◇ 5日目
1.散らばった星屑
目を覚ますなり、ぼくは真っすぐ端末を確認した。これが夢の中ではなく現実なのだと実感するために、そこに表示された文字をチェックする。そして、メッセージの内容に、ある種の安堵を覚え、すぐに罪悪感を覚えた。
『投票の結果、蜜蜂さんが強制停止となりました』
詳細を選択してみれば、その票差は圧倒的だった。蜜蜂のみがぼくに投票していて、あとはぼくを含めた全員が蜜蜂に投票している。しかし、問題はこの後だ。蜜蜂が言い残していたことがある。これで試験が終わらなかったならば、次に疑われるのは、ぼくかもしれない。
──空蝉ではない。
そう言っていた蛍の言葉が救いではある。でも、彼女一人が信じてくれたとしても、他の姉妹たちが信じてくれるとは限らない。だとしたら、今日もまた試験が続くとしたら、次に吊るされるのは、ぼくなのではないだろうか。その可能性が、現実のものとして実感できるようになってくると、ぼくの脳裏には不安がよぎった。
試作品であるぼくの体には欠陥がある。吊るされて強制停止になれば、故障してしまう可能性がある。修理してもらえれば、再び目覚めるのだろう。けれど、そうなった場合、ぼくはまた記憶を失うかもしれないのだ。今日、こうやって過ごしている事も、次に目覚める時には忘れているかもしれない。それが、ぼくは怖かった。
だが、それは飽く迄もぼくの都合だ。皆がどう判断するかなんて、分からない。
と、その時、ドアベルが鳴った。毎朝のことを思い出し、ぼくは我に返った。七星だろう。安否確認をしに来たのだ。すぐに応対し、ぼくは無意識に視線を下へと向けた。だが、扉を開けてみると、そこには七星はいなかった。視線は斜め上。戸惑いつつ慌てて合わせた先には、瑠璃星の顔があった。恐らく装飾品に過ぎない眼鏡を手で支え、彼女はぼくに向かって言った。
「おはよう、空蝉君。朝早くにすまないね。いつもの安否確認だ」
「な……七星は?」
挨拶を返すことも忘れてぼくは問いかけた。瑠璃星の表情がやや曇る。
「起きてすぐに訪ねてみたのだが、部屋は空っぽだった」
「それってつまり……」
言葉を詰まらせるぼくに、瑠璃星は静かに告げた。
「僕は他の姉妹たちに声をかけてから、七星君を捜しに向かうよ」
「……分かった」
ぎこちなく肯くと、瑠璃星はそのまま隣──蛍の部屋を訪ねた。すぐに応対した彼女にも、ぼくと同じ説明をすると、さらに秋茜、そして、少し離れた場所にある揚羽の部屋も訪ねて、同じ事を手早く説明した。
「じゃあ、僕は行くよ」
足早に去る彼女を見送ると、秋茜は少し何かを考えてから七星の部屋へと直行した。施錠されていない扉を開けて中を覗き、静かに呟いた。
「確かにいないわね」
「ちなみに、何処にいると思う?」
揚羽の問いに、秋茜は淡々とした様子で答える。
「瑠璃星が一番よく知っているんじゃない」
「そう。それじゃあ、追いかけるのが一番良さそうね。行ってくる」
「待って、アタシも一緒に行く」
そうして彼女たちは行ってしまった。ぼくはどうするべきだろう。見た方がいいというのは分かる。だが、迷いがあった。見たところで、何が変わるのだろうという思いもあった。七星は恐らく壊されているのだろう。ただ単にどこかで暇をつぶしていて、けろりとしていたらと思わなくもないけれど、甘い夢を見るほどの元気が今のぼくにはなかった。
「追いかける?」
そんなぼくに蛍は訊ねてきた。
「試験が始まる前に、一応は見ておいた方がいいのは確かよ」
「蛍はどうしたい?」
訊ね返してみると、蛍はやや困ったような表情を浮かべてから答えた。
「わたしは、あなたと一緒にいたい。今の状況で、あなたを一人にしておきたくないの」
「ぼくの事が怖くはない?」
「怖いって何故?」
「ぼくにも、蜜蜂みたいな不具合があるかもしれない」
その言葉に、蛍はしばし沈黙した。どう思ったのか、何を考えているのか、表情から読み取ることは難しい。紋白蝶とは違うとまじまじと見て思った。これこそが、第一シリーズと第三シリーズの差なのだろう。そして、ぼくはそんな蛍よりもさらに読み取りづらい表情をしているのだと思う。
「だとしても、怖くはない」
蛍はそう言って、ぼくの手を握った。
「行きましょう。今なら間に合うから」
言われるままに、そして手を引かれるままに、ぼくは蛍について行った。
向かった先は談話室だった。何処へ行こうか迷う前に、瑠璃星たちの声が聞こえてきたからだ。その声の様子からして、すぐに良くない予感はしていた。そして、部屋へと立ち入ってすぐに、その予感が当たったことを思い知った。
「どうして……」
絞り出すような声が、よくこの機械の体で表現できるものだと感心してしまった。それが実現できるほどの苦痛が、今の瑠璃星を襲っているという事なのかもしれない。談話室の中央で、彼女はしゃがみ込み、背中を震わせていた。その様子を秋茜と揚羽が静かに見つめている。
「どうして七星君が……」
瑠璃星の声に、ぼくはいよいよ覚悟を決めた。蛍の手を離れ、部屋へとさらに踏み込んでいく。そして瑠璃星が嘆いているその視線の向こうを視界に入れた。
これまで、姉妹たちが無残に壊されてきた姿を何度も見た。何度見たところで慣れるものではないと思い知ってきたが、この度に関しては、不気味ながら何故か綺麗だと思ってしまって、そんな自分にギョッとした。
七星は談話室の床に仰向けになっていた。肌が捲れているのも、臓器のような内臓物が飛び出しているのも同じ。ただ違うのは、胸部がぱっかりと割れ、その中に収められていたらしき部位が損傷し、青いガラス製の部品が周囲に飛び散っていたことだった。大きく見開かれた目は夜空のようで、散らばるガラス片は星屑のよう。その幻想的な光景に、ぼくはしばし目を奪われてしまった。
これがただの芸術品だったら、どんなに良かったか。
──おはようございます、空蝉さん。
ふと、昨日まで当たり前に聞いていたその声を思い出し、ぼくは我に返った。そこへ、チャイムは鳴り響いた。
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