶を探した。どうしても心配だったからだ。でも、見つからなかった。日暮も、稲子も、思い当たる場所を訪れてみても、何処にもいなかった。そうこうしているうちに就寝のチャイムが鳴り、慌てて部屋に戻るしかなかった。

 部屋に戻る直前、ぼくは中庭を見つめた。記憶が正しければ、記憶の樹の下で紋白蝶は倒れていた。けれど、チャイムの音に急かされている間、少なくともそこには誰もいなかった。

 壁の鏡を見つめながら、ぼくは静かに祈った。何事も起こらないで欲しい。蛍に呆れられようと、紋白蝶に呆れられようと、それでいい。どうか何も起こらないで欲しい。誰も壊されずにいてほしい。ドアベルは鳴らなかった。扉もまた開かれない。このまま静かに一日が始まってくれれば。そう祈っている最中、慌ただしい物音が廊下から聞こえてきた。ややあって、悲鳴のような声が聞こえてくる。

 ──ああ。

 ぼくは覚悟を決めながら、外を確認した。

 分かってはいた。それでも、やっぱり怖かった。そして、実際に外の様子を窺って、あの日、あの時と同じ光景が広がっている事を確認すると、心身共に凍り付いてしまった。

 中庭の前に人集りが出来ている。ぼくと同じように声を聞いて、一人また一人と外へ出てきたのだ。その中の一人、秋茜が呟く声が聞こえてきた。

「何かしら」

 これもまた、あの時と同じ。

「来ない方がいい」

 そう言ったのは瑠璃星だ。その横では蜜蜂が俯いていて、寄り添っている花虻もまた視線を逸らしている。

 その向こう。中庭に生える記憶の樹の根元を、ぼくは凝視していた。

 一緒だ。あの時と一緒。倒れているのは紋白蝶だ。引き裂かれた衣服と、ぐちゃぐちゃの体。生きた人間を再現していた表情は、命を宿さぬ人形のものに戻ってしまっている。同じ光景はかつても見た。だが、だからこそ、ぼくは動揺してしまった。

「紋白蝶……」

 それ以上、近づくことは出来なかった。

 呟くぼくの傍に、そっと近づいて来る者がいた。蛍だった。彼女は、ぼくの真横に立つと、中庭を凝視したまま、ぼくにしか聞こえないような小さな声で言った。

「あなたの言った通りね」

 彼女を見上げ、ぼくはそっと訊ねた。

「蛍は……何も覚えていないの?」

 その問いに、蛍は静かに頷いた。

 そこへあのチャイムの音が鳴り響いた。ぼくは、ちらりと周囲を窺った。困惑する表情は皆一緒だ。だが、チャイムに怯える者と、不思議がる者に分かれているように感じられる。もしかしたらと思わずにはいられない。

 前回の試験の際、蛍には記憶があった。紋白蝶が壊された日もまた、あの時と同じだと呟いていたのだ。それは揚羽も同じだった。という事は、今回もまた憶えている姉妹が他にいるのではないだろうか。

 そう思ったところで、アナウンスは聞こえてきた。

『緊急事態発生。姉妹の一人である紋白蝶が昨夜のうちに何者かに破壊されました。遺された姉妹たちは速やかに会議室へ移動してください』

 今のぼくには分かる。幽霊蜘蛛の声だ。蜘蛛の目を通して、今もぼく達を見ているのだろう。ぼくの伯母だという彼女の愛情については、正直に言ってあまり理解できない。彼女らにとって機械乙女のぼく達は、実験体に過ぎないのだろうか。そう疑ってしまうほど、不信感が残り続けている。

 それでも、今は従うしかない。

 会議室へと移動する間も、ぼくは皆の様子を確認した。そして、記憶に残っている前回の試験の事を必死に思い出し、照らし合わせていた。

 一日目は紋白蝶が犠牲になり、日暮が吊られた。二日目は蜉蝣が犠牲になり、金蚊が吊られた。三日目は稲子が犠牲になり、蟋蟀が吊られた。四日目は花虻が犠牲になり、蜜蜂が吊られた。五日目は七星が犠牲になり、揚羽が吊られた。そして六日目は蛍が犠牲になり、ぼくが吊られた。残された二人は瑠璃星と、秋茜だった。

 では、今の姉妹たちの様子はどうだろう。誰が記憶を持っていて、誰が持っていないのか。それを窺う事は出来るだろうか。

 円卓に並べられた椅子を見つめ、自分の名前の書かれている椅子に座っていく。相変わらず不気味に光る端末を眺めていると、再び幽霊蜘蛛の声が聞こえてきた。

『これより臨時の試験を行います。姉妹たちで話し合い、誰が紋白蝶を壊したのか、その犯人と思しき人物を一人、端末にて投票してください。投票された人物は、今夜中に蜘蛛の糸で吊るし強制停止をいたします。正しい犯人を当てたならば、試験はその時点で終了といたします。誤っていた場合は、明日も誰かが壊される事となるでしょう。それでは、試験を開始します』

 アナウンスが終わると、しばしの静寂が訪れた。

 前回と流れが違う。瑠璃星が仕切り出さなかったのだ。黙り込んでいる彼女に対し、堪えきれなかったのか揚羽が口を開く。

「どうしたのよ、瑠璃星。あんたが仕切りなさいよ」

 すると、瑠璃星は戸惑いを見せた。

「なぜ、僕が?」

「なんでって……」

 揚羽もまた困惑を見せた。その表情を見て、ぼくは察した。揚羽は憶えているのではないかと。ぼくは勇気を出して発言した。

「瑠璃星が一番相応しいからじゃないかな」

 そんなぼくの言葉に、七星が納得したように頷いた。

「確かに、おいらもそう思います。瑠璃星さんが仕切った方がスムーズに話し合いが進むんじゃないでしょうか」

 七星の言葉に背中を押されたのか、瑠璃星はようやく頷いた。

「分かった。では、僕が仕切らせてもらおう」

 そして、立ち上がると、彼女はぼく達を見渡した。

「臨時の事件との事だが僕には何も分からない。ただ、今のアナウンスに従えばいいだけだ。誰が紋白蝶君を壊したのか、怪しい人物に投票すればいいだけだ」

「どうやってそれを決めるわけ?」

 秋茜の問いに、瑠璃星はさらりと答えた。

「今からどうにか判断材料を作ろう。そうだな。まずは、昨日、紋白蝶君を最後に見たのはいつだったか、一人ずつ話してもらおうか」

 こうして、前回よりも、何故かぎこちない形で会議が始まった。

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