◇ 4日目

1.震える人形

『投票の結果、蟋蟀さんが強制停止となりました』

 そのメッセージを見た後、ぼくは詳細を確認する気力が湧かなかった。昨日の怒りの余韻がまだ残っている。その熱を確かにこの作り物の体に感じながらも、同時に沸き起こるのは冷めた感情だったのだ。

 ぼくがプロジェクトのスタッフたちに怒りを示したのも、蟋蟀の声が頭に残っていたからだ。ぼくは彼女に同情していた。ぼくは彼女に共感していた。けれど、彼女に投票したこともまた事実。

 せめて、これで試験が終わってくれれば心も軽くなる。そうであってくれれば、どんなにいいだろう。それでも、何度甘い夢を見ようとしても、ぼくの心は重たいままだった。

 ベッドの上で目を閉じてみても、悪い予感が頭から離れない。その事に少なくない時間、藻掻いているうちに、ドアベルが今日も鳴った。応対してみれば、そこには七星がいた。

「おはようございます、空蝉さん。お変わりないようで何よりです」

「おはよう、七星。今日は少し遅かったね」

 ぼくの言葉に七星はベレー帽を手で押さえながらはにかんだ。

「えへへ、朝から色々と確認して、瑠璃星さんにちょっとだけ、おいらの推理を聞いて貰っていたんです」

「どんな推理?」

「秘密です。というか、お聞かせできるほどのものでもありません。おいらの推理は穴だらけで、瑠璃星さんにも突っ込まれまくってしまいましたから」

 照れ臭そうにそう言ってから、七星は姿勢を正した。

「では、おいらはこれで。他の姉妹の方々の無事も確認しなくてはいけないので」

 そしてすぐに隣の部屋へと向かい、背伸びをしてドアベルを鳴らした。程なくして蛍が顔を出してくる。彼女の無事を確認して内心ほっとしながら、ぼくはその奥へと目を向けた。瑠璃星が揚羽と会話をしていた。その後で、すぐにコツコツとこちらに戻ってきて、花虻の部屋の扉のドアベルを鳴らした。

 彼女の動きを見て、ぼくは改めて気づいた。随分と寂しくなってしまったと。十四部屋のうち、六部屋が主を失っているのだ。この通路の半分から奥は中に誰もいないのだと思うと不気味にすら思えた。

「花虻君?」

 と、その時、瑠璃星が声を上げた。ぼくが真っ先に思った事は、「まさか」ではなく、「またか」だった。ドアノブに彼女が手をかけると、扉は勝手に開いた。そして瑠璃星は中へと入り、そしてすぐに戻ってきた。

「花虻君がいない」

 その言葉を聞いて、真っ先に歩み寄ったのが秋茜だった。同じように中を覗き、見渡して、そしてぼく達を振り返って口にする。

「確かに誰もいない」

 瑠璃星はそのままの足で花虻の隣の部屋──ぼくの部屋の向かいへと歩んでいった。蜜蜂の部屋だ。花虻の実の妹。ドアベルを鳴らすも反応はない。扉をノックして、瑠璃星は中へと呼びかけた。

「蜜蜂君、出てきてくれるかい? 君のお姉さんの事で話がある」

 そう言ってドアノブに手をかけるも、今度はその扉が開かなかった。

「留守か……はたまた引きこもっているのか……」

 ノブに手をかけたまま考え込む瑠璃星に対し、離れた場所で腕を組む揚羽が冷ややかに声をかけた。

「とりあえず、まずは花虻を探すべきじゃない?」

「その通りだね」

 瑠璃星はそう言うと、ぼく達に向かって言った。

「思い当たる場所といえば、温室だろうか。僕は探してくる。君たちはここで待つなり好きにしてほしい」

 足早に立ち去るその背中を、七星も追いかける。二人をしばし見送っていると、秋茜がさり気なく蜜蜂の扉の施錠を確認した。

「やけに疑うじゃない」

 秋茜に声をかけたのは、揚羽だった。秋茜は振り返り、不満そうな表情を浮かべつつも素直に答えた。

「ずっと金蚊の言葉が頭に引っ掛かっているのよ。このまま、あの仕切り屋に任せるべきかどうか……」

 そして、秋茜はぼく達に言った。

「アタシも行ってくる。状況はこの目で見ておくに越したことはないから」

 そのまますぐに立ち去ってしまった。彼女の背中を見送っていると、揚羽がため息交じりに言った。

「確認するなら自分の目で。確かにそう。あたしだって、こう見えて罪悪感くらいは覚えるもの。というわけで、あたしも行ってくる」

 こうして、あっという間に蛍と二人きりにされてしまった。どうしようと迷っていると、蛍がそっとぼくの手を握ってきた。

「わたしは見てもいいし、見なくてもいい。でも、彼女たちが言う事は確か。行くなら一緒に行くけれど、どうする?」

 寄り添うようなその言葉に、ぼくは迷いつつも意を決した。

「……行ってみる」

 その言葉に蛍は黙って頷いた。

 向かう先は温室だ。一度だけまじまじと見たのを覚えている。花虻と蜜蜂のお気に入りのその場所は、温かなイメージだけが頭の中にある。それでも少し足が遠のいてしまっていたのは、彼女たちが何故かぼくを疑い続けていたからだろう。

 今回はどうだっただろう。そういえば、詳細を確認できないままだった。そこが気にかかりつつ歩みを進めていると、温室の前で瑠璃星と七星が立ち尽くしているところが見えた。

 先を進んでいた秋茜が辿り着き、程なくして揚羽が辿り着く。そして、ぼく達が辿り着いたちょうどその時、チャイムが鳴り響いた。

 いつものアナウンスが流れるも、ぼくの耳にはあまり入ってこなかった。目に映る情報に思考が囚われてしまう。

 植物に囲まれて悲惨な姿で倒れ伏す花虻の姿。皮膚が捲れ、中身が剥き出しになっているその光景の衝撃は勿論、それ以外の情報もまたぼくの目を釘付けにしていた。

 蜜蜂。彼女はそこにいた。温室の隅で膝を抱え、震えていた。涙は流していない。流せないのかもしれない。ただブルブルと震えるその姿は痙攣に近く、眼球も揺らいでいる。それでも、ぼくには分かった。蜜蜂は壊されていない。壊されていない状態で、ここにずっといたのだと。

「蜜蜂君、君はいつからここにいたんだい?」

 会議室に移動するより先に、瑠璃星が寄り添うように蜜蜂に声をかけた。

 すると彼女は顔を上げ、小刻みに震えながら答えた。

「分からないの」

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